ふぶきの部屋

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旧日本軍が組織的な戦闘を終えた日

2019-06-24 07:00:00 | 政治

 正直、こんな表現の仕方をする国は日本だけじゃないの?と思います。

旧日本軍が組織的な戦闘を終えた日」というのはいうまでもなく1945年6月23日で、いわゆる「沖縄慰霊の日」です。

今までは素直な気持ちで6月23日は慰霊の日だと思って来たし、素直な気持ちで黙とうして来たのですが、今、沖縄自体に対してとても複雑な気持ちです。

私は太平洋戦争というのは避けられなかったと思っています。それは世界中がそうであったからです。どこにも平和な国はなかったし、なんらかの形で戦争に巻き込まれていったと思うので、日本だけが悪い、日本は悪の枢軸国であったという意見には反対です。

6月23日は沖縄戦が終結した日であり、沖縄が負けた日です。

そしてこの日は、アメリカが何の罪もない沖縄島民を火炎放射器で虐殺した戦闘が終わった日です。

「旧日本軍が・・」というと、主体が日本で沖縄を攻撃したようにとれてしまうのではないでしょうか。

玉城知事の

「(辺野古移設について)民意を尊重せず、地方自治をないがしろにするものだ」

「全ての人の尊厳を守り誰一人取り残すことのない多様性と寛容性にあふれる平和な社会を実現するため、全身全霊で取り組んでいく」

という挨拶もどうかと思います。

70以上経過しているのに被害者意識が強すぎるのでは。

「我々は見捨てられた」っていうけど、船も飛行機もない日本軍がどうやって住民を守ることが出来ただろうか。そんな事百も承知のアメリカが民間人を虐殺したという事実が問題なのではありませんか。

こんなにも沖縄が「反日」になってしまった原因に、上皇・上皇后の肩入れがすぎたこともあるんじゃないかと思います。

昭和天皇は最後まで沖縄に行けなかったことを気にしていらした。

でもそれは天皇として沖縄の人達に対し、「苦労をかけた」とおっしゃる為であって、「あなたたちは被害者で気の毒な人です。国の犠牲になって。そんな必要なかったのに。日本がもっと戦争を早く終えていればね・・・」という為ではなかった。

戦後、初めて上皇夫妻が沖縄へ行った時に火炎瓶テロがあり、それに負けなかった偉大なる「皇太子夫妻像」が形成され、当時、皇太子だった天皇は「それほどまで自分達は憎まれているのか。やっぱり昭和天皇の罪を背負うのは自分達しかいない」と思ったんだろうな。

沖縄だけでなく、北方領土もそうだし、どうしても本土から遠い上陸しやすい場所は狙われる。防衛線になりやすい。それは摂理です。

だから日本は最初に真珠湾を攻撃したんでしょう。

今、中国、韓国、北朝鮮、ロシアとはっきり言って敵国に囲まれている日本にとって遠島や海の近くは非常に狙われやすく防衛の為の準備をきちんとしなくてはならないのです。

住民の避難はどうなる。命を大切にしてないとマスコミは書くけど、本当の戦闘になったらたとえそれが自衛隊であっても、一人ひとりの住民を気遣っている暇はないでしょう。

それはそうなりそうな時に、住民が自分達で考えどうするべきか決めるべきでは。

災害などの時は頼りに頼るのに、いざ、国の為に戦闘となるというと否定する・・なんておかしな話です。

私は6月23日を軽視しているわけではありません。

ひめゆりの塔」は映画も見ましたし、本も読みましたし、その場に自分がいたらどんなに恐ろしく苦しいことだったろうと戦慄しました。だからこそそんな理不尽な目にあってしまった沖縄の人達を気の毒に思うし、遺族も辛く悲しい日々を送って来ただろうと思います。

