有氣健人農法による「稲の根」左、と一般稲
(種籾は、どちらも三粒)
有氣の稲葉は、横に広がる!哲学ある稲だ。
札幌円山ザ・ライフストック
有氣健人農法に関するお問合せは、
yonaoshi-clubあdocomo.ne.jp へ (あ→@に置き換えて送信してください。)
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なぜ、地球は、太陽は、天体は宇宙時空間に、浮いているのか?
果てと、中心のつながり具合
瞬間の長さ、大きさ あるいは、極微の大きさ
宇宙の大きさ・・・等々について、じーっと集中瞑想する
解らないだろう
まず、解らないことは解らないというところに、たどり着く
そこを、突き抜けると・・・
振り出しに戻る
しかし、同じ光景でないことに気付くかもしれない
果てと、中心のつながり具合
瞬間の長さ、大きさ あるいは、極微の大きさ
宇宙の大きさ・・・等々について、じーっと集中瞑想する
解らないだろう
まず、解らないことは解らないというところに、たどり着く
そこを、突き抜けると・・・
振り出しに戻る
しかし、同じ光景でないことに気付くかもしれない
①欲得の争奪合戦に、知らずに関わってはいけない。流れ弾に当たる。あるいは、誤射される可能性がある。
②出る杭は打たれる。出すぎた杭は抜かれる!
③権力者や、競争好きの輩にとって、有能なライバルは消したいと、本能的に衝動的に思ってしまうので、なんとも制御できない!
④長寿を全うして人生を広く深く堪能するためには、敵を作らないことだろう。
⑤独立、自衛を標榜すると、グローバリズム陣営のブラックリストに載せられ、煙たがら狙われる。
⑥宇宙を形成し動かしているエネルギーの制御法を知ったら、独占しないで公表しよう。
欲におぼれて使い方をあやまったら、地球は一瞬に吹っ飛んでしまい、少なくともエゴの一人勝ちにはならないだろう。みんな一緒の運命がいい。
dasoku;
妄想はそれくらいにして、日々の暮らしを見つめなおそう。
お会いしたことはありませんので、確かなことはいえませんが、と前置きして、一言。
ヨギの成瀬氏の本を改めて見て、読みました。空中浮遊を1990年代に成功しているようです。目的を達成したので、現在は浮遊していないとのこと。
さて、ヨガの目的はナンなのだろう?浮遊することが最終目的ではないようです。浮遊は通過儀礼のようなものなのでしょうか。浮遊に捉われず、さらに深い境地をもとめているようにも思われます。期待したいと思います。
空中浮遊の成功は、人間の意志が、宇宙エネルギーを制御できたことの証明になると思われます。成瀬氏いわく「膜の上にのっている感じ」。その感覚を、昨今の「ひも宇宙論~膜理論」の正しさの実証かと思っておられます。かも知れませんね。
昨今の物理学の説によれば、人間の意志エネルギーと宇宙エネルギーとは感応しあうということです。エネルギーの融合、反発などを制御できれば、空間移動の仕組みが、現在のものと根本的に変わることでしょう。実際に、空中浮遊したのが事実であるとすれば、次のステップは、その自由な制御となりますが、そのためには、時空の概念の刷新が必要です。膨張方向が空間エネルギーであり、収縮方向が時間エネルギーであることの仮説が実証されるかも知れません。しかし、エネルギーの制御を私利私欲で行うと、空間消滅を引き起こしかねないので要注意です。
肺呼吸自体は三次元の動きです。それを制御するには、四次元目の時空が必要です。4次元目を「時間」と考えるのは間違いと考えられるので、そのようなイメージではエネルギーの制御は成功しないでしょう。4次元を正確にイメージできる方は是非実践してみるとよいでしょう。宇宙に飛んで行けます?!戻ってこれる保証がありませんので、強くはおすすめしません。がしかし、そろそろ、人類は宇宙人としての自覚に目覚め、生命への冒涜を反省しなければならない時を向かえつつあるようで、宇宙エネルギーの制御と、宇宙の仕組みについての理解と制御能力の修得が必要のようです。
成瀬氏の空中浮遊の成功は人類進化の大変革実現の、第一歩になるのかも知れません。
dasoku:
そもそも地球、その他の天体が宇宙時空空間に「浮いている!」そことと、宇宙の「果て~中心」の関係が、つながって、むすばれて理解されれば、「くうちゅうふゆう」のしくみもわかるのでしょうね。
ヨギの成瀬氏の本を改めて見て、読みました。空中浮遊を1990年代に成功しているようです。目的を達成したので、現在は浮遊していないとのこと。
さて、ヨガの目的はナンなのだろう?浮遊することが最終目的ではないようです。浮遊は通過儀礼のようなものなのでしょうか。浮遊に捉われず、さらに深い境地をもとめているようにも思われます。期待したいと思います。
