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ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

毎日が美智子さま  12

2019-03-27 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和45年3月、千葉・房総への旅行で。

まさにこれぞ美智子妃が考える「最高の私」スタイルではないでしょうか。

そもそもハイヒールで来ること自体が間違っているっていうのに。

バッグに手袋もって「皇太子殿下に手を繋いで頂いて」と自慢げ。


昭和46年2月、北海道のサッポロビール工場見学。

ターバン帽子がお気に入り。マフ・・・って今見ませんけど、ブルジョアの象徴でしたよね。


昭和45年10月、秋田県の八郎潟にて。

ミニ丈のチェックのワンピースに同じチェックのターバン帽子。

白いコートをつけて。帽子が姉さんかぶりのようになってます。

このころ、ちょっとやつれ気味で「いじめられてます」印象が最高潮に。

昭和45年10月、秋田県の雪沢山荘にて秋田犬を見学。女の子の顔が緊張でがちがち。


昭和39年3月、千葉県を旅行。

旅行っていうのは私的なものですね。意外と私的な旅行をしていたのだとわかります。

スーツと帽子があってないような気がするのですが。

 

昭和45年1月、母校である聖心女子大学の同窓会。

女官が手袋をしているんですよね。

モスグリーンの帽子も好きな方でしょうか。


昭和38年9月、山口国体にご出席した際にときわ公園を訪問

スーツの上にコートを着て、麦わらのような帽子。まさにかわいらしさ満開です。

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皇太子一家静養&佳子内親王武蔵野陵参拝

2019-03-26 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 やはり・・・というかやっぱりというか、何でどうして?

「即位を前に」静養しなくちゃいけないのかわかりません。

 即位を控え、皇太子一家が長野県入り

 1歳半の長女と見守った同市の主婦竹内聡美さん(41)は、新天皇即位を念頭に「身近に寄り添ってくださる存在だと感じた」

 今春、高校に進学する同市の柳本健さん(15)は同級生と一緒に列に加わり、「即位後の公務は大変だと思うけれど、応援しています」と話していた。

 どんな仕込みのプロ市民なんだ?と思ってしまいますよね。みんな学会のお仲間なのね。だから知らない人とでも会話が出来るのよ。じゃあ、皇居の勤労奉仕団が学会の人だったら会釈出来るのかしら?

愛子内親王の服がおかしすぎて・・・・どうやったらこんなケープをまとえるのか。

左右の長さが違うし、太って見えるし、とても今年本来なら受験生には見えないし?

何でこんな所に障害者が・・・と思うでしょ?これも「皇后陛下の慈愛」を示す為の仕込みなのです。回りにいる人達は常連。沖縄あたりでも活動中じゃないんですか?

皇后陛下の紀宮へのファッションもひどいもんだったけど、こっちはもっと。

雅子さんにセンスがないばかりじゃなくて、娘に必要以上に子供っぽい格好をさせるってどういうことなんでしょうか?

幼稚園児のようなバッグをお持ちで。ぬいぐるみ片手でも驚かない。

「来年も来てください」と言われて皇太子は「来られたら来ます」と答えたとか。

 

一方、大学卒業を昭和天皇にご報告の佳子内親王

 スマホのグーグル検索のところに出てくるニュースがあまりにも酷いので、こういうのってどこに文句を言うべきなのかしらと思います。

秋篠宮下げとかいうレベルじゃなくて、もう叩きというかあることないことを書きまくって「国民は失望している」だの「廃家にしろ」だのって言葉をどうどうとニュースにしてしまうんですよ。そんなこと書かれるいわれがありますか?

勿論、その中にはあのへんてこなブログも入っているけど、最近は「〇壇」とかいう言葉に出すのも嫌なくらいひどいサイトのニュースが毎日のるのです。

 

眞子さまのご結婚の件や佳子様のご発言に関して、様々なことを思うのは勝手だし、失望するのもわかるし、がっかりしたと思う気持ちもわかります。

けれど、そういう人は一体内親王に何を求めているのですか?

・学校は幼稚園から学習院じゃないとだめ

・留学はお金の無駄

・ダンスなんかやる必要なし

・国民の税金で暮らしているのに個人主義ってどうよ

・恋愛結婚はすべきでない。

皆皆さまのご意見を聞いているとこんな感じですよね。

じゃあ、幼稚園から学習院に行っている愛子内親王は内親王として理想なんですか?