いつか沖縄へいったら摩文仁の丘やひめゆりの壕へも行きたい。元気なうちに慰霊の旅を行いたいと思っています。

しかしながら沖縄は毎年注目されるし、碑も立てられ、皇室がひときわ目をかける場所であるのに対し、占守島はどうであったか。樺太の人達だってどんなにひどい目にあったか。

両極端な場所で両極端な扱いをされているということが信じられないのです。

私がいた仙台においても学校のそばの大年寺山が焼け、ものすごい空襲を経験しています。

日本中そうだったのですよ。

確かに旧日本軍というのは、官僚化して軍部の内部で混乱し、隠蔽し、ひどい組織だったなと思います。

しかし、前線で戦っていた兵士たちはそうではない。あるいは、戦場にいた司令官などは決して国民をないがしろにしたり、自分達だけの利益を考えたりはしていなかったと断言します。

沖縄に関しては「集団自決」という嘘まで書き立てて、日本を悪者にしている。

何でそこまでやるんだという気持ちでいっぱいです。

戦前も戦後もマスコミの体質は変わってない。そして騙されている国民性もまた変わっていないのだなと。

そういえば「ご黙とう」なさったようで何よりですわ。

 

 


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5 コメント

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Unknown (ゆうこ)
2019-06-24 07:47:37
違うブログのコメントで読んだのですが、沖縄もなかなか複雑なんですね。もともと沖縄の王族貴族は見た目色白で本土の人と見た目が一緒だそうです。日焼けで色が黒かったり体つきがガッシリして居るのはその他一般庶民。

それが何故か今も県庁や市役所の職員にそのような方々が多く見られるとのこと。権力構造は変わってません!と言われてしまいました。

今韓国が凄いことに成っています。中国も経済がガタガタですが先に韓国が経済破綻が起きてIMFのお世話に成らざるを得ないのでは?と言う状況です。しかもそうなった原因は自分達にあると解っていてもどうしようもない。ただ手をこまねいて国が破綻するのを見ているだけの話。何故なら文大統領の狙いがそこに有るから。文大統領はロベスビエールに成りそうです。
それに比べれば沖縄は日本だし、ヨタヨタしながらもやっていけると私は思っています。
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Unknown (はじめまして)
2019-06-24 11:06:18
こんにちは。いつも興味深く読ませていただいてます。私は、ふぶきさんの知識もないのですが。
平和ボケは素晴らしいことなんですけど、それに甘んじてはいけないと、沖縄へ平和旅をしてきました。
衝撃でした。学校で習った教育と事実は全く違い、映画やドラマ、小説と、生の声は全く違いました。
辛かったです。
沖縄は、行っておくべき場所だと、思いました。
返信する
Unknown (るる)
2019-06-24 14:19:29
沖縄は見捨てられたとよく言われますが、そうではないはずです。
「捨て石にされた」と主に左翼系の人が感情を煽るためにいうのです。
それを信じる情弱の人が騙されているのだと思います。

数字でみるとよくわかると思います。
戦争末期、本当に沖縄を捨てるならば
戦艦大和を向かわせないでしょう。

本土から出撃した特攻機1000機以上。
主に知覧から。
すでに戦う武器も戦闘機も艦もないのに総結集したわけです。

これだけでも日本がどれだけ必死だったかわかるはずです。
大東亜戦争の作戦は悪かったかもしれません。
しかし前線では必死だったことがこれらでもわかりますね。
兵士も県民も。

沖縄方面根拠地司令官だった大田中将の最後の電信は涙なくして読めません。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

