世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

ヨガ的ヨガ体操

2008-01-09 02:13:26 | 健康


「足首のヨガ・・直角・・中庸中間意識」

体操は体操でヨガではない。もちろんヨガは体操ではない。

おにぎりはおむすびではない。

最近のコンビにおにぎりは、おにぎりでもなくなっているのだろう。

「三角型押し飯」というべきが「正しい表示」であろう。

が、形が同じ様に見えるので、おむすびもおにぎりも、三角型押し飯も

「おにぎり」として認知され、以後おにぎりがでかい顔になるのである。


はじめに左右の手で、愛情と陰陽の調和エネルギーを込めて作られた三角型の「おむすび」があった。

その三角形の造形物は、両手でにぎって作ったものには違いないところから、おにぎりとも云うようになる。「お」を省いた「にぎり」という表現ではちょっと堅い。江戸前の「にぎり」と区別するために、庶民が通常食べる三角形の飯は「お」を添えて「おにぎり」と云うように、なった。

本来、江戸前「にぎり」は片手にぎって作る。

おむすびでないものを「おむすび」と標榜しないのは、皮肉にも

妥当表示ということになる!

しかし、「形押し」で機械的に作ったものを「おにぎり」と表示するのは

不当表示である


今の世は、総じて

ものの「本来の意味不明」時代である

不当表示より怖い状況とみるべきだろう

根源は「人間の意味不明時代」ということなのかも知れない

体操をヨガと詐称するぐらいで驚いていては

現代を生き抜けない!ではなくて

とりあえず驚いて、

体操はヨガではなく、おにぎりはおむすびでなく、宇宙は膨張しっぱなしでなく

現経済システムで稼いだ金は、個人の自由なものでなく、男は女プラスαの生物で

あることなどの、より深い理由、根拠を世なおし倶楽部で学習することが

ものの本質を理解し、現代を渋く人間らしく生き抜くことになる、という

ことを直感するためには、

体操ではない「ヨガ」の実践が役立つのである。


普通の体操とヨガの体操

2008-01-07 22:00:54 | 健康
普通と云う字をそのまま素直に解釈すれば「あまねく、つうじる」あるいは

「一般的に広まっている」と理解できる

ヨガとはバランス、総合的という意味である

一般的に広まっている体操と、バランスのいい体操ということになる

「普通」が「あまねくつうじる」の意味なら、ヨガと同義である。

しかし、一般的となると、「一般」が曲者である

一般とは「したたか庶民」のことだ!

したたか庶民の文化は「庶民の生きるに都合の良い文化」である。それなりに

正しいということになるのであるが、庶民でない者にとって正しい、都合がいい

ということになるとは限らない。

となると、「あまねくつうじない」ので

あまねく正しいと云うことにはならない。


ヨガはバランス、総合的であるから、あまねく通じるものである。

ところで、ヨガの体操の「一般的イメージ」はアクロバット的、曲芸的な

軟体動物の真似事のように思われているが、一言でいえば「錯覚」である。

100%の間違いではないが、総合的ヨガの定義からは外れた部分的認識に
過ぎない。

次に「体操」であるが、

文字通りに訳せば「体を操る」ことである。

体操そのものに、善悪、正しい、間違いという概念はいらない。

体操に何か目的を持たせたり、効能・効果を期待しようとしたときに

正しい、間違い、安全、危険の価値観が生じる。

俗心の塊の一般庶民が効果を期待する「特殊な体操」は、部分的であり、普遍的体

操とは云えなくなってしまう。それだけでなく危険でさえある。

健康法としての体操をイメージするなら、「普通の体操」という認識は危険である

「~体操」というのは体操であっても、健康法とはなり得ないということを論理的に理解しないで体操を行うなら、それは不健康法体操というべきである。

ヨガの体操、あるいはポーズをやって、怪我をしたり、腰を痛めたりするひとがい

るが、これはヨガをやらなかったから怪我をしたのであって、ヨガもどきの実践では怪我は当然である。

ヨガの体操は体操のみに非ず、①運動②体操③姿勢の総合で成り立つ。

①運動とは、動き主体で同じ動作を繰り返す、骨格筋の鍛錬主体
②体操とは、動静混在で、形を整え、内臓筋を整える
③姿勢とは、静主体で、形を整え、精神性の安定と心身の調和の効果