30歳で覚悟して皇室に入ったのに見事に自分中心の皇室を作り上げた雅子さんがオランダで使ったお金は1億円。これはOKなの?

皇太子も、家柄や妃にふさわしい人を選んだのではなく自分の心だけで粘り勝ちしましたよね?それはいいの?文句をつけようがないんですか?

眞子さまとKKの事は私だって反対ですよ。決してあってはならない結婚です。

単なる身分違いというのではない、背景が怪しすぎます。

でも「眞子さまが小室に執着しているようで」とテレビで発言しているのは近重くらいです。あの近重が言うんだから絶対と思っていますか?

佳子様が「姉の1個人としての幸せを望む」という言葉がそんなに「佳子様は皇室をわかっていらっしゃない」ことになるんですか?私はそうは思いません。

 

 最初に恋愛結婚に拘ったのは今上であること

キリスト教や左翼からの勧めがあったにせよ、一目で正田美智子を気に入ってひたすら求婚しまくり、母親の富美さんと何か裏約束をして皇室入りさせたのはいいけど、後々富美さんは「約束が違う」と恨み言を残して亡くなりました。

身分も家柄も関係ない。戦後の民法を地でいく結婚をしたのは他ならぬ今上です。回りがどんなに反対しても、むしろ反対した人間を排除したのは今上です。

 雅子妃入内からずっといじめられ続けても反論しなかった秋篠宮家

それが子供達をどんな辛い思いをさせたか、大人のずるさやいい加減さを目の当たりにして、なぜに自分達だけ模範的な生き方をしなくてはいけないのか・・・と若い皇族が考えたとしても無理はないのでは。

ノルウェーのホーコン皇太子と結婚したお妃には、前の御主人との子がいて、王子になったけど王位継承権はなく、公務の義務もなく、現在不良のお兄ちゃん路線爆走中。きちんと立場を考えて上げなかった結果が招いたことです。

秋篠宮家では二人の内親王に「模範的な」生き方を強いて来ました。悠仁親王が生まれてからは「将来の天皇の姉」であることをあまりにも厳しく言い過ぎました。

あのサークルは駄目、このサークルもダメ、スケートもダンスもダメ、男子と2ショットで写真を撮られるなんて恥ずかしい。やってはいけないこと。あなたは不良なのか?と言われたかもしれません。

それでも眞子さまは口に出すタイプじゃないんでしょうね。

義務を粛々と行い「学問の自由」だけは謳歌した筈。たまたま、「ありのままの眞子ちゃんが好き」とでも言われたんでしょうよ。皇室の中が殺伐としすぎて寂しかったんだと思います。

その反動であり、ご両親や佳子様達と元の関係に戻れればいずれ目が覚めるのです。

本当にお可哀想な内親王たちだと思います。

今、悠仁親王も「学問の自由」すら奪われかねない状況になっていますが、学習院ならいいという周囲の偏見をなくすべきです。現在の学習院はただの私立学校にすぎません。

乃木大将もいないし、優れた教育者もいません。筑波も他の私立も受験生が一人落ちることになり不公平だからやめろ!なんて暴言を吐くなら、幼稚園のころから不登校なのに大学進学がほぼ決定している愛子内親王はどうなの?

学習院の子供達は目の前で起こっている不公平に目をつぶるしかない環境に置かれているんですよ。

おかしいのは今上と皇后、そして常識を覆した東宮家です。

眞子さまがどうの、佳子様がどうのという前に、皇族らしさを考えるならあと1月で即位なのに呑気に静養して遊びまくり、公務をサボる新皇后と、それに吊られてニタニタ笑っている新天皇、ご優秀でも何でもないのに「偏差値70」と嘘をついている称号つきの皇女に言うべきでしょ。

「うちの子は眞子さまと同世代だけどあんなんじゃない」っていう意見も多々みかけます。そうですか。よかったですね。本当にご立派に育てあげられておめでとう存じます。

でも・・・もうほんとうに「がっかり」は止めて下さい。まだお二人は20代です。私は眞子さまのりんとした姿に頼もしさを感じるし、佳子様の笑顔に癒しを感じます。マスコミやネットのニュースなどに同調しないで本当の内親王の姿を見て欲しいと思います。