空中浮遊の成功は、人間の意志が、宇宙エネルギーを制御できたことの証明になると思われます。成瀬氏いわく「膜の上にのっている感じ」。その感覚を、昨今の「ひも宇宙論~膜理論」の正しさの実証かと思っておられます。かも知れませんね。
昨今の物理学の説によれば、人間の意志エネルギーと宇宙エネルギーとは感応しあうということです。エネルギーの融合、反発などを制御できれば、空間移動の仕組みが、現在のものと根本的に変わることでしょう。実際に、空中浮遊したのが事実であるとすれば、次のステップは、その自由な制御となりますが、そのためには、時空の概念の刷新が必要です。膨張方向が空間エネルギーであり、収縮方向が時間エネルギーであることの仮説が実証されるかも知れません。しかし、エネルギーの制御を私利私欲で行うと、空間消滅を引き起こしかねないので要注意です。
肺呼吸自体は三次元の動きです。それを制御するには、四次元目の時空が必要です。4次元目を「時間」と考えるのは間違いと考えられるので、そのようなイメージではエネルギーの制御は成功しないでしょう。4次元を正確にイメージできる方は是非実践してみるとよいでしょう。宇宙に飛んで行けます?!戻ってこれる保証がありませんので、強くはおすすめしません。がしかし、そろそろ、人類は宇宙人としての自覚に目覚め、生命への冒涜を反省しなければならない時を向かえつつあるようで、宇宙エネルギーの制御と、宇宙の仕組みについての理解と制御能力の修得が必要のようです。
成瀬氏の空中浮遊の成功は人類進化の大変革実現の、第一歩になるのかも知れません。
dasoku:
そもそも地球、その他の天体が宇宙時空空間に「浮いている!」そことと、宇宙の「果て~中心」の関係が、つながって、むすばれて理解されれば、「くうちゅうふゆう」のしくみもわかるのでしょうね。
石油の歴史と現状・ウイキペディア
石油は、珪素が海水とバクテリアの作用で、天然常温常圧で原子転換されて、継続的に産生されている、という説がある。つまり、一気に消費しないで、再生産のスピードに合わせれば、ほぼ半永久的に利用、消費が継続できることになる。一気に消費しない限り、石油はなくならないのである。石油の浪費は慎むべきだが、価格調整と称して、一部の高利益維持の口実に、「無くなる!脅迫演出」は、セコイと思う。人類の富を皆で公平に分かち合えないものだろうか?無理だろうね。今の人間の知能では。ふうー。
石油は、珪素が海水とバクテリアの作用で、天然常温常圧で原子転換されて、継続的に産生されている、という説がある。つまり、一気に消費しないで、再生産のスピードに合わせれば、ほぼ半永久的に利用、消費が継続できることになる。一気に消費しない限り、石油はなくならないのである。石油の浪費は慎むべきだが、価格調整と称して、一部の高利益維持の口実に、「無くなる!脅迫演出」は、セコイと思う。人類の富を皆で公平に分かち合えないものだろうか?無理だろうね。今の人間の知能では。ふうー。
再 永字八法
八方ではなく、八法でした。お詫びしないで訂正します。
当ブログを閲覧されて、間違いに気付かれた方には
四文字熟語の博士号を贈りたいと思います。
永字八法とは、毛筆の筆使いの基本を「永」の字を使って教えているものでした。
八法の中に全ての技法が収まっているわけではないのでしょうが、美しい表現だと思いますね。
時々当ブログで紹介する「4値論」では、全ての事象を原則的には4分類してしまいますが、2分類もあり、4の倍数の8分類や16分類、それ以上もあります。8という数は結構、生活語のなかにいろいろ使われています。
八方塞り・・・公私ともに、今の経済状態
七転び八起き・・・般若心経を超える、池、行け、往け、活け、埋け、逝け、生け、イケ
七転八倒にならないように
体操なら、膝立て仰姿八法かな。
八方ではなく、八法でした。お詫びしないで訂正します。
当ブログを閲覧されて、間違いに気付かれた方には
四文字熟語の博士号を贈りたいと思います。
永字八法とは、毛筆の筆使いの基本を「永」の字を使って教えているものでした。
八法の中に全ての技法が収まっているわけではないのでしょうが、美しい表現だと思いますね。
時々当ブログで紹介する「4値論」では、全ての事象を原則的には4分類してしまいますが、2分類もあり、4の倍数の8分類や16分類、それ以上もあります。8という数は結構、生活語のなかにいろいろ使われています。
八方塞り・・・公私ともに、今の経済状態
七転び八起き・・・般若心経を超える、池、行け、往け、活け、埋け、逝け、生け、イケ
七転八倒にならないように
体操なら、膝立て仰姿八法かな。
永字八法
御陣乗太鼓再び
駄洒落で多少は涼しくなりましか・・・
寒くなって、夏風邪など召されませんように!