普通の体操の効果は「自分自身」の個人的効果の範疇でとどまりやすい。
ヨガの体操の場合は、生活環境に適応する自然な心身の健康維持が目的であり、必ずしも特殊能力ばかりを増強するものではない。









































2008-01-07 03:31:03 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヨガ風体操か

体操風ヨガか

どちらが真のヨガか?

・・・・

どちらも間違い、どちらも正しい

・・・・?

ヨガにどっち、という質問はナンセンスです。

ヨガは全てという意味の「ユニ 結び」が語源でした


実証的科学では、解明できない
「見えない世界・無限宇宙の果てのなぞ」「生命現象」等について、
論理的に回答を与えられるのが「哲学 フィロソヒ」です。

宗教は独善的すぎて、論理的解明は無理です。
宗教的感覚は「独善 主張 固定絶対」ですから、
科学的証明は不要ですし、そもそもできません。
独善が宗教の命、本質ですから、それでいいのです。

世なおし倶楽部ブログでは、
哲学の欠点であるプレゼンテーションの部分を、
「芸術」の力を借りて補い、

既に先人が成し遂げているにも関わらず、
無理解、錯覚に陥っている「宇宙 生命無限 時空 人生等」の
哲学的命題について、「明解」に解明しています。

不充分な点もまだありますが、基本、大筋では「なぞ」の
解明は済んでいます。

哲学人の大先輩「ゴータマ・シンダッタ 通称釈迦」が
既に解明済みのことなのですが、
「伝達ミス」があって、正確に伝わっていません。
例えば、「仏教」を開いたのは釈迦自身ではなく
「釈迦没後200年以上後世」の金持の檀家たちでした。
自分たちの想像たくましく「釈迦がこういった、ああいった」と
書き留めて創作したものが「仏の教え」でした。

いずれにしても、真理の生なまは「人伝て」では伝わりません!
ひとり一人が自分の命を削って体得するものです。
先人の言葉は「参考意見」です。
その意見が本物かどうかを感じ取るのは
今生きている「自分の命の感性」意外にありません。

ヨガ教室を見学して、ヨガの良さ、本質を理解できる人は、
ヨガ教室に通う必要は無いでしょう。
見学だけで、ものごとを理解できるひとは、
すでに「マスター」です。通い習う必要などない道理です。

釈迦、ゴータマ・シンダルッタは「仙道・術=ヨガ」を実践して、悟られた。
ならば釈迦の伝えたかったことは「ヨガ」の本質であったはずだ。
釈迦が仏教の創始者ではない道理が理解できる
仏教で「仏教の本質がヨガであることを正確に伝えていない」ようでは
仏教の教えは釈迦のものでは無いと言えよう。

大乗仏教とか、小乗仏教とか分裂しているのは、
仏教がヨガではないことの証明である。

江田派ではなく、枝葉の教えはいくらでも作られるし、
それはそれで良い

しかし、基本の教えは単純明快なはずで、実際そうである
ヨガとは「むすぶ 総合」であった。

釈迦が絶対的に妥協せず伝えたことは
「神=命=健康=総合=宇宙=ヨガ」であったはず
後世の人たちは、それだけでは間が持たなかったのか
儲けに結びつかなかったのか
色々俗な枝葉を飾ってしまった

そのうちに、本家のヨガの重要性の伝達を忘れてしまったのだろう

見聞きしただけでは、何事も深い理解は出来ないものだ
実践を通してのみ、本質の理解体得ができる

ヨガの体得は、簡単すぎるために
見過ごしてしまうのかも知れない!