「ふぶきの部屋」のコメント欄にそういう事を書き込めばみんな読むだろうと・・思ってますか?本当に「皇族らしくない」「皇室をわかってない」「自分勝手な姫たち」と思うのなら、そういうサイトはいくらでもあるのでそっちへ行かれてはどうかと。

 

追加 25日に東京駅を出発する両陛下

新婚旅行気分です。

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皇室典範について

2019-03-18 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ええええ私が悪いんです。どんなコメントもとりあえず反映しちゃうからね。どうみたって筋違いだよなーと思ったり、何いってるの?と思うのも多々あるけど、そこらへんは平等にと思っているのがいけないんですよ。多分。

そもそも火宅なんて言葉、今時の人、知らないし皇室問題に使う言葉じゃないでしょ。

檀ふみさんは大成功した口なんですかね?私は「連想ゲーム」でやたら頭いい女性っていうイメージしかありませんが。そりゃ朝ドラとかNHKさんには可愛がられていますけど、今持って独身じゃなかったっけ?阿川佐和子のようにはいかないような?

あ・・・話題ずれてます。すみません。

 女性皇族は結婚すると臣籍降下するので皇室会議は行われません。

 しかしながらどんな皇族でも臣籍降下したい場合は皇室会議を経てします。

 皇室典範は16歳以上の皇族は皇室会議を経て臣籍降下出来るとあります。

 大昔、三笠宮寛仁親王がやけになって「臣籍降下を申し出」たことがありますが昭和天皇はシカトして、皇室会議にもなりませんでしたけどね。

ゆえに眞子さまの場合、降嫁することがはっきりしていたからお相手の身辺調査はせず宮内庁が知らん顔していたらこうなった・・・という話です。いわゆる皇室において、親も宮内庁も把握していないお相手との「恋愛」は眞子さまが初めてではありませんかね?そこらへん、すごく油断していた部分があります。

私の過去ブログを読んで頂ければ皇室典範がどうして今のような形になったのかわかると思うんですけど・・・読まないよね。くに村さんは。

 養老律令 → 公家諸法度において皇族の範囲や生活について厳しく決められていた。

 すなわち、天皇以外は桂・有栖川・閑院・伏見の4宮家以外は宮家を作らせず、長男以外は全て親王宣下なし。

 しかし、幕末に幕府や討幕派の意向によって続々と「法親王」が還俗し、宮家を創設。その流れが明治の中期まで続く。

 伊藤博文は

皇位継承順位

・皇族の範囲(5世孫まで)

・皇族の役割

を定める為に皇室典範を作りました。

明治に沢山作られた11宮家といえども、5世まででいずれはなくなってしまうことがはっきりしていました。つまりその時の「天皇」がどんどん男子をもうけてくれなければ皇室は絶えるシステムになっていたのです。

「皇族は少なからず多からず」が政府の理想です。少なすぎても多すぎてもダメなのです。なぜなら明治時代から皇族は国費で生活していたので。

戦後は100%国費で生活する身になった皇族ですが、皇室典範の内容に関しては戦前と踏襲しました。が、唯一違うのは「永世皇族制」であることです。

たまたま三笠宮や高円宮に男子がなかったけど、もし生まれていればどんどんここから枝分かれして皇族が増えていたかもしれません。

 

では女性皇族の身分や役割はどうか。

明治維新まで女性皇族はたとえ武家と結婚しても「宮様」のままです。妻の方が位が高いわけですね。でもそれで箔付け出来る武家にもメリットがありますので、お返しに豪華な御殿を建てたり金銭的援助をしたりしました。

明治になると、明治天皇の4内親王と昭和天皇の長女・照宮がそれぞれ宮家の男子と結婚して新たな宮家を作りました。

また他の女王達もそれぞれ皇族か華族に嫁ぐのが常で、そこで後継ぎたる男子を得るのが大きな役割でした。華族に生まれた女性もまたしかりです。

昭和天皇のの弟君3人は、徳川・松平・高木家など華族から妃を貰い、昭和天皇の次男である常陸宮もまた華族から妃を貰い、昭和天皇の内親王方は全て元皇族・元摂家・大名家などに嫁ぎました。

