ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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美智子さま81年のあゆみ2

2015-12-08 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 皇太子さまのお仕事は寂しいことかもしれませんが、傍から

お助けするものではないような気がします。

皇太子さまがどこかに行く時に、一緒に行きなさいと言われた時に

行くのが内助の功と思います。(昭和49年)

 わたくしが皇室に入ったため

「デパートにも行けぬようになり、ほんとお気の毒ですね」

と言って下さる方がいますが、それはなんでもありません。

初めから覚悟して入りましたから。

(浩宮懐妊中に)

 慣習に縛られた閉鎖的な宮中に入ることは、華やかなイメージとは反対に

  幾多の困難が待ち受けている事は想像に難くない。

 第一の覚悟・・・お慕いする皇太子さま「家庭の幸福」を知って頂くこと。

            一般的な家庭を知らなかった皇太子さまに対して、美智子さまが育った

            正田家はあたたかい団らんに満ちた家庭だった。

            美智子さまは、幸福だった正田家を手本に「あたたかいホーム」を作ることを

            決意したのだった。

   第二の覚悟・・・「皇室と国民の架け橋になること」

            民間出身ということを「弱み」としてではなく強みとして

            皇室と国民の架け橋となる存在になることを強く意識された。

 庶民の幸福 → デパートで買い物。家族一緒に暮らす。

  皇族の幸福 → 国家・国民の安泰

 ではないのかなあ・・・・「デパートにいけなくてお可哀想」と言われて「平気よ。覚悟して入ったもの」

 と言ってしまう若い妃。

 個人的には外商部が来て選ぶ方が私は好きですけどね。

 わたくしにはこの結婚の経験しかないので

  特に苦労が多いのかどうか比べることが出来ないのです。

 (昭和59年 結婚25周年)

 皇族に嫁ぐ女性は自分の侍女を一人連れていくことが認められていた。

  正田家にも3人の家政婦がいたが、宮内庁は侍女同伴の配慮をしなかった

 美智子さまは文字通りたったおひとりで皇室に入られたのである。

 美智子さまを待ち受けていたのは、民間出身の皇太子妃誕生を快く思わない

  人々からのいやがらせだった。さらにマスコミからの視線にもさらされることになった

  しかし美智子さまは「皇太子妃」の立場上、「何事も自分の胸におさめる」事が求められた。

 美智子さまは孤立無援の中で、ただひたすら「耐える」ことを強いられたのである

 美智子さまの姿勢は、時間の経過とともに反対勢力の心を溶かした。 

  美智子さまのの側近であり養育係だった牧野純子東宮女官長は、美智子さま

  反対派から推されてついた、いわば「お目付け役」で、当初は美智子さまに冷淡な

  態度をとることも多かったと言われる。

  しかし、その関係性は徐々に変わり、美智子さまの願い出によって、予定よりも長く

  女官長を務めるほどとなった。

  「平民出」とさげすんだ目でみた一部の人々も美智子さまの謙虚なお心によって時がたつに

  連れてファンになっていったのである。

 「八方ふさがり」とおっしゃっていたことを忘れたかのようなセリフですよね。

 私達、散々マインドコントロールされてきましたが、こういう手法だったんです。

   牧野女官長を悪者だと思い込んでいましたわ。

 お見送りありがとう。こんな金網ごしでごめんなさい。(昭和50年 沖縄)

 (沖縄訪問日程を)終えたお二人が那覇空港に到着した際、お二人の車が突如止まった。

  そして美智子さまが降りて見送る人々のフェンスまで歩み寄り「お見舞いありがとう。

  こんな金網ごしでごめんなさい」とお声をかけられた。

  身の危険にさらされたにも拘わらず、最後まで沖縄の人々を気遣われたのである。

 

 わたくしのような目にあわせてはいけない(紀子様について聖心女子のお友達に)

 過去三回の失語症

1回目・・・昭和37年の「聖書事件」

       この事件に心を痛められた美智子さまは衆院の言葉に答えられない状態になった

2回目・・・昭和38年の第2子流産

       葉山でご静養されていた際、美智子さまはすべて筆談で、おつきの人への指示は

       メモを渡していた。

3回目・・・平成5年の誕生日当日。皇后バッシング記事に心を痛めて失声症

美智子さまは難局の中で幾度も失語症になりながらも、人々の前に立ち続けられたのである。

 「わたくし」以上の目に合わせているじゃないの・・・ねえ?

  それにどんだけ不幸な人生を歩んできたっていうのかしら?