瞬間に体得して、瞬間に忘れてしまうのだろう
現実の生活上でも、ヨガの原理は、「裏存在」である
忘れられてしまうのも無理の無いことかも知れない

であればこそ

ヨガの基本を体得した者は、基本を念仏のように
繰り返し「ぶつぶつ」云い続ける義務がある

釈迦も当時「ヨガ ユイ 結い むすび ヨガ・・・」と
仏、仏云っていたのだろう

ブツブツ云うところが、耳障りで「仏教」となった?

お後がよろしいようで・・・


2008 年頭におもう

2008-01-05 04:45:21 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

2:8 パレットの法則

1:4 陽:陰のバランスは、1:1ではないようだ

歯のバランスは、4:2:1 臼歯:門歯:犬歯 

みかんの皮と果肉の比は 2:8

大黒柱と家族は、1:4

いずれも、およそだが、整数でけりをつけるのは

「量子論」の極意でもある

究極の「果て」は、身近な「境目」であることに

気づいている人がどれだけいるのやら

山奥に生まれて、海を想像できるのが人間なら

この世に生まれて、あの世を想像しなくてはだめだ

生きている雰囲気の中にいて

同じ「生きている」ことを、識別できるのか

同じものは識別できない、というか、識別の意味がない

生きていて、生きていることを感じている、というのは

「偽」ではないか

偽は2007で充分かと思ったが、

2008になっても

偽はなくならない。

唯一絶対というが、「1」は1に非ず

一個を認識するためには

一個とそれを取り巻く「場」とが必要になる

三次元立体の理想形は「球」ということになっている

量子の最小形態といってもよい。とりあえず。

しかし、そこから再び新たに振り出しに戻るような「疑問」が発生する

球は丸い。完全なような錯覚を与える形である

がしかし、球を束ねると球以外の「隙間」出来てしまい、

完全性は一気に失われるし、全体の形が「球」ではなくなる

でこぼこだ!

そもそも「つるつる表面」の「球」などはじめから無かったのだ!

ちょっと考えて、ちょっと分かったつもりになって、

しばらくすると、異変に気づき、

始めの「設定」の偽に気づく

球、円の「曲がり」の3.14・・・・・の無限小数列の設定は

偽であることを疑う必要があるのだ

空間的認識、感覚、この世界の広がり~は見せかけの「偽」か

擬態と思うところから2008を始めたい

三次元空間世界が、

中心と、果てとが、リンクして繋がっている「存在形態」を想像しよう

そうすれば、宇宙の果ての「際限ない」という矛盾が解ける

つまり、宇宙の中心と、天空の遠い果てとが、循環している姿を

想像するのだ

中心が小さく、天空が大きい、という偽の先入観はいらない!

小さいように見える中心と、大きく見える周辺とは、

1:1に対応しているのが「円 回転」の仕組みであった

・・・・・・?