ただ一人、皇太子明仁親王だけは平民出身の正田美智子と結婚したのです。

正田美智子嬢は皇室会議を経て正式な皇太子妃になったわけですが、その裏には左翼的なキリスト教信者たちの思惑がかなりあり、国会でも紛糾しました。

 正田美智子さんはキリスト教の学校出身で洗礼を受けている

 正田美智子さんは7人の人とお見合い経験があり、その一人と婚約しているという噂です。その人の名は波多野といいます。

など、生々しいやりとりがなされ、今だったらこんな問題が出た時点で「ご辞退」せよと世論がいいそうですけど、当時は「正田美智子の美貌に騙され続けた」わけです。

綺麗で大学出でその成績が優秀で実家が金持ちであれば十分に「妃」たる資格を得るのだ・・・ということですね。

昭和30年代から「詰め込み教育」が始まり学歴が全ての時代ですから、いつの間にか「ご優秀」であることが妃の条件になっちゃったわけです。

このことは、昭和天皇と香淳皇后という特別な存在で繋がっていた旧皇族や旧華族を見事に怒らせ、皇太子一家は四面楚歌・・・っていうか自ら家柄のよい方たちとの付き合いを断ってしまったのです。

ゆえに紀宮清子内親王の結婚話も進まなかったし、最終的に秋篠宮の学友に落ち着いたわけですよね。眞子さまや佳子様を取り巻く環境も、いわゆる「お育ちのよい」方たちとは違うでしょう。

「一般と同じように」が美智子妃のモットーで、どのレベルが「一般」なのか、それは正田家を軸としているんでしょうけど。

旧皇族や旧華族とのつながりを断ってしまったことは、女官や侍従といった側近からもその手の人達を排除してしまうことになり、一般的に「伝統」と呼ばれる事柄の中にあるあいまいで、継承した人にしかわからない「何か」をも排除することになりました。

だから「宮中祭祀」がおろそかにされ、科学的根拠云々なんて話が出るんです。

一般人やセレブから見ても皇族はやっぱり近寄りがたい存在であるし、ましてや学友指定されないのに友達になるわけにもいかないということで、みなとりあえず眞子さまや佳子様から声をかけられることを待つか、あるいは一切関わらないかどっちかしかないのです。

そんな孤独の中で突っ込んできたKKの勇気に眞子さまはほろっときたんだろうと思います。

それは皇太子もそうで、自分に対してタメ口をきき、ごちそうすればばくばく食べる雅子さんにほろっときたんでしょうね。

あ・・・また筋違いが。

だからつまり、現在の女性皇族は皇室典範の規定では何でもない存在なので、結婚も臣籍降下も全部自己責任です。

とはいえ、じゃあ、KKと結婚していいのか?というとそうではないんです。

なぜなら皇族は100%国費で暮らしているんです。厳密にいうと1円たりとも個人の資産ではありません。じゃあ、何でそこまでしてお養い申し上げているのかというと、それが多分戦前からの慣例だからです。

かのGHQは天皇とその一家、そして弟3人に関しては手を出さず、皇室典範も内容にちゃちゃを入れることはしませんでした。が、莫大な財産は没収。100%国から支給されるお金で生活ということになったわけです。

当時の日本人は、まさか未来の皇后がクリスチャンで首が痛いから祭祀はしないけどテニスはするとか、政治に口出しするとか思わなかったと・・・勿論、未来の皇太子妃が適応障害だの神道に論理を見いだせないだの、公務をほっぽりだして遊びまくるなんて考えもしなかったでしょう。

だからこそ、典範はそのままになったのです。

国のお金で暮らすようになっても両陛下及び東宮及び宮家は国家の安泰を祈り、つつましやかな生活をしてくれると信じていたのに、よもや「20世紀と21世紀のセレブ気取り」になるとは。

ましてや内親王を利用してのし上がろうとする輩が出るなど・・・想像も出来なかったのではないでしょうか。

新元号を迎え、本当は今一度皇室典範を見直す時期だろうと思います。

生前退位が認められた時点で、皇室典範なんて存在意義も価値もなくなっています。

なんせ称号すら勝手に決めちゃう天皇と皇后ですしね。

明治以来、皇室典範では「1天皇1元制」になっていますから、譲位だの退位などの規定を作る必要はなかったんです。気まぐれに元号を変えたりする弊害を恐れたからです。それが平成はやっちゃったわけです。

「天皇のお気持ち」が「気まぐれ」でなくてなんでしょうか?

