ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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テレビチラ見

2007-12-27 15:24:38 | ドラマ・ワイドショー

 年末年始のビデオ録画ってものすごい量になりませんか?

あれもこれも・・と思っている間にHDDがなくなるっ!てな騒ぎに。

正月3が日の録画予約だけで頭の中が一杯です・・・・

ごくせん・華麗なる一族・のだめ・・一挙放送なんだもん。おまけに

相棒」再放送に元旦スペシャルもあり・・・・「SP」もだっ)

そんなわけで地上波を半分見てはビデオに移り・・なんてやって

いました。

 天国からの手紙 

途中まで見ました。

この番組、とにかく姫が好きで

「思い切り泣けるからっ」とのたまった通り、昨日も画面見ながら

ティッシュで鼻をちーんとやりながら一生懸命見てました。

私も見てたんですが・・・今回はあまり泣けなかったなあ

番組の中で語られるエハラーのメッセージや行動パターンが

見えて来たせいもあるけど

 

依頼者の家に行くと、必ず亡くなった人がそこにいる・・・

自分を責めないで。生まれて来てよかった。体を大事に

というメッセージの繰り返し 画面見ながら

「そうは言っても素直に納得できないよーー悲しいよ」と思って

しまう自分がいたりしてね

 わずか21歳で子供を残して亡くなった彼。そこの家はお父さんも

早死にしている 2代続けて一家の主が早死にするって・・

やりきれない連鎖の方がインパクト強かったの。

 自分の娘をひいて死なせてしまった母

いくら娘が「よその人でなくてよかった。お母さんでよかった」と言っても

加害者になった親の気持ちは早々癒されるものじゃないよね。

何でわざわざ母親に・・という思いの方が強くて。

 海で死んじゃったお父さん。いくら子供のせいじゃない。

海が原因ではなく心臓発作が原因とはいえ、あの日、海に

行かなかったら・・・とか思う。

 自殺しちゃった旦那さんの奥さん。自殺した人は浄化されないのね。

やっぱり自殺しちゃいけないのよ。エハラーの癒しでやっと楽になった

奥さん。こちらはちょっと泣けました。

せっかく素晴らしい番組の趣旨に水を差して申し訳ないけど

今度はぜひ犯罪被害者からの天国の手紙を・・・お願いします。

 

 昭和の真相・・・1989年 

これも昭和天皇崩御の部分しか見ませんでしたが・・・・

さすがにテレ朝だなーと思ったのは、いわゆる昭和天皇の病気報道

に連動しての「自粛」ムードが非常に強権力的に映ったという話

戦前の「不敬罪」復活か?みたいな語り口だったのが気になりました。

確かにあの頃、テレビ番組やお祭等の「自粛」が問題になった事は

ありました

でも、それだけ昭和天皇の存在が大きかったって事じゃないのかなあ・・

 

 それにいわゆる「富田メモ」をさりげなく出して「靖国神社に

参拝せず」を絡めたあたりがいかにも左翼っぽくて嫌でした

 

 加齢によって公務の削減を検討する侍従に対して、昭和天皇は

それを一切認めず、最後までペースを崩さなかったこと。

これは今上もすっかり同じで、やっぱり親子なんだなと思いました

当時は皇太子夫妻が地方と外国公務を請け負っていたと思いますが

それでも天皇の公務は多忙

簡単に肩代わりというわけにはいかないものですよね。

足取りがおぼつかないのに最後の戦没者慰霊祭へ出席する天皇の

姿は痛々しくて

 

 夏は2ヶ月も那須の御用邸で静養していた昭和天皇。

今上は年間数日・・・皇太子夫妻に比べても格段に少ないのね。

昭和天皇は御用邸で散策を趣味にしていたそうですが、同じ御用邸で

毎日遊園地やらグルメやら遊びまわる孫に何かおっしゃりたいことが

あるのでは?

 

 昭和天皇には非常に親身になってくれる側近がいた事。

これがハードな公務生活を支え、天皇としての威厳を支えたのだと

思いましたが、今上の時代になり、戦前を切り捨て戦後の新たな

皇室を模索している両陛下に有能なブレーンはいるのでしょうか?

また皇太子はわざわざブレーンを遠ざけるような事をして、孤立感を

深めているようですけど、今後・・大丈夫なのかと思います。

 

 昭和天皇崩御の日。あれは土曜日で曇りで寒かった。

職場では「崩御により本日の業務はなし」という事で、すぐに

帰社したんですが・・・あちこちに「大行天皇」という文字と半旗が

あって物悲しかったです

二重橋まで行って記帳しようかと思ったけど、あまりの人に

諦めて、銀座に出たらデパートのショウウインドウが全部真っ黒な

服になっていて・・・この素早さにびっくりしたものです

 

 大葬の儀が行われた日はものすごく寒くて、雪が降ってました。

昭和を振り返る特集番組を見ながら、とっても悲しくなってビールを

飲みながら泣いたのを覚えています。

私にとって昭和は両親が生きた時代、そして私の青春時代でも

あったわけで・・・それが遠くに消えていく寂しさと、

昭和天皇という人に多少の親しみを感じていた自分にびっくりしたものです。

今、皇室がこんなにごたごたしていて・・・時々、相撲観賞しながら

両手で手を叩いている昭和天皇の映像などを見ると、

「あの頃はよかったなあ・・平和で」とやっぱり涙が出てきちゃう。

あの頃、皇室は確かに「日本人の理想の家族」であったし、

昭和天皇は日本国民と歴史を共有した生き証人でしたよね。

 

 1989年はベルリンの壁崩壊、昭和の終わり、色々な

意味で節目の年でした。

夏が来て「礼宮様ご婚約」発表と共に来た「紀子様ブーム」

うちの旦那は次男で・・長男がまだ結婚していないのに先に結婚

しようとはどういう了見だっと舅がめちゃくちゃ怒って反対して

いたのですが、この礼宮の婚約で「皇室もそうならしょうがない」

と反対を取り下げてくれたお陰で、私は9月30日に無事に

結婚する事が出来ました。

 

 元号が平成に変わると、美空ひばりとか手塚治虫とか

昭和を代表していた人が次々亡くなって、本当に寂しかったです。

そして来年は平成20年。

昭和は遠くなった・・・・・・

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2 コメント

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周りへの御配慮 (金魚)
2007-12-27 21:52:46
>足取りがおぼつかないのに最後の戦没者慰霊祭へ出席する天皇の姿は痛々しくて

ぶざまに転倒したら恥として、お若りし頃から非常に慎重に御歩きされてました。ご高齢になりますます万全をきされたこともあるでしょう。
フォード大統領がすっころんだのはみっともなかったですもん。
けっこう、外国の元首は転倒してる・・・。
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Unknown (ふぶき)
2007-12-28 07:38:59
金魚さま、こんにちは。多分私達はそういう昭和天皇の厳しい自己規制のお姿を見て尊敬の念を抱いていたんだと思います。
自分を律する・・・言葉としても重いし、誰にでも真似できることではありませんから。
返信する

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