実は、中心の小ささと周辺(円周)の大きさとの、
ごく自然な感じかたは「正しい」のだった

小さいものと大きいものとが同じであるわけは無い

回転現象の中心と、縁周との「1:1」の対応という

数学的無理やり定義があるが、物理学:哲学としては、

見過ごせない強引さがあった

縁周、円周の長さと、中心辺の長さが同じわけねえ、と

感じるのが自然だ

しかし、中心あっての円周であるのも事実である・・・

鍵は、マジックの種は「回転」のエネルギー存在であった

物理だ



いぶし銀 灰色 どぶねずみ色 

2008-01-03 16:53:10 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済


正月の三日ともなると、

一年が動き出す気配を感じる。

世なおし倶楽部も、そろそろ出番でしょうか

今年の一大イベントは

「呼吸を始めて 60年または60公転」

の開催ということか

ヨガに関わって30数年が経つが

呼吸を始めてからは60回、太陽の回りを廻った

お陰で色々と悪知恵がついたが

善悪の判定基準とか

宇宙の果てのこととか、

極めつけは

女心の連続性、男心の断続性についての再認識

などなど

白黒つけたいことに、白黒つけられました

ところで、

ヨガの極意は「中間意識」でした

白黒ではなく「GRAY」状態がヨガの意識状態

色の好みに いろいろあるが 
灰色Gray 色じゃない
色じゃないけど よしとしよ

今日のはなしは
昨日のつづき
今日の続きは
また明日




初のび

2008-01-02 12:30:18 | 健康


無限に循環を繰り返す宇宙の2008が、ふたたび?
始まった

もう二日目なのか
まだ二日目なのか

循環宇宙は、すべてを

よしとしよう の寛容がいのちだ

元日、元旦の「1」の前に
大晦日「31」がある

1が先なのか、31が前なのか

赤ん坊と、老人とでは、どちらが古いか
卵が先か、にわとりが先か、順番は、一番は、原点は・・・

1234・・・∞なのか
∞・・・43210なのか

はたまた、
3456・・・∞・・・210なのか

6が原点という説もある

全部が正しくなる要素を持っている

正悪の根拠は「組み合わせのよしあし」だった

すべてオーケーの寛容に油断してはいけない

俗、現実は「日日の都合」つまり「くみあわせ タイミング」で

正悪が決まる

順番も決まる

7×52=364

「1」は予備日

春夏秋冬の始まりは・・・
秋という説がある

人類は「秋」に目覚めたらしい



ヒット予感「よしとしよ」小椋佳

2008-01-01 17:27:36 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
 作詞・作曲=小椋佳さん

    眼差しを 地平に投げて
    見晴るかす 荒野大地に
    僕の往くべき 道は見えない
    よしとしよう よしとしよう
    先の見切れる 道をもともと
    望んだ僕ではない

唄:高橋孝 

 車のラジオから聴こえてきた。何処かで聴いたような声と節回し・・・
 三味線と尺八と、日本人のこころには自然に溶け込んでくる曲
 
 力まず、爽快に、透明感のある声でのびのびと唄っている
 なぜか気になり、amazonで検索したら、曲名はよしとしようではなく、
 「真っ新な 台本」と判明。12月に発売されたばかりの曲でした。

 聴かれた方の同じような感想のコメントが、簡潔に名文で紹介されていました。
その紹介文が自分の感想にぴったりだったので、無断転用して、本日まで当ブロ グに掲載して居ましたが、ご本人よりご指摘がありましたので、削除させていた だきました。ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。今後気をつけるように いたします。
 

 

よしとしよ

「子」://60.ne.n. jp 元旦

2008-01-01 16:56:39 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済



未確認の物体を「居る」と信じる、という

大臣の「語学」の乏しきに愕然

でも、留萌の、Rヨギニの霊感=チャネリングによれば

UFOは「有機体」で、アミノ酸・たんぱく質でできているらしい。

生き物ぽいのであった、から、「居る」と表現しても

正解か


未確認なら、否定できないのが論理です

未確認のものは「わからない」が謙虚で美しい

一歩進んで、「不思議」なら

世なおし倶楽部の正式メンバー登録に相応しい見識といえる


お正月2008

2008-01-01 00:56:55 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

2008.1 

平成20年1月 

隙間の時間を

瞬間という

瞬間とは

宇宙の一回転、一自転に要する隙間のことだった

世界一大きなものが一回転するスピードこそ

世界一速い速さ、即ち 「瞬間」

瞬間の厚みは・・・

宇宙球の直径ほど

昨日と今日の隙間の厚み、時間は

宇宙球の「大きさ、長さ」があると云うこと

それだけの無限に近い隙間がありながら

「瞬間」に移動する宇宙世界のスピードを

瞬間というから、すごい速く感じるのだ

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今風活動写真