それを許した政府、何の力も発揮しなかった典範や憲法にも怒りを禁じ得ません。

今上と皇后は定年退職する役員よろしく、あちこちで花束を受け取っては嬉しそうですけど、そういうものじゃないですよね。その地位は。自分達でその地位を貶めて何が楽しいのでしょうか。

眞子さまの結婚問題は大元からいったら正田美智子さんの入内に帰結します。

まあね・・こうなると「アナと雪の女王」のごとく、アナが実際にハンス王子の裏の顔を見て心を翻すのがもっとも簡単ですが、小室王子は入籍するその日まで仮面をかぶり続けるでしょうから、今、ひっぺがして裏の顔をまざまざと眞子さまに見せないといけません。眞子さまが見ていたのは夢と幻だったのだと。

 

とにかくコメントにコメント返しはやめてください。

 

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毎日が美智子さま 11

2019-03-15 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

週刊新潮によると、いつまでもKK問題が片付かないこと、そして小室佳代氏が行方不明であることにいら立っているとのこと。

警察出身の側近に「どうして行方がわからないのか」「それをやるのが仕事でしょう」と怒る。破談一直線なのになぜかKKのこの先の経済状態がどうなるか心配してみたり。変なの。

小室佳代氏は自宅に引きこもって一歩も外に出ないんですって。買い物はお父さんがやってるそうですけど、佳代氏の父って寝たきり設定じゃなかった?だって、マスコミに騒がれていたころ、一度も外に出なかったよね?

それが自転車で買い物に行ってるそうです。

自宅に引きこもっている理由はその方が得だからと思っているようです。しぶとく待っていれば金のガチョウが手に入ると本気で思っているのか?

でも、自宅にいることがわかっているなら引っ張り出せばいいじゃないかと思います。それこそどうやって生活してるの?バイト代がなくて遺族年金と父の年金だけで。不思議だなあ。

それよりも驚いたのは、皇后が先ごろ発売された即位30年記念切手の売れ行きを心配しているという部分。

はあ?記念切手が売れているかどうか?自分達がまだ人気があるかどうか気になっているって話?どこまでも俗っぽい。俗っぽすぎてもう救いがありませんね。

昭和40年2月。ラン展を鑑賞

定番のブルーにやっぱりふわふわの白帽子。

昭和40年9月、上野文化会館で行われたスラブ歌劇団コンサート鑑賞

礼宮懐妊中。光沢のある白いドレス。

3連パールのネックレス。手袋の手は決め手ですね。

昭和40年10月、浩宮の幼稚園の運動会に参加。

デザインは上記とほぼ同じでも、素材は夏仕様。

昭和41年11月。福岡県の身障者福祉センター訪問。

別な公務でも同じスタイル。

ツィードのツーピースはお気に入り。これでも地味にしているそうです。

でもどうしても横から見ると帽子ネフェルティティみたいで。

昭和41年11月、福岡市立養護老人ホーム訪問

愛用のファー帽子。


昭和42年1月。浩宮と一緒に音楽鑑賞

全身オフホワイトの光沢のあるドレス。理想の母子像といった感じです。

浩宮・・・何だかわかってる?わかってない?


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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 28

2019-03-12 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

  1999年1月1日 新年祝賀の儀

 一般参賀

 1999年1月14日 歌会始の儀

 

 女性セブン 1999年2月4日号

美智子さま(64)雅子さま(35)宮中いじめを乗り越えて」

 雅子妃赤坂御用地周辺を通行止め事件

 御所地域に住んでいた狸を雅子妃が肉などを与えて飼育

 東大の医師(堤教授)を中心に雅子妃懐妊プロジェクトチームが活動中

 

 サンデー毎日 1999年2月7日号

「雅子様の存在感」

何よ何よ、アタシだってグレたいわよ、子供子供って何さ」
 と、雅子さまは心の中で思われたかも?しれない。・・中略・・
それでもご成婚から5年も試練に耐えてこられたのでしょう。最近は腹をおすえになったのか、存在感もご覧の通り、“デーン”と増したご様子

 

 1999年2月8日 ヨルダンのフセイン国王葬儀に出発

 新国王と会談

 1999年2月20日 北海道でスキー

 

