2007年6月1日 長野県訪問
雅子様は、とにかくどこかの御用邸か、奥志賀へ行くのがお好きで、自由な時間を満喫していました。
「もう縛られた時間は嫌い」と堂々と公言しました。
「私は皇室に入ったのは義務のようなもの。好きじゃないのになぜこんな思いをするの?」と毎晩大野医師に電話をし、
「妃殿下は考えすぎなのです。あまり考えこまずにお薬を飲んでお休みください」
「じゃあ、先生は主治医なのに私を見捨てるの?」
「そうではありません。そうではありませんが、規則正しい生活も必要なんですよ。ご自分で努力しなくては」
「努力してるわよ。もうどれくらい努力してると思ってるの?無意味な事ばかり。私は意味がない事はやりたくない」
そんなどうでもいいやり取りがずっと続くので大野先生はすっかり参ってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、週刊誌に「大野医師スパイ疑惑」が出てしまいました。
東宮御所の中では密かに噂もたっていました。
「雅子様は、大野先生に恋をしているんじゃない?」
「あら、皇太子様はご存知?まさかね。寝取られているなんて」
「仮に本当だとしても平気よ。皇太子様は意に介さないわ。あの雅子様が期限が良ければそれでいいんだもの」
そもそもが広い東宮御所で別居生活しているようなものですから、皇太子様は雅子様がそんなに大野先生と親しくしているとは思いませんでした。
最も、妻にそれを聞く勇気すらないのですが。
大野先生が北朝鮮と癒着している疑惑はかなり大きく報道され、いくら関係ないと言っても週刊誌にしつこく追いかけまわされました。
「東宮と親しくなるとこれだ・・・」と大野先生は思い、適度に距離を置く事にしたのです。
雅子様はそのつもりでも、宮内庁では何とか雅子様を公務復帰させたいと思っていました。
ですから、無理やり長野の「みどりの愛護のつどい」という地方公務を入れたのですが、そこでも大問題が。
最初は好きな長野に来られて嬉しい雅子様は、終始にこにこしていました。
ところが、その日の皇太子様との地元の工場を視察するのは「嫌」と言い出したのです。
「向こうはお二人をお待ちなんですよ」
「何でこの私がそんな所にいかないといけないのよ。勝手に行ってくればいいじゃない。私はみどりの愛護のつどいの為に来たんであって、工場視察に来たんじゃないわよ」
雅子様は言い放つと、一人で部屋に入ってしまいました。
「雅子がああ言い出したら聞かないから」と皇太子様は自虐的に笑いました。
その笑いに宮内庁職員も皇宮警察も、一抹の不愉快さを覚えて黙り込みました。
一人いないだけで、警備の数を分散し、相手方に伝え、時間の配分を書き直す。それがどんなに大変か、雅子様はおわかりにならない。
結果的に、雅子様はホテルに残り、ラウンジでワインを飲んだり、庭を散策したりとやりたい放題で、警備の者はその度に振り回されてしまいました。
ホテルの従業員もうかつに皇太子妃と遭遇するとやっかいなので、仕事になりません。
でもそんな事は雅子様にはどうでもよい事だったのです。
2007年6月2日 みどりの愛護のつどい
次の日のみどりの愛護のつどいは表面的にはうまくいったように見えましたが、その裏で、雅子様が関係者との食事会をドタキャンしてまたも大騒ぎになりました。
「ああいう食事会は今後も出るつもりないから」と言い放ったのです。
関係者は驚くと同時に「何か粗相があったのか」とお付きに詰め寄るし、皇太子は「まあ、いいじゃないですか」と笑っているし。
みな釈然としない空気を持ちつつ食事会に臨みました。
長野県こども病院
実は皇太子様は先の健康診断で胃にポリープがある事がわかりました。
結構な大きさですが、悪性ではないと判断され、手術の日も6月5日と決まっていたのです。
驚いたのは両陛下です。
皇族方は年に一度の健康診断を欠かす事はありません。それというのも、少しでも体調不良が見つかれば国民が心配するし、何より公務に差し支えるからです。
ゆえに、両陛下も定期的に健康診断をして、その結果を発表してきました。
ところが、皇太子夫妻は何年も健康診断を受けていないというではありませんか。それは勿論、人に体を触られたりするのが嫌いな雅子様もせいでした。
ポリープが大きくなるまで気づかずにほっておいた事に、両陛下は非常に傷つかれ、また怒りを感じたのでした。
2007年6月5日 東大病院に入院する皇太子
周囲の心配をよそに、雅子様は全く心配などしていませんでした。
むしろ、病気を理由に外出出来るのが嬉しいと言った感じです。
皇太子様のお部屋は東大病院の最上階にあるVIPルームで、まるでホテルのスイートルーム。
雅子様はすっかり気に入ってしまいました。
しかもレストランは精養軒が入っているのです。
手術を前に、食事制限がある皇太子様を横に、雅子様は精養軒のメニューをずっと見続けていました。
2007年6月7日 東大病院に到着
手術は、腹腔鏡でやる手術ですから、あまり大げさではなく傷の治りも早いのです。
雅子様はそれを知っていますので、まるっきり心配する事もなく、精養軒からナポリタンやかつ丼を注文して食べながら手術が終わるのを待ちました。
皇太子がいない部屋は雅子様も宝物のような部屋に代わり、スマホ片手に食事して雑誌読んで・・・大そうリラックスしていました。
無事に皇太子様は手術が終わり、病室に帰って来た時はまだうとうとしていましたが、「寝てるわ~~」と雅子様は笑い、「このままで大丈夫ですね」と言いました。
看護師も医師も雅子様の言葉が理解出来なくて怪訝な顔をしましたが、雅子様は全然気づかずに、ただ面白そうに皇太子様の顔を覗き込んでいたのです。
2007年6月9日 皇太子の見舞いに行く
2007年6月9日 三四郎池を散策
9日は、マスコミも入れて一家の散歩が公開されましたが、どういうわけか雅子様も愛子様も何度もお着換えになり、雅子様の尋常ではないうきうき感が伝わってくるようでいした。
小さな愛子様は勿論、お父様の病気がわかる筈もなく、なぜここにきているのかもわからないような感じで、三四郎池で鯉にエサを上げても、やり方がわからないので袋ごとぼちゃんと投げ入れるような感じでした。
その日も、精養軒から注文を取り、まだ病院食の皇太子様を横に、雅子様と愛子様はごちそうを食べていました。
2007年6月12日 退院
ようやく退院された皇太子様は、少しやせておられました。
けれど、7月にはモンゴル訪問も控えています。
雅子様はイギリスならともかく、モンゴルなんか行きたくありませんので、早々に「同行せず」と発表させました。
公務のえり好みはオランダへ行っても改善する事はありませんでした。
旅行先で知り合って遠距離恋愛で結婚された息子さんの嫁さんが、精神疾患になって引きこもりのような状態になり、息子さんは毎晩深夜に3~4時間も話し相手をさせられて疲れ果て、やっとの思いで離婚。お子さんがいなかったのが幸いでした。
離婚して分かったのは、結婚前にも精神科に通ったことがあったというのです。
先日の一時帰京の疲れ果てた今上の様子も、その息子さんとダブります。
恐らくあの今上の姿は、車内で爆睡して寝起きだったのでしょう。
コレで皇室外交とは。まあアレらはいつでもどこでもこうです。