2006年の歌会始めの儀
年末にあんなことが起こっていたとは露知らず、とはいえ、それでも何食わぬ顔でいる東宮家ってすごいなと思った。
けれど、確実に皇祖神は怒っていた筈で、それは天皇皇后、そして東宮家にも及んでいた筈だ。
その年の歌会始めの儀のお題は「笑み」
文仁親王
人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく
文仁親王妃紀子殿下
飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる
この歌は、前年の9月に放鳥したコウノトリを詠ったもので、コウノトリと言えば「赤ちゃんを運んでくる」象徴だ。
両殿下が仲良く同じような歌を詠まれた事に私は感動し、何かよい事が起こるのではないかと感じていた。
そして電撃的な懐妊発表
2006年2月7日、突如発表された「紀子様ご懐妊」のニュースに日本中があっとなった。その日の公務先で、紀子様は若い女性達から「紀子様、おめでとうございます」と言われ、びっくりしたように手を振っていらした。
で、「長子継承」をもう少しで決めようとしていた国会で、総理の耳に入る。
「え?紀子様?雅子様じゃなくて?」という小泉総理の言葉が耳に残っている。
実は、この発表は公式のものではない。
誰かがリークしたものだった。その「誰か」というのはわからないけれど、紀子様が「兆候」の段階で素早く官邸に報告し、足早に国会にメモを送ったおかげで「愛子女帝」問題は消えた。
小和田家や左翼は驚きと失望に歯噛みしたろうと思う。この時の福島瑞穂の
「妊娠はおめでたいが、それと皇室典範改正の問題は別」という言葉が物語っている。
お祝いしなかったのは、主に女性議員だった。(共産党系が多いので)
同じ女性なのに、高齢出産になる紀子様に対し、「目出度いとはいえない」と口にする議員がいた事に私は憤りを覚えた。
2月16日、皇太子夫妻は盆栽展を見に来る。公務を休んでいる中で久しぶりの外出だった。
バッシングの始まり
ここから「雅子さまがお可哀想」「そんなにまでして男子が欲しいか」
「わざと妊娠した」「長男の嫁の嘆き」「女性は産む機械か」などと言われのないバッシングを受けるようになった秋篠宮家。
(特に長々と特集を組んだAERAは今も許していない。全国の高齢出産女性への侮辱だった)
両殿下は覚悟していたかもしれないが、眞子内親王は思春期であり、何ゆえに母がここまで言われるのかと怒ったり悲しんだり不安になったりしたのではないかと思う。
けれど、この当時の秋篠宮家は公務に忙しく、懐妊がわかっても紀子妃は公務を続けたし、前2回の懐妊と違って今回は体調が悪かった筈で、正直、事細かに娘たちの心情を慮る事が出来なかったのかもしれない。
とくにポーカーフェイスの眞子内親王は、すぐ顔に出る佳子内親王とは違って、一見何の打撃も受けていないように見える程完璧な内親王だった。
私ごとだけど、回りと話していて、初産が40代の場合、体調について「こんなものか」と思って気にしなかったと言われたけど、私は11年ぶりの妊娠に「こんなに体が重い感じがするのか」と驚いたし、中期を過ぎるとよりひどくなっていく過程を覚えている。
紀子妃は、顔には出さなかったけれど、内心は「前と違う」と激しく思っていた筈で、そんな妃に向かって週刊誌を始めとするマスコミがこぞって悪口を書き連ねるという環境は本当にひどいものだった。
東宮家は3月にディズニーランドに小和田家と一緒に豪遊し、夏にはオランダ静養が決まっていた。
前置胎盤発表でなぜかネットが大喜び
夏。ちょうど紀子妃の弟の舟氏の結婚式に出席した直後だったと思う。
紀子妃が「前置胎盤」と診断された。
過去2回の懐妊ではなかった事で、大出血を起こしたら命に関わる事だった。
美智子皇后の歌によると、その報告を何事もないように妃は言ったという。