 週刊朝日 1999年3月12日号

「犬の散歩・天体観測・二重奏39歳誕生日会見で皇太子さまが明かしたラブラブ生活」

 「私たちは言ってみれば、夫婦一緒に共働きをしている、一緒に行動する、そういうような毎日を送っております

 共働き・・っていってもこの時期は公務に必ず静養や遊びがついていました。

 それに二重奏・・・ってフルートのこと?嘘ばっかり。


 1999年4月5日 ルクセンブルクのジャン大公同妃両殿下の歓迎式典

 1999年4月8日 東京商工会議所婦人会創立50周年記念式典でスピーチする雅子妃

 1999年4月5日 ジャン大公宮中晩さん会

 1999年4月8日 ルクセンブルク大公国展


 1999年4月11日 両陛下ご成婚40周年記念祝賀演奏会

 1999年4月17日 両陛下即位10年を祝賀する雅楽演奏会

 1999年4月22日 浅草仲見世


 1999年4月28日 緑の愛護のつどい立川市に


 1999年5月1日 瀬戸内しまなみ海道開通記念行事のため愛媛県訪問


 1999年5月20日 全国赤十字大会

 


 FRASH 1999年6月1日号

「雅子妃「ご懐妊」6月発表情報 元職場外務省で密かに流れるご成婚記念日の6月9日(大安)か」

 女性セブン 1999年6月3日号

「雅子様体外受精で妊娠」説の裏側・妹・小和田節子さん結婚披露宴に

 週刊朝日 1999年6月4日号

雅子様「ご懐妊」報道見出しの真相」

 1999年6月4日 ベルギーフィリップ王太子を出迎え

 1999年6月20日 正田英三郎氏通夜

 1999年6月21日 正田英三郎氏葬儀

 1999年6月23日 フローレンス・ナイチンゲール賞授与式

 

  ここまでの流れで感じるのは、ついに雅子妃の不妊治療が佳境を迎えていたということですね。でも堤教授いわく「雅子さんはすぐに流してしまう」「たばこがやめられないらしい」と呟く事態に。

つらい不妊治療のご褒美としてあっちこっち遊びに行けたのかなと思いつつ。

でもどこからか「妊娠」の噂が出ていたわけですよね。それは宮内庁が悪いと思います。スパイがいたのか?ちょっと同情。雅子妃がプライバシーに敏感になるのもうなづけるかなと。

 皇后は母上が亡くなられた時は「浩宮は皇孫だから」と通夜の席に連れて行かなかったのに皇后になって父上が亡くなられたら嫁達まで引き連れていくんですね。

でもとにかくこれで雅子妃も服喪なわけですが、その期間中に行われた渋谷節子の結婚披露宴には特例として出席したのでした。

 多分、この時期、雅子妃自身に子供を必要としなくても回りがうるさくて、皇后からのプレッシャーもあり、ご褒美作戦で妊娠しては失敗し・・・の繰り返しだったのかもしれませんね。

 だからって秋篠宮家に産児制限をかけてよかったとは思いません。何で従兄弟の歳の差まで考えるのか。まるで「序列」が全ての韓国みたいな考え方ですよ。

どうしても「皇太子の子供」に拘った皇后のひどい仕打ちでかえって皇統に危機が訪れようとはこの時はまだ誰も思わなかったんでしょうね。


 

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毎日が美智子さま  10

2019-03-11 07:29:18 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和40年1月小田原。

やっぱり隣りの皇太子が弱弱しく見えるというか・・・主役は俺だ!

昭和39年1月箱根の冬季団体にて

こういう柄のコートは定番で、うちの母も持ってました。

ブローチ・・・つけなくてもよかったんじゃ・・・

 

昭和39年10月。手に持っているのはいわゆるミンクですかね。

 

 チュールとコサージュつきの帽子。

昭和39年9月、白のコートジャケットに共布のワンピースで、海外技術協会中央研修センター訪問経ち方がすでに美智子さまスタイル。定番のコートジャケット。袖をわざと短くして手袋を長く?

 

 

 

 

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毎日が美智子さま  9

2019-03-08 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 今週発売の週刊誌をざっと・・・・

まず小室圭に関してですが

 父親と祖父が自殺した事は既出。でも実はその1年後、祖母も自殺していた!

