五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

NSX、8位!

2016年11月01日 | ミニカー
1995年のル・マン24時間レースというと、関谷正徳さんが日本人で初の表彰台に立った年ということで覚えられています。

実はこの年、GT2というカテゴリーで優勝したのがホンダNSXでした。
カテゴリーこそ違え、こちらは日本のクルマ、日本人ドライバー3名、それにチーム・スタッフ、メカニックに至るまでオールジャパン体制での優勝でした。

ということで、今回はその時のNSX84号車を取り上げます。


NSXは言わずと知れたホンダのスーパーカー、ル・マン参戦は前年の1994年でした。
このときはクレマー・チームのマネジメントを受け、3台体制でエントリーし、総合14位、16位、18位の成績でした。
リタイヤしなかったものの完走18台ですから、どん尻の方でゴールしたような結果でした。

ちなみにその18位のクルマ(47号車)のドライバーは高橋国光さん、土屋圭市さん、飯田章さんの3名で、土屋さんと飯田さんはル・マン初参戦だったのです。


さて、GTカー元年とも呼べる1995年、ルマンにはマクラーレン、ニッサン(スカイライン)、トヨタ(スープラ)、ジャガー(XJ220)、ポルシェ(911)などに交じって、ホンダもNSXで二度目の参戦を果たします。

2台のワークスカー(46号車、47号車)とは別に「TEAM KUNIMITSU」からエントリーした84号車。
このとき、高橋さん55歳、土屋さん39歳、飯田さん25歳でした。


ちなみに1995年は阪神淡路大震災があった年、地下鉄サリン事件が起きた年、そして(当然ながら)Windows95が発売になった年ですね。

84号車は予選36位、そして決勝レースではオイル漏れのためにピットからのスタートを余儀なくされ、また夜間走行中片方のライトが消えてしまうというアクシデントに遭遇しながら走行し、見事総合8位・クラス優勝を遂げました。
84号車の車体には日の丸とともに「Team Kunimitsu」と大きく描かれています。


「TEAM KUNIMITSU」は1996年にもNSXで参戦しますが、このときは総合16位・クラス3位の結果に終わりました。


プロトタイプカーを主に集めている私にとって、NSXのような市販カーをベースにした(といっても実質的にはシャシーからオリジナルなのですが)レースカーは、収集の対象外。
集めることは考えてはいなかったのですが、1台くらいホンダ車があってもいいかなという考えとともに、ハンドルを握った土屋さんと飯田さんが、「例のクルマ」のドライバーだった、ということもあって入手することにしました。

 → 走るカップヌードル[2015年10月]

一方、高橋国光さんは言わずと知れた二輪のチャンピオンから四輪に転向してハコスカGTRなどで活躍した方ですから。
ル・マンも1995年の時点で何回か出場なさってたはずですね。

 → 無冠の帝王[2011年10月]


さて、オークションで手に入れたNSX。

外箱は若干くたびれておりましたが、本体はわりと美しいままで、中古品とはいえ保存状態はきれいでした。
市販車ベースのクルマらしく、内部のロールバーなども取り付けられていて、手に取って眺めるには楽しいモデルです。


モデルはエブロ製、1/43スケール。