  宮中祭祀、マスコミから注目される事、義務を果たすこと。全てが「不幸」ではなかったでしょうか。

 

  一日に一回ぐらいはしっかり抱いてあげてください。

愛情を示す為です。

あなたのことを大好きなヒトがたくさんいるのよ。

 自分が投げたものは、なるべく自分で取りにいかせるように。軽く背中を押して

  「とってきてちょうだい」と言って下さい。

 毎回「背中を押す」事が「自分でやる」事の合図だったんでしょうか?

 

 できるだけ動作で遊んでしまわず、要求を口でいわせるようにしてください。

 回りが要求を先回りするのではなく・・・・といいますが、つまり「言葉で」表現するのが

  不得意なお子様?言葉が遅かった?

 

 お食事のときは、ご本をあげないように。「ナルちゃんやめなさい」

 当たり前のことでしょう。女官が食事時に本を上げるとは思えません。不信感ばかり。

 

 「ながら病はできるだけさけること。靴をはくときなども「靴をはいたらおんもね」と

言いながら

  靴をはくことだけに集中させること。

 まだ歩くようになったばかりの子が「ながら」をやるとは思えません。これは浩宮が靴をはくときは

  御付きが他のことをせず、その事だけをよく見ているようにとの言葉では。

  またなぜ靴をはくのかわからない子に対して「靴をはいたらおんもね」というのでしょうか。

  一般となんらかわらない普通のものを身につけた上で

 皇室にふさわしい特殊なおのを自然と備わるようにしていきたいと思います。

(昭和39年浩宮の誕生日前に)

 浩宮さまと礼宮さまとの教育方針が違う

「上の子は将来、非常に自由が制限されるからのびのびと育てる。下の子は

 兄よりも多少気分的に楽だから厳しく育てる」

 今や立場がまるっきり逆になってしまいましたよね。

  そもそも「兄を甘く、弟を厳しく」というのは理に叶った育児法なんでしょうか?

  むしり「責任ある立場に立つ子には厳しく」が普通ではなかったかと。

 美智子妃が考えたこの育児法に乗ったのは皇太子。

 という事は皇太子自身が常陸宮に対して「気楽でいいな」と思っていたのでしょうか。

どちらにせよ、今や「気楽な皇太子と責任ばかり押し付けられる秋篠宮」になってます。

この矛盾を皇后陛下はどう考えていらっしゃるのでしょうか。

細かすぎるナルちゃん憲法の裏側を知りたいですよね。

 赤ちゃんは母乳で育て、おむつの取り替えも産着の着せ替えも

  母親のすることはすべて自分でやるつもりです。

  (浩宮懐妊中、友人に)

 浩宮さま生後二か月頃の4月29日の天皇誕生日では、

 朝9時35分東宮仮御所出発 → 帰宅は夜の8時50分

 計7回の一般参賀出席。

 美智子さま → 朝6時、9時に授乳。3回目は女官控室、祝宴後は看護婦が粉ミルク

           夜9時に授乳。

 出産7か月後には、2週間あまりの訪米が予定されていた。

  当時はまだ母乳を冷凍することなど考えられない時代、美智子さまはそれまでに

  浩宮さまの離乳を済ませるように育児スケジュールを組まれた。

   そして5か月後には離乳が完了したという。

 また訪米中は、子守唄をテープに残して留守中に浩宮さまに聞かせるように

  侍従に申し送りをされている。

 授乳の大変さはわかります。が、その為に「乳母」制度があったのでは?

  自分で否定しておいて大変だったーーと言われても。庶民じゃあるまいし。

 離乳云々は絶対に嘘だと思います。

  生後5か月や7か月といえば、離乳食が始まる時期です。育児書には生後3か月から

  果汁を飲ませ、5か月から「ごっくん期」に入るとありますが、マニュアル通りにいくわけがなく

  まして母乳で育てているのならなおさら離乳は遅いのではないかと。

  完全粉ミルクで育てて、離乳食を食べさせて早くても10か月だと思います。

  それを5か月で完了・・・って、要するに母乳から粉ミルクに変更しただけだったのでは?