 小室圭の財産分与について仲介に入ったのは元暴力団

 財産分与があったので小室圭はインターに進めた?雑誌のニュアンスでは父親の自殺も息子への多大な投資が原因の一つではないかと。

 佳代氏の職場ではずっと休みっぱなしで困っている

 現在小室圭はLLMコースで1000万程の奨学金を貰っているが、2年目のJDコースにはこの奨学金は出ない。JDコースの奨学金を受けるのはとても難しい。

 小室圭は7月に弁護士資格試験を受けるのではないかと各雑誌が書いているが、彼の代理人である弁護士は「その資格はないのでJDコースに進む」そうです

 法科を出ていない小室圭が弁護士資格を取得するのは至難の業です。それにあと2年は勉強しないといけないし。でもお金はどうするつもりなんでしょうか?奥野法律事務所が払うのか?

 まことしやかにですが、秋篠宮家に手切れ金を出せ・・というような話をしているとかいないとか?そんなこんなで秋篠宮家の改築に33億円は税金では高すぎるとか、手切れ金分も入っているのではないかとか憶測を呼んでいます。

でも、宮邸の33億円は、東宮御所の2回プラス1回の修復や高松宮邸の修復に比べたら安いものだと思います。なんせ秋篠宮家はずっと職員宿舎を宮邸としていたんですから。

 

 雅子妃は宮中茶会に欠席。最初から出席の予定はなかった。

 知らない人と会うのが苦手だから

 その流れで何となく海外青年協力隊への接見も欠席。こちらは出席が決まっていたのにドタキャン

 雅子妃は宮中晩さん会のメインには出るが前席と後席には出ない。やはり知らない人と会うのが苦手だから。皇后になって宮中での饗宴の儀に出られるのか。

 人と会うのが苦手とか知らない人と会話できない、異常に疲れるので嫌がる・・というのは「適応障害」とは関係ない精神病ではありませんか?いわゆるコミュニケーション障害とか、社交性恐怖症とかいう立派なご病気。

 自分が上から目線で話しかけるだけだったら出来る・・・でも相手と会話のキャッチボールは出来ない、さすがに相手が不愉快な顔をしたり、ささっと潮が引くようにいなくなるということだけはわかっている。でもなぜかはわからない。

 そんな人でも皇后になれる世の中だし、友納尚子&渡辺みどりいわく「適応障害の人は一つの事に集中しすぎて異常に疲れる。倒れる、寝込む」と言い訳してくれるのでいいわねーー

 雅子さんは現在55歳。20代じゃあるまいしな・・・愛子内親王の不登校の言い訳はなんでしょう?雅子さんが休むから愛子内親王が休むのか、はたまたその逆か。それでも皇太子は「雅子は努力と工夫を重ねている」と力説し、「支えたい」らしい。外国へ行けば「雅子もおめにかかれないのを残念と申しています」といい、何かあれば「雅子と一緒に」という。仲がおよろしくていいわねー

わりと好評なんですね。このシリーズ。っていうか、御代替わりが近づいているのでこういうのばっかりになっちゃってすみません。

 

昭和40年1月、東京・高島屋で絵画展鑑賞

この当時はダブルボタンが流行りだったのでしょうか?

ファーの帽子・・・パンで作った帽子みたい。


昭和42年1月、日光で開催された国体冬季大会出席

こういう感じの帽子は今もあるかも。

横からみるとものすごく子供っぽい帽子ですよえ。おまけに大きなカバン。何が入っているんでしょうか?スケート靴のようなブーツ。白でまとめたのは白銀の世界を意識して?

この帽子ってそんなにチャーミングですか?やたら頭が大きく見えるけど。

これも昭和42年1月、日光で行われた冬季団体

下はカジュアル。帽子は公務風。帽子とミトンは相当なお気に入り。


頭と手が異様に大きく見えますよね。

昭和46年2月、北海道・札幌市の道庁

さ・・寒くないの?そんなミニ丈で。しかもパンプス。こういう時こそブーツじゃないの?

この黒の帽子も変わってるっていうか・・・手抜きしているように見えるのは私だけ?

滑ってる・・・みたい。



昭和41年10月

まさに美智子さまの座り方。

あ、本当に両指に指輪してる。手の重ね方も・・・ちょっとわざとらしい。

共布のボタンは可愛い。

昭和41年6月、東京・日本橋三越本店にて原色押花展を見る

手袋、ネックレス。帽子の飾りを変えました。

でもネックレスをする必要があったのかしら?

