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行き先と決めたのは、都立蘆花恒春園


蚊に刺されやすく気の小さい親父はデング熱が恐くてしばらく東京に行けなかった。
今回は、病原体を持つ蚊がいないと思われる都心から離れた公園に行くことにした。
行き先と決めたのは、都立蘆花恒春園。

京王線の八幡山駅に下り、環状8号線を南下すること15分。その入口があった。
正門ではないようだが、人気のない園内に入る。
しばらく歩くと花畑がありコスモスが風に吹かれていた。
萩のトンネルもあり、今が秋であることを知らせてくれる。
ポンプ式の井戸の側を抜けると共同墓地があり、すぐ隣に蘆花夫妻の墓がある。
昭和2年に伊香保で亡くなった徳冨蘆花は村人の手によって手厚く葬られたという。
後から来た一人のご婦人(推定年齢55歳)がいた。
何を感じているのか、いつまでも墓の前にたたずんでいる。
蘆花や愛子のお身内の方ではなかろうか。

武蔵野の面影を残すこの辺りは、夫人の愛子さんによって東京市に寄贈された。
蘆花没後10年、夫人が亡くなると蘆花と一緒に埋葬された。
夫婦はかくあるべしと感じいる。
直ぐ北にどっしりしたわらぶき屋根の母屋があり、中は自由に見学できる。
ここで「不如帰」を書いたのだろうか。浪子の悲しい声が聞こえそうだ。
実際に聞こえてきたのは耳元の蚊の羽音。慌てて叩いたのだが既に遅し。首筋がかゆい。

いつしか園の正門に出た。修学旅行と思われる中学生が小集団で散策している。
受付の前を通って蘆花記念館の中へ。ここも無料だ。
蘆花の描いた絵や遺品の数々が展示されていた。

環状8号線に戻る途中に八幡神社があった。粕谷村と言ったこの辺りの鎮守であろう。
境内に大きな銀杏の木があり、ご婦人(推定年齢60歳)がギンナンの実を拾っていた。
「ここにもありますよ」と声をかけると、「もうたくさん穫れましたから」と言う。
やがてビニール袋いっぱいのギンナンを持って、自転車で去っていった。
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