「足首のヨガ・・直角・・中庸中間意識」
体操は体操でヨガではない。もちろんヨガは体操ではない。
おにぎりはおむすびではない。
最近のコンビにおにぎりは、おにぎりでもなくなっているのだろう。
「三角型押し飯」というべきが「正しい表示」であろう。
が、形が同じ様に見えるので、おむすびもおにぎりも、三角型押し飯も
「おにぎり」として認知され、以後おにぎりがでかい顔になるのである。
はじめに左右の手で、愛情と陰陽の調和エネルギーを込めて作られた三角型の「おむすび」があった。
その三角形の造形物は、両手でにぎって作ったものには違いないところから、おにぎりとも云うようになる。「お」を省いた「にぎり」という表現ではちょっと堅い。江戸前の「にぎり」と区別するために、庶民が通常食べる三角形の飯は「お」を添えて「おにぎり」と云うように、なった。
本来、江戸前「にぎり」は片手にぎって作る。
おむすびでないものを「おむすび」と標榜しないのは、皮肉にも
妥当表示ということになる!
しかし、「形押し」で機械的に作ったものを「おにぎり」と表示するのは
不当表示である
今の世は、総じて
ものの「本来の意味不明」時代である
不当表示より怖い状況とみるべきだろう
根源は「人間の意味不明時代」ということなのかも知れない
体操をヨガと詐称するぐらいで驚いていては
現代を生き抜けない!ではなくて
とりあえず驚いて、
体操はヨガではなく、おにぎりはおむすびでなく、宇宙は膨張しっぱなしでなく
現経済システムで稼いだ金は、個人の自由なものでなく、男は女プラスαの生物で
あることなどの、より深い理由、根拠を世なおし倶楽部で学習することが
ものの本質を理解し、現代を渋く人間らしく生き抜くことになる、という
ことを直感するためには、
体操ではない「ヨガ」の実践が役立つのである。