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毎日が美智子さま  8

2019-03-05 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和42年2月苗場でスキー

本当にこの帽子が好きなのねーーところかまわず被ってる感じです。

 

スキーウエアを何着も持ってます。

昭和43年3月、国立博物館にて明治美術展を鑑賞。

帽子だけが目立ってしまっているという印象ですが、形はどうしてもこれ。

 やっぱりブローチを付ける部分が変だと思います。

 

 昭和43年1月、東京・上野文化会館で行われた成人の日の集いに出席。

素晴らしく派手な光沢のある黄色とベージュ系の靴がいいそうです。


昭和43年3月、愛知県・犬山のモンキーセンター

どういう歩き方をしているんだろうなあ・・・という感じです。

 

昭和43年3月、愛知・瀬戸を視察。

インナーのチェックはバーバリーっぽいんだけど、帽子の方は手作り感満載。

多分、こっちのインナーと帽子が正解なんじゃない?

 

 昭和43年12月、国際人権年記念式典(日本武道館)

多分、マタニティですけど、それでもこの帽子・・・・

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 27

2019-03-01 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 1998年新年を迎えた天皇一家

 新年祝賀の儀

 新年一般参賀

 1998年1月20日 オペラ「アイーダ」鑑賞

 1998年2月2日 サマランチ会長を迎える

 

 1998年2月19日 ノルウェーのホーコン皇太子と会う

 1998年3月23日 スペインのフェリペ皇太子来日

 1998年5月13日 日本赤十字大会

 

 FOCUS 1998年7月22日号

ちょっと気になる雅子妃のお腹ーテニスクラブの盆パーティにご出席

 女性自身 1998年8月18日・25日号

本誌皇室取材班予感レポートこの5つの「ひょっとして」が本当なら雅子様おめでとう

 1998年8月27日 石川県ふれあい昆虫館

 1998年9月17日 葉山静養

  1998年10月21日 サウジアラビアアブドッラー皇太子来日

 1998年11月26日 江沢民主席来日

 1998年12月2日 アルゼンチン大統領来日歓迎式典

 1998年12月3日 イギリスのエドワード王子来日

 1998年12月9日 誕生日記者会見

 

1998年はわりと穏便に過ぎた印象です。長野五輪があり、外国要人の来日も多く、雅子妃にとっては笑顔が多かった年ではないかと。皇太子との仲も似たもの夫婦になりつつありましたし。下手に子供を持たなかった方が幸せだったかもしれませんよね。

 

 

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毎日が美智子さま  7

2019-02-21 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

この当時は帽子に特徴が。

昭和41年11月、京都・北山杉を見学。

歩き方、バッグの持ち方、視線にまで気をつかって、しかも皇太子と腕を組むという当時としてはやりすぎな演出まで。何でそこまで気取る必要があるのか?と思いませんか?今、見直すと恥ずかしい。

これまた立ち方とバッグの持ち方も、カメラがどこから見ているかを意識していることですね。ツイードが好きみたいですが、結構硬い生地だし、庶民的にしているふりなのかな。


昭和43年5月、東京・虎ノ門ホールで行われた日本PTA創立20周年式典。

何だか気楽な公務って感じはしますが、白にベージュ合わせは好きなのかな。でも帽子の3段重ねがいかにも髪へのコンプレックスを感じさせます。

ゴージャスなパールのブローチ。


昭和44年9月、東京・弘済園老人ホームを訪問した時はバッグは白でブローチなし。

インナー重ね着風で帽子が大きいんですよね。

 

昭和41年3月、神奈川・茅ヶ崎学園。後ろに因縁の女官長が。

多分服に合わせる帽子も女官長の方が正しかったのでは?



 昭和44年1月、東京厚生年金会館で行われたチャリティー映画上映会。多分紀宮ご懐妊中。寒いのに結構ミニ丈。ウイッグに上にありすぎのブローチ。


昭和42年の赤十字大会にて。

ウエストラインがポイントのツーピースにアクセサリーなし。どうしてもこの帽子は顔を出したいらしい。もうちょっと斜めにかぶれば若々しいのに。

ファーは持っているだけなのか、実際につけたのかわかりませんが。

袖口が意味なく凝ってますよね。


昭和44年8月、第6回国際女子体育会議に出席。菊模様の着物。

髪型がお水っぽいと言われるんですよね。

ブローチを帯締めにしています。

髪がアップ・・・っていうより完全にかつらですが。



 

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