さて、大きさのあるものは、遠くに行くと小さくなり、見かけでは「1点」に収束します。
では、宇宙の大きさ、広がりは遠くに行って、「点」に収束するのでしょうか?
いつも見上げる宇宙の空は広がったまんまです。
宇宙の空の大きさは遠くに行っても小さくならないんでしょうか?
西瓜の4値論 ギャーティ×4=循環
フラクタル画像マンダラ?マンデル?
ごじんじょだいこ
質問:自分の才能はどうしたら知ることができますか?
師の解答:具体的に実践してみることだね。
質問者:・・・・・・納得。
(陰のささやき:自分に合っていることをした時は、能率が良く、楽しいから、疲れにくく、疲れからの回復が早い。また、それは社会に負担をかけないので他人から感謝されることが多い。)
般若心経のこころ:
Go!Go! moreGo!mostGo! イケイケドンドン! 突き抜けると、そこは入り口だ!
空とは「からっぽ」のことで、有るべきものが無いこと。循環ともいう。「0」でもある。
「0」は「完全な無」では無い。
多少の先入観は必要です。ただ囚われないことです。実践して確認するのです。循環原理です。考え、行動、考え行動・・・・くりかえし・・・無限に繰り返す・・・
ウインドウズPCからでないと食糧が買えない?
フラクタル画像マンダラ?マンデル?
ごじんじょだいこ
質問:自分の才能はどうしたら知ることができますか?
師の解答:具体的に実践してみることだね。
質問者:・・・・・・納得。
(陰のささやき:自分に合っていることをした時は、能率が良く、楽しいから、疲れにくく、疲れからの回復が早い。また、それは社会に負担をかけないので他人から感謝されることが多い。)
般若心経のこころ:
Go!Go! moreGo!mostGo! イケイケドンドン! 突き抜けると、そこは入り口だ!
空とは「からっぽ」のことで、有るべきものが無いこと。循環ともいう。「0」でもある。
「0」は「完全な無」では無い。
多少の先入観は必要です。ただ囚われないことです。実践して確認するのです。循環原理です。考え、行動、考え行動・・・・くりかえし・・・無限に繰り返す・・・
ウインドウズPCからでないと食糧が買えない?
ヨガ冥想の目的
改めていうことでもないでしょうが、つくづく思いましたので書きます。
全身全霊、生活体験を通じて、自分自身の「家庭、社会での役割」を自覚し、実践することが「世我冥想」であると思います。瞑想は「我のレベルのヨガ」です。社会、世界、宇宙自然を意識してのヨガは必然的に「世我」となるでしょう。
ヨガ教室も増え、世にヨガが定着しつつあることを実感しますが、願わくばヨガから世我にアセンションして欲しいものです。瑜伽の当て字ではヨガの本旨である「世と我の結び」の意味が伝わってきません。習慣とか慣れは恐ろしいもので、「瑜伽」に馴染んでしまっているので、そう簡単には、瑜伽から世我には変換しないでしょうね。
さて、宇宙論です。
宇宙の内部に居て、宇宙の外部からの観察はできるか?という素朴な疑問がありますが、答えは「できる!」でしょう。客観的とは言いにくいのですが。とりあえず可能です。それが「瞑想 冥想」なのでした。人の意識は肉体に束縛もされていますが、訓練しだいで肉体から自由になって、宇宙の外からの俯瞰が可能になるのです。そもそも「見る 観る」と云うことは、目で見ているようでも実際は「脳細胞~意識~オーラ~生命実体」が見て、観て、感じているのですから、「肉体的見る」現象に捉われて判断する必要はないのです。
宇宙の生成消滅、現在の宇宙の果ての状況など、居ながらにして「個人の意識の集中放下=冥想」によって感じる、観じることが出来るでしょう。
現実に、生きていながら「生きている」という同じ現象を識別できているのです。ちょっと考えると不思議なことなのですが、不思議だと思った瞬間がありますか?恐らく無いでしょうね。沢山同じようにある米粒の中から、投げ込んだ一粒の米粒を識別することは至難の業です。同じように、生きている状態で同じ生きていることを識別、認識することは本来大変難しいことのはずですが、一般的にはさり気なく「生きている」と感じられています。