地政学上、沖縄がターゲットになるのは当然です。

何度か沖縄に行きました。
一度は海軍壕跡や慰霊の地を巡りました。

次は、怪し気な繁華街も歩き、車でビーチリゾートの開発のすごさも目の当たりにしました。

また、昨今では国道に蔓延る県外の人間か不明のプラカードを持ち、顔を隠した基地反対の人も見ました。
異常行動をしていました。


「沖縄は捨て石にされた」を被害者ぶってそれをネタに情報を操作するのでしょう。

焼け野原になった日本。
沖縄だけが被害にあったわけでもありませんよね。
基地があそこに集中しているのも地政学です。

離島奪還作戦の演習もあっているようですが、「奪還」の前に「敵国の占領」があるわけです。
その時には島民は殺されているでしょう。

こういうことはリアルに考えるほうが理解しやすいと思います。
感情で「可哀想」とだけ言ってもそこから何も発展できません。

返信する
Unknown (はらちゃん)
2019-06-24 19:52:38
占守島(しゅむしゅとう)をあげてくださって、ありがとうございます。
母方の実家が北海道でしたが、私もこの戦いを知ったのはほんの数年前です。
教科書にも取り上げられないこの戦いの結果、今、北海道が分断されずに日本の領土であることを、どれくらいの人が知っているのでしょう…

広島に原爆投下された翌日の8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って千島列島、樺太、北海道まで奪いとろうと不法侵攻してきました。
そして、15日の玉音放送の2日後の深夜、千島列島北東端、占守島に攻めこんできたソ連軍に対し、日本軍が祖国を守るべく戦ったのが「占守島の戦い」です。

玉音放送後、故郷に帰ることを心待ちにしていた守備隊は、自衛のため再び武器を取らなくてはなりませんでした。
ソ連に大打撃を与え、日本軍優勢であったものの、軍命により停戦に至ります。捕虜になった者はシベリアに抑留され、多くが命を落としました…


>前線で戦っていた兵士たち、あるいは戦場にいた司令官などは決して国民をないがしろにしたり、自分達だけの利益を考えたりはしていなかったと断言します。
その通りだと思います。
出撃命令が出たときに連隊長が言った言葉が伝わっています。
「〜われわれの命をもって民族の防波堤になるか。白虎隊たらんとする者は手をあげよ」
全員が力強く手をあげた。



太平洋戦争で地上戦が行われたというと、すぐ「沖縄」と思い浮かべることでしょうが、当時ここもまぎれもなく日本の領土でした。

占守島だけでなく、樺太にも多くの民間人がおり、犠牲になっています。樺太では女性達の集団自決もありました。
兵だけでなく民間人が犠牲になったのは日本中どこも同じでしたが、沖縄をはじめサイパンだのペリリュー島だの南ばかりで、本当になぜこうも両極端なんだと憤りも感じます。
肩入れがすぎるせいで政争の具にもなって、本当の慰霊などはどうでもいいのではない?との疑問もわきます。


沖縄戦などと比べて、上皇、上皇后様が北方に肩入れしないのは、例えば占守島のように「日本の防波堤」となったと言われる勝ち戦さでは、「あの戦争は日本が悪い、沖縄のように「国の犠牲になったお気の毒な人」という主張ができないからとも思います。
とにかく「国の犠牲になった方々に寄り添う」というパフォーマンスがお好きなようでしたから。
返信する
本当に (ポレポレ)
2019-06-25 00:40:58
戦争中は日本全土が悲惨な状態でした。
沖縄だけではありません。

沖縄は地上戦でした。
広島・長崎は後でも影響が残る核爆弾を落とされました。
本州は主に大都市を狙い、焼夷弾と機銃掃射での空襲戦でした。
模擬原爆の投下もありましたね。

どれをとっても、市井の人がたくさん亡くなりました。


沖縄には米軍が駐留してますが、その事もあり沢山の予算がつけられてます。
他の都市には無い事です。

米軍基地は本州にもあるはずですが。
沖縄の方にはそこのところもよく考えていただきたいです。

長文になり申し訳ありません。
最後に一つだけ、、
もし、ふぶきさんが沖縄に行かれることがありましたら、ぜひ、ひめゆり学徒隊だけでなく白梅学徒隊の方々の塔も参って欲しいです。
ひめゆりの方々のように知られていませんが、同じ運命を辿った方々です。
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