皇后はすぐに大量のトマトジュースを差し入れた。
そして、この発表がなぜか、大型掲示板では「慶事だ!」とされて大喜びだった事。
よくわからないけど、前置胎盤になると男子が授かる可能性が高いんだそうで、そこでは「私も同じでした。男の子を産みました」という意見であふれ、もし、この予想が事実だったらいいなと私は祈るようにコメントを読んでいた。
前置胎盤の場合、絶対安静が求められる。
2006年8月16日に紀子妃は「愛育病院」に入院。
実は8月17日から皇太子一家はオランダへ行くといので、その前日の入院に「雅子さまに迷惑」と書き立てた週刊誌があった。
万が一に備え、秋篠宮家では眞子内親王のオーストリアホームステイの前に家族写真を撮っていた。
後の報道によると、絶対安静の入院生活は紀子様には大変苦しく、涙をこぼされる時もあったという。
ベッドを一歩も離れられない。トイレは車椅子。24時間点滴。圧迫感もあったろうし、恐怖心もあったかもしれない。
2006年9月6日 親王殿下ご誕生
その日の朝、ドキドキしながらテレビを見ていた。
秋篠宮「行ってらっしゃい」
紀子様「行ってきます」
と。拳銃を構える女性SPが立つ手術室のドアに消えた紀子妃。
親王ご誕生だった。
そのテロップを見た時、いきなり涙が出て止まらなくなった。
何という奇跡なのか。本当にこの世に神様がいると確信した日だった。
その日は台風が来る予定だったけど、夕方の小雨に変わった。
北海道の天皇はアドリブで喜びを伝え、国民は心からの祝福を送った。
東宮家では皇太子が声明を出したが、「ご出産おめでとうございます。手術の成功をお祈りします」というようなちんぷんかんぷんな内容だった。
テレビではテレ朝がやらかした。
親王誕生を祝うべき渡辺アナウンサーが喪服のような格好をしていた。
あげく「オメコメ祝いといけないんですよね」と言った時、私はぎょっとしてしまった。生テレビで顔を見る度怒りが湧き上がる。
帰京した両陛下はすぐに愛育病院に駆け付けた。
その後、東宮家から順に見舞いに行く筈が、東宮家は退院の直前になるまで行かなかった。しかも、愛子内親王を連れて絵画展を見たついでだった。
しかも、この時、非常にむずかった内親王から出た言葉が「ヤメロヨー」だった。
川嶋家は控えめにしていたけれど、教授は
「清流に臨みて詩を賦す・・心に重なる感慨を覚えます。お健やかなご成長を謹んでお祈り申し上げます」と祝福。
実に41年ぶり、秋篠宮殿下以来の皇位継承者を紀子妃は出産されたのだった。
退院の日、沿道には沢山の国民が駆け付けてパレードのようになった。
私は心から嬉しかった。
実はこんなにも望まれていたのだ。誰も口には出さなかったけれど皇統を守って欲しいと国民は思っていたのである。
そして秋篠宮家がその願いを叶えてくれた。
親王は、一連の儀式を経て名を「悠仁(ひさひと)」お印は高野槇に決まった。
「悠」の字は悠久とか、ゆったりとか、とにかく時間軸が長くてその御代が続くようにと願われている。高野槇は神木。
未来の陛下を思うゆえの結界のような名とお印だ。
賢所皇霊殿に謁するの儀。
本当に笑顔が可愛らしい親王殿下
1歳
初節句に両陛下から贈られた兜
天皇の漕ぐ和船に乗って「皇位継承者」として完全に認められ。
本当に細くて心配しちゃった入園式。
でも卒園する事にはしっかり。
着袴の儀。まるで源氏の君のような・・・・
皇祖神の祝福を受けている悠仁殿下。
いよいよご成年。
リアル光る君へ・・・・を見るのは卒業式の後だけど、でもやっとここまで・・お待ちしておりましたよ。若宮。一日千秋の思いで。
こうして振り返ってみると、殿下が生まれるまでの時間が確かに無駄ではなかった事がわかる。
そして運命に導かれて殿下は生まれた。
背負っている運命は、近代皇室の中で誰よりも重い。そしてその行く先はきっと厳しいものとなるだろう。