 

 

 


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14 コメント

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デパートに行くのは庶民です。 (カエル)
2015-12-08 10:08:32
地位のある奥様は外商が回ります。
わざわざデパートには行かないのよね。
お友だちたちもお里が知れますね。
まぁ、私はもっぱらウィンドウショッピングですけれど。
どの口が言うんだか。 (あさき)
2015-12-08 13:49:45
ふぶき様、

「わたくしのような目に合わせてはいけない」。

紀子様について言ったという言葉ですが、どの口が言うんだか、って思います。
紀子様を、自分より酷い目に遇わせている張本人はどなただか、聞いてみたいものです。

もっとも、「アタクシみたいに自由にはさせない、ぶっ潰してやる」、と言って、ケンカ売っているのなら、美智子らしいとも言えますね。
何とも物騒な背景を持った方のようなので、あり得る気がします。
マスコミと結託して国民を騙した人 (愛読者)
2015-12-08 14:35:09
>第一の覚悟・・・お慕いする皇太子さま「家庭の幸福」を知って頂くこと。

すごく、むかつきます。
これって、昭和天皇や皇后様が最も冷酷な両親だって言っているも同然。何様のつもりでしょうか?
さすが、成子様が亡くなられた後、悲しみを癒やすために静養している両陛下の所へ、夫婦揃って行き、くだらない愚痴を言いに出かけた無神経な方ですものねえ。

事実、昭和天皇や皇后様は冷酷な両親でありませんでした。

でれでれ草さんのブログもご参考に。
美智子様@なにもかも嘘ばかりという真実
http://e-vis.hatenablog.com/entry/2015/12/06/000000
検証から見えてくる何か・・・ (kiwa)
2015-12-08 15:45:02
ふぶきさま、連日の記事UPありがとうございます。

4枚目の写真に注目して、ひめゆりの塔事件を検索してみました。当時、皇太子同妃殿下の沖縄訪問に際して、3700人の警護関係者が動因されたとありますが、動画を見る限り火炎瓶を投下した犯人二人はいとも簡単に地下壕に潜入しているし、壕付近で咄嗟に警護関係者の行動があった形跡すらありません。

警護について、当時責任者のひとりだった佐々淳行氏が地下壕の安全確認を申し出るも沖縄県関係者からは聖域だから近づけないと断ったとの記録があります。警察関係者すら立ち入れない聖域に何故、いとも簡単に過激派二人だけが潜入出来たのでしょう。不思議だと思いませんか。なんだかこの訪問でも茶番劇が展開されたのではないかと [疑惑の火炎瓶] というフレーズが頭の中をぐるぐるしています。

https://www.youtube.com/watch?v=uJkPdpJ-qYs
佐々敦行さんと言えば (あさき)
2015-12-08 17:08:30
ふぶき様、
kiwa様、

佐々敦行氏と言えば、先帝陛下の大喪の礼の警護を最後に警察庁を退官されたようです。
後藤田正晴氏に関する評伝あたりにあったと思います。
(うろ覚えですが)

その中で、「「大喪の礼」の後、今上両陛下からは、何の労いのお言葉もなかった」、という記述を読みました。

佐々氏は、サラリと流すように書いていましたが、「天下の素浪人」になるきっかけだったのではないか、と、私は、想像します。


「自衛隊大っ嫌い」「日の丸・君が代嫌い。
先帝陛下は戦犯で、英霊は無駄な犠牲を強いられた人々。

日本は、未来永劫謝罪し続け、許してもらうには、日本国の存在を明け渡し、差し出さなければならない。

わたくしは、そのための殉教者。アレルヤ!」
こう言って、うっとりしている美智子の様子が浮かんできてしまいました。

冬の夜話です。
牧野純子東宮女官長 (柘榴)
2015-12-08 17:26:24
週刊新潮 '06.3.2 の記事で

> 流産のショックと度重なる苛めで、神経が衰弱された美智子様は
> たった一人で葉山御用邸に2ヶ月半も籠られるのです。
> 見る影もなくやつれた美智子様に皇太子様(今上陛下)が心を痛め、
> 夏、女官長たちとご一緒に食事をされた時、牧野女官長をにらみつけ、
> 彼女は女官長を追われるのです

とあります。
矛盾していますね。

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1042539272.html
稀有な演出力 ウソで塗り固めるとも言いますがね。 (ラピスラズリ)
2015-12-08 18:12:40
ヒビあちこちであぶり出される皇后の真実の姿はまるで燎原の火の様に静かに燃え広がっていくと思います。
24歳の社会経験もない若い女性とは思えない大体発言を数々しているのも驚きです。
皇太子の仕事を「寂しい」と捕えていますね。こんな根性で皇室に乗り込んでいったのなら、迎える側ときしみがあっても仕方ありませんわ。

