Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

虫の知らせ

2011-02-08 | 日記
 これは昨日の競技会関係の話なのだが東名の話でもないので別に書くことにした。

大したことではないのだが・・・。

昨日は前の晩よく眠れたのか、久しぶりの東名であり、競技会の仕事なのだが
妙に落ち着いて淡々とした自分がいた。
嬉しくもなく、楽しくもなく、人と特に話をしようとも思わず・・
仕方がないから淡々と仕事のみを黙ってこなそう・・・そんな気分だった。

競技大会を開催する体育センターは駐車場を借りて選手の車をさばくのだが
役員は早い時間に行き、遅くまで仕事をするので毎回狭い体育センターの裏の路地に
バックで三列につめて駐車する。

なにしろ、体育館の床をダンス靴のかかとで傷をつけてはいけないので毎回1メートル四方の
パネルを床に何百枚と敷き詰める。前の晩に這いつくばってビニールテープで敷き詰め、競技が
終わると一枚一枚はがしていく。それでもドレスについていたダイヤストーンが床に落ちているので
全員一列になって端から端まで目を皿のようにしてチェックする。

そんな仕事があるので競技が終わっても数時間は帰ることができないのだ。
奥に停めると帰るのが遅くなるが順番だから仕方がない。


だが、昨日の朝、私はどうしてもバックでその列に停めるのが嫌だった。

いつもは優等生で?早く来て一番か二番に奥にとめるのだが・・。

理由はないが何となく嫌で他にとめようとした、
しかし、役員に見つかってどうしても路地に入れるように言われた。
仕方なく終わりの方に端っこに停めた。

向かって左の半分みえているのが私の車である。

競技の裏方の仕事が大体終わり、前回まで賞状の名前書きをしていたので
大変だったが、今回からパソコンで書くと言うので日当の計算などの仕事が
終わり計算がピタリと合った!と喜んでいた時・・・

携帯が鳴り、急遽家に帰らなくてはならない羽目になった。

こんなこと初めてだった。

幸い、私の前に車がなかったのでそのまま東名を飛ばして帰宅することができたのだった。