でも、殿下はきっと稀有な陛下におなり遊ばす。私はそう確信している。
ただ心残りは、なぜ眞子様が日本にいないのかという一点だ。
悠仁親王誕生への道、連載お疲れ様です。
今日は悠仁親王殿下の誕生日なのに、朝のZIPでは報道なし(私が見た30分間では)。ツイッターも大学受験や作文、トンボの論文についての”疑惑”を発信するツイートが多くうんざりしています。
でも、悠仁さま即位を望む人たちが、幼い頃からの画像や動画をあげてくれ、慰められます。
マスコミがどんな悪評を流しても、今はSNSで発信できる時代。悠仁さまの悪評が全て晴らされる日を望んでいます。
2001年初頭は今上夫妻の子宝祈願、愛子さま誕生後は御礼参りだと島の案内役が仰っていたそうです。
だとすると2001年6月は雅子さまの安産祈願でしょうか。
その話を雅子さま擁護連中は、悠仁さまの誕生を祈願に行ったと喚いているようです。
「すぐに解任した」と。5年も経っているのに。
雅子さまこそ、秋篠宮ご夫妻の祈願後すぐに、本当にすぐにご懐妊なさったのに。
久高島のパワースポットは子宝祈願だけでなく、皇室にとっては男系の末永きを祈願する場所でもあったそうです。
その祈願が叶った先が悠仁さまだったのではないでしょうか。
両殿下がご自分たちの為でなく、日本の、皇室のために真摯に祈願されたからこそ、このお二人に!と日嗣の御子を託されたような気がします。
幼い親王殿下がしっかりとお育ちになったこれまでの年月に、ご両親と姉宮様方、お仕えになられた方々、関係された方々の手厚いお守りがしのばれます。
この国の宝の皇子様、身に変えても油断なくお守りになられたのでしょう。
一瞬も気の抜けない高度な守りであられたのでしょう。
昨日のふらん様の問いかけ「どうして紀子様が泣いたのか?」にあれこれ思います。
御地赤ですが、昭和帝の皇女様のお召し物の展示を拝見したことがあります。
さまざまなものを手刺繍でていねいに縫い込まれた美しさに驚きました。もしかしたら文様のおひとつくらい母宮様がなされたかもしれません。
そのめでたき御地赤を祝賀のお披露目にされたのは、ご相談された宮家のどなたかのお勧めだったかと想像します。
お姑サマに事前にお伺いされ了承を得られておいでだったとも思うのです。
事前に注意深く根回しをなさる真摯なお仕事ぶりの紀子妃殿下であられるのは、これまでの幾万のことで証明されます。
閉鎖された特殊な、わきまえごとだらけの皇室です。
ああもうかったるい、やってられないわ、開放された皇室にするわと好き勝手されないのです。
自愛に熱心だと他責し、ねちねちいたぶります。
そーかの実働部隊やマイバッハのゴトウのようなヤカラと無縁なゆえに、ヒステリー気質の攻撃の的にされたと、私は思います。
もしかしたら、「ボケ」の兆候かもしれません。
内廷に多くの人員が配置されるのは、実は看護のためかもという仮説に至りました。
他責の后をとりつくろうのに莫大な費用を要しました。
庶民の家でさえ、長男や跡継ぎなど男子は尊ばれます。それなのに、皇室においては秋篠宮家の男系男子は冷遇されているように見えます。
愛子さんが生まれた時には翌日から2日間、皇居や東宮御所などに記帳所が設けられたのに、悠仁殿下のときには宮家だからと設けなかったとか、あの方の意向でしょうが初めからそういう雰囲気が続いているのだと思います。
内廷皇族もだめ、マスコミもだめですから、正常な日本国民は違うと、私たちが秋篠宮家を盛り上げていかなくてはなりませんね。
秋篠宮皇嗣御一家は、ずっと悪魔と戦って下さっているのだ。
体が震える程の有り難さと怒りでどうにかなりそうでした。
本当にふぶきさまの記事は素晴らしいです。
ありがとうございます。
大人の対応の皇嗣家の皆さまの冷静さと精神力の強さに感動しますが、高松宮妃や秩父宮妃がご存命だったらと、残念でなりません。