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現象ナシで実相(神)のみある

2018-03-03 17:29:18 | 日記
今日ウォーキングに出て
一駅だが電車に乗った。
その時前に座っている女子学生たちを見て
「衆生を抹殺し仏を抹殺し心を抹殺したら」何が残るのだ、
と思ったら、
神のみ残ると考えた。
“神の言”が残るとも、
アサガオの理念の様な“神の子の理念”が残るとも
実相が残るとも言える。
してみると
「言肉体となりてわれらのうちに宿った」
というヨハネ伝の説く“言”つまり“神のコトバ”が
そのまま私の肉体に宿り、
現象アサガオの本体たる理念アサガオのように
鳴り響いているのが私自身なのだ。
つまり私が
神のコトバの鳴り響きであると同時に
私の環境世界も
自他一体であるから
私自身の実相の鳴り響きなのであった。

コリント人への第一の手紙

2018-03-03 11:41:57 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第5章>
不品行について(5・1-13)
7 あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の子羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。

「衆生を抹殺し仏を抹殺し、心を抹殺する」ということは・・・

2018-03-03 10:42:32 | 日記
今現実に私が体験しているものは

本当の世界ではない。

だから現実の出来ごとに一喜一憂しないことだ。

これが「衆生を抹殺し仏を抹殺し、心を抹殺する」ということなのだ。

どうしてもこの現象世界をあると思うからいけないので、

これは心の結果の世界だと

思う必要がある。

“生命の実相”を自内証せよとの自己神性の導き

2018-03-03 10:05:48 | 日記
去年の9月10月頃は
聖経『四部経』を一日に10回黙読し、
神想観を一日7回か8回やっていました。
パソコン、外出して喫茶店での聖経読み、
そしてウォーキング、自宅での二人の学生の学習指導、
これが一日の日課でした。今もこれに近いです。
これができる環境があってできたとも言えます。
『四部経』は一回読むのに30分かかるので
10回読むのに5時間かかります。
神想観は8回やるのに4時間かかります。
でもやむにやまれずやっていました。
安心を得るにはこれしかなかったのです。
自分の内から押し上げてくる力のまにまに
やってきたので、
苦痛などはなかったです。
現在『四部経』は10回よむのに
2時間半で読んでしまいます。
ドトール等で一気にやります。
神想観は一日4回ですが
3回で済む日もあります。
効いたという実感が俄然出てきました。
真理が私の中に入ってきたのです。
テレビを楽しむ時間も増えてきています。
一体私のやっていることは何なのかと思うこともありますが、
多分これが私の使命なのです。
自分でもものすごいと感じます
またやったことをお伝えするのも
使命の中に入ります。

追記

でも思い直してみれば

現象はナシですので

大したことでもないのです。