2001年1月1日 新年祝賀の儀
2001年1月2日 一般参賀
2001年1月10日 講書始めの儀
2001年1月27日 国体冬季スキー大会(長野)に出席
公務ついでにスキーで遊ぶ
週刊新潮 2001年3月8日号
「TEMPOタウン 南ドイツ新聞が報じた皇太子殿下ひやかしの品位」
Tote Hose―直訳すれば「死んだパンツ / ズボン」となるドイツ語だが、俗には「空っぽ」「(性的)不能」といった意味をも帯びてくる。
高級紙『南ドイツ新聞』が購読者に無料配布している『SZマガジン』(2月23日付)は、その文字を皇太子殿下の写真の下半身に貼りつけてしまった。
女性自身 2001年3月20日号
「皇太子さまに死んだズボンの侮辱」
2001年3月21日 鑑真和上展鑑賞
2001年3月26日 ノルウェー国王夫妻来日
2001年3月、東大の堤治教授が御用掛けに就任
2001年4月4日~6日 雅子妃は「風邪」を理由に公務をキャンセル
2001年4月8日 アジア太平洋経済会議出席
2001年4月10日 リトアニア大統領歓迎昼食会は欠席
2001年4月16日 「雅子様ご懐妊」の号外が出る
2001年4月17日 春の園遊会 雅子妃は欠席
2001年4月18日 紀宮誕生日食事会出席
FOCUS 2991年4月25日号
「雅子妃ご懐妊宮内庁発表までのタイミング」
「新聞各社も踏み切れなかったスクープ」
週刊新潮2001年4月26日号
「今度は大丈夫でしょう・雅子妃「兆候」報道でホッとした人達」
女性セブン 2001年5月3日号
「寿詳報雅子妃ご懐妊に名医」
週刊現代2001年5月3日・12日号
「スクープ12月Xデーに向け進行中!雅子妃(高)出産極秘プロジェクトの全貌」
アエラ2001年4月30日・5月7日合併号
「雅子妃の繊細な16ヶ月」
週刊現代2001年5月19日号
「スクープワイドこの人に事件だっ!大モメ!こんなことで大丈夫か雅子妃の医師団が決まらない」
2001年5月18日 イギリス訪問する皇太子を見送る雅子妃
2001年6月5日 メキシコ大統領夫妻を迎えての午餐会
テーミス2001年6月号
「雅子妃ご懐妊の波紋・堤東宮御用掛を投入した皇室の危機裏事情」
「湯浅長官に向けられた「女帝論争」
2001年6月16日 香淳皇后1年祭
2001年6月24日 学習院定期演奏会に出席した小和田関係者
2001年5月27日 フローレンスナイチンゲール紀章に出席
2001年7月10日内着帯の儀を終えて
2001年8月3日 那須へ静養
2001年10月16日 スウェーデンのヴィクトリア王女と
2001年10月26日 着帯の儀
週刊ポスト 2001年12月7日号
「皇太子妃雅子様出産で皇太子殿下の「子育て」は?」
2001年11月30日 陣痛で宮内庁病院へ
陣痛が起きている時にこんな風には笑えないし、手もふれないでしょうね。
いわゆる帝王切開だったことは確かです。
それにしても、全ての検診に同伴した皇太子は当時は理想的な夫って言われたんですけど。
それにしても、この方のお帽子も大きいですね。
大黒様と言えば、皇太子殿下に似てるみたい~
いや、花咲か爺さんにも似てますね。
大した花は咲いてないですけれども。
京唄子&大黒様、花咲か爺さん?
結果的には、雅子さん次第というか、雅子さんが出産に積極的でさえあれば、お子さんができにくくとも、最先端医療でなんとか、となったはずです。
実際、愛子さんもしぶしぶ体外受精に応じてできた、徳仁さんは少なくともお立場は解っていたでしょうから、もうひと頑張り、雅子さんが不妊治療を努力すれば、親王だってと思わないではありませんでした。
無論、東宮に親王がいなくてかえってよかったと、今は思いますけれども、まさか、ここにきて愛子さんを天皇にという声が出るのであれば、せめて親王であるべきですから。
こうなると、悠仁親王殿下は国民の宝、お守りしないといけません。
私は雅子さんとは同世代なのです、感慨深いものがあります。
古の頃より、高貴な家であっても最下層であっても、日本でも海外でも、嫁いだ先で嫁が自分の居場所を確保するのには跡取りの男子を産むことでした。
良いお家柄なら、何としてもお種を頂戴し、産まれた子供が女子であれば責められ、流してしまおうものならば、責任を追及されたものです。
だからこそ、第一子に男子をあげれば人生は約束されたようなもの、
男子を二人もあげられたからこそ、美智子さんの女帝たる今があるのではないですか。
雅子さんの母の優美子さんは、
皇室に入ってしまえば、どうとでもなりますから、
そのような考えだったようですが、思慮が足らなかったですね、
男子を産めば、ですよ、
さっさと子供を産んでいたら、今よりはもっと皇室の居心地が良くなり男子ならその後は安泰の左うちわだったでしょうに。
美智子さんと言う手本が身近にありながら手本にしなかった雅子さんは人としても女としてもバカとしか云いようがないですね。
教え諭さなかった優美子さんも、目先ばかりに目が眩む同じ性質のバカでしょうね。
嫁いだら当然、子供が出来ると思ってた周囲もバカ、ブライダルチェックは徹底されるべきでした。
娘の使えなさを見抜けなかった小和田の父もバカですね。
バカに振り回された25年だったとつくづく思いました。
なんとかの一つ覚えって言葉がピッタリですよね…
これまでもそしてこれからも手を降り続ける雅子であった…
皇后へのカウントダウン始まりましたね…
あ~虚しい…
雅子さんは即位に向けての一連の儀式を乗り切ることができるのでしょうか。嫌いな人ですが、儀式では国の面子がかかっていますから何とか取り繕う事が出来れば良いのですが。
周りの人間には、また国民にとってもつくづく難儀な雅子さんですか。