他にも皇太子について「健気に生きて来られた」という表現もしています。
何と思いあがった上から目線かと不快感を覚えますわ。
健気という言葉は上の立場の人に使っては絶対に失礼になる言葉です。
それをよりによって将来の天皇になる人に平気で使ったところに美智子嬢の傲慢さと自信が顕われています。
これでは世情にも人身にも疎い青年を掌の上で転がすようになるのは時間の問題だったでしょう。
一言で言ってしたたかそのもの。
特に独身時代の写真の面構えは楚々としたところは微塵もなく、堂々と強い視線を放っているものばかりです。

婚約会見の時の落ち着き払った並みいる記者と林立するマイクを前に少しも動じることなく堂々と答えていた姿はとてもうら若き深窓の令嬢からはかけ離れた人慣れした風にも思えます。
常々、美智子さんは本当に上流階級の家庭の深窓の令嬢だったのかという疑いを捨てきれませんが、よくあの時代の皇室に入れたものだと思います。
ふてぶてしいまでの落ち着き。
これは皇室を平伏する存在として敬うようなあの時代の普通の日本人とは違った育てられ方にも原因があるのではないでしょうか。
母親の冨美さんが「皇室を特に敬うべきものとしては教えなかった」様な事を言ったと読んだ記憶があります。
この親にしてこの子あり。冨美さんの影響は大きかったと思います。
よくこんな人があの時代の皇室に、しかも皇太子妃、未来の皇后としてよくは入れたな、と雅子ヒと同じ感慨を持ってしまいます。

ナルちゃん憲法の細々とした指示。
これは今読むと母親の深い愛情と配慮以外のものが見えてきます。
靴を履かせる時は靴だけに集中して、とかながら行為もさせないでというようなことが書かれてあるのを見てピンとこない人は少ないのでは。
ナルちゃんも多動傾向があった子供だったのでは。
少しもじっとしてなくて言うことをじっと聞くことが出来ず指示に従えない。
ふぶきさんご指摘の様に言葉で言うことがなかなか出来なかった面も透けて見えますね。
これも見事に慈母と可愛いナルちゃんの物語に変えてしまった美智子さんの演出力はこのころから冴えていたのですね。
これに味をしめて現在まで都合の悪いことは持って隠しての手法を駆使しているのでしょう。
しかし真実はいつかはばれるもの。
その覚悟をしているようには見えませんが、突きつけられる時は必ず来ると思います。
佐々氏の発言の重み (kiwa)
2015-12-08 19:02:04
>あさき様

佐々氏は、皇室への崇敬の念篤い国士さまですよね。私もうろ覚えですが、浅間山荘事件で陣頭指揮を執った折り、昭和帝からの労いのお言葉を賜ったと仰っていたと記憶しています。

それから、テレビで7,8年くらい前の発言だったと思いますが、雅子妃が立后したら皇室の権威は失墜します、と明確に断言していたのでとても驚きました。公人の身を退いていたとはいえその発言の影響力は大きいですよね。

その時に秋篠宮さまを摂政として即位させ、紀子さまを摂政宮妃とはっきりと身位を確立するべきではないかと明言なさいました。私は、その時もしかしたら上層部ではそれで了解されているのかなぁとも感じました。
後藤田正晴氏の発言 (あさき)
2015-12-08 19:58:30
ふぶき様、
kiwa様、

秋篠宮様を摂政に、という佐々氏の発言、ありましたね。
廃太子・廃妃論の前後だったように思います。

佐々氏の本には、後藤田正晴氏の発言もありましたね。

雅子入内に反対したのは、先帝陛下だけではなく、後藤田もでした。
警察官僚としての経験から、「雅子さんが入内したら、皇居前にムシロ旗が立つ」と言って反対したそうです。

雅子のチッソとの繋がりについて知っていたための発言でした。

美智子と第二水俣病の関わりも、つかんでいたかもしれません。
公安警察のトップにいた方ですから。

後藤田氏を手本としている佐々氏の意見を、また、聞いてみたいと思うことが、最近、増えて来ました。
佐々氏なら、どう考えるだろう、と。
Unknown (茉莉花)
2015-12-09 01:03:58
本日やっとBlu-rayの機械が接続できたので久々に 水版エリザ観ていて思ったのですが
皇室(王室)の伝統を私流に、あたくし流を押し通した
マリーアントワネットのブルボン朝しかり、エリザベートのハプスブルグ朝然り
で、王朝が途絶えてるんですよね。
これって日本の皇室にも当てはまるのでは?
とちょっと怖くなりました。
次代がすでに壊れてるしね。次代を変えなければ本当にこのばーちゃんに壊されるぜ!
とそう感じました。


どなたかのブログで
このばーちゃんの目が最近は爬虫類の目にみえるって書いてあったけれど

私もそう 見えるんですよね。

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