さて、本当に「本当の命を生きている」と感じているのでしょうか?さてさて、真剣に考えてみて下さい。本当の命を自分は自覚して生きているのかと。
お盆に因んで、冥想して、命の本質を感じてみて下さい。
改めていうことでもないでしょうが、つくづく思いましたので書きます。
全身全霊、生活体験を通じて、自分自身の「家庭、社会での役割」を自覚し、実践することが「世我冥想」であると思います。瞑想は「我のレベルのヨガ」です。社会、世界、宇宙自然を意識してのヨガは必然的に「世我」となるでしょう。
ヨガ教室も増え、世にヨガが定着しつつあることを実感しますが、願わくばヨガから世我にアセンションして欲しいものです。瑜伽の当て字ではヨガの本旨である「世と我の結び」の意味が伝わってきません。習慣とか慣れは恐ろしいもので、「瑜伽」に馴染んでしまっているので、そう簡単には、瑜伽から世我には変換しないでしょうね。
さて、宇宙論です。
宇宙の内部に居て、宇宙の外部からの観察はできるか?という素朴な疑問がありますが、答えは「できる!」でしょう。客観的とは言いにくいのですが。とりあえず可能です。それが「瞑想 冥想」なのでした。人の意識は肉体に束縛もされていますが、訓練しだいで肉体から自由になって、宇宙の外からの俯瞰が可能になるのです。そもそも「見る 観る」と云うことは、目で見ているようでも実際は「脳細胞~意識~オーラ~生命実体」が見て、観て、感じているのですから、「肉体的見る」現象に捉われて判断する必要はないのです。
宇宙の生成消滅、現在の宇宙の果ての状況など、居ながらにして「個人の意識の集中放下=冥想」によって感じる、観じることが出来るでしょう。
現実に、生きていながら「生きている」という同じ現象を識別できているのです。ちょっと考えると不思議なことなのですが、不思議だと思った瞬間がありますか?恐らく無いでしょうね。沢山同じようにある米粒の中から、投げ込んだ一粒の米粒を識別することは至難の業です。同じように、生きている状態で同じ生きていることを識別、認識することは本来大変難しいことのはずですが、一般的にはさり気なく「生きている」と感じられています。
さて、本当に「本当の命を生きている」と感じているのでしょうか?さてさて、真剣に考えてみて下さい。本当の命を自分は自覚して生きているのかと。
お盆に因んで、冥想して、命の本質を感じてみて下さい。
宇宙はいつ誕生したか、いつ消滅するかなど、「時間的」な疑問だけが問題にされているように感じるのは私だけでしょうか?どこで宇宙は誕生したのか、どこで消滅するのかといった疑問と、それに対する解答などの事例がありましたら、教えて下さい。
というのは、あまりにも宇宙論争が「幼稚」に思えるからあえて質問したくなるのです。
一般的に宇宙は「時空」の存在と考えられています。ならば、なぜ時間的な生成消滅だけが問題になるのでしょう?場所の問題はどうでもいいのでしょうか?
時間的ばかりでなく、宇宙の生誕地を考えることは宇宙を正しく認識するための近道のようにも思いますが。そもそも物事の存在証明には「時刻と場所」の座標が不可欠なはずです。
2013年の人類アセンションは、「宇宙論」すなわち、無限、絶対、時空の概念の理解が進展するということを言っているような気がしてきましたよ!世なおし倶楽部の披露聡秘=哲学です。当ブログではもうアセンションは始まっていますが。
というのは、あまりにも宇宙論争が「幼稚」に思えるからあえて質問したくなるのです。
一般的に宇宙は「時空」の存在と考えられています。ならば、なぜ時間的な生成消滅だけが問題になるのでしょう?場所の問題はどうでもいいのでしょうか?
時間的ばかりでなく、宇宙の生誕地を考えることは宇宙を正しく認識するための近道のようにも思いますが。そもそも物事の存在証明には「時刻と場所」の座標が不可欠なはずです。
2013年の人類アセンションは、「宇宙論」すなわち、無限、絶対、時空の概念の理解が進展するということを言っているような気がしてきましたよ!世なおし倶楽部の披露聡秘=哲学です。当ブログではもうアセンションは始まっていますが。
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