4/28(日)三女と大阪
「岸本景子 監督特集」
大阪 十三 シアターセブン
映画『ある夏の送り火』
三女も撮影に参加した作品。
上映後、皆さんと一緒に登壇。
最初は緊張してたようだけど…
何とか話せて良かった!
…………………
岸本景子監督とは
2015年、
『ある夏の送り火』撮影の時
初めてお会いした。
おじいちゃん役の
石垣さん繋がりで、
三女の和泉に
お声がかかったのだ。
もともと
石垣さんとは2006年に
琴平の金丸座で行われた
市民劇“さぬきシェイクスピア”
で、ご一緒していた。
その後、
石垣さんが2013年に出演した
映画『しあわせ獅子あわせ』に
次女も出演することになり、
お会いする機会も増えていた。
そんなご縁もあり、
参加することになった
『ある夏の送り火』。
あの撮影から9年。
改めて映像の中の
我が子の姿を見ると、
時の流れを感じる。
色々なことがあった。
自分にも家族にも
彼女にも。
そんなリアルと重なって
感慨深かった。
この映画に
参加することができて良かった。
普段なかなか
会う機会は少ないけれど、
Facebook等で
繋がってきた縁に
感謝している。
…………………
三女は
映画の中では
事故で亡くなってしまう役。
生きていれば
こんなに大きく成長して
いたことだろう。
映画の小道具には、
うちの子どもたちが
実際に使っていた
幼稚園のかばんや制服、
衣類などもあった。
実際使っていたものなので
ひとつひとつに思い出がある。
映画の中で
それらが目に入ると
そんな思い出がよみがえった。
物語の中の母親が、
亡くなった我が子の
ものを捨てられず、
夫に責められる場面があった。
時が経った今
よけいにその時の気持ちが
分かるような気がした。
一観客として
だけでなく、
より個人的な気持ちも
重なっていた。
……………………
そして、
現実と重なり合うからこそ
生きていれば…という
感傷的な気持ち
だけではなく
生きているからこそ
生まれる、
重いものも感じていた。
撮影時、
三女は幼稚園の年長、5歳児。
義父母含め
家族が混乱の最中だった。
前年、
要介護の義母(三女の祖母)
が亡くなり、
そのあと長女が不登校に。
それより前、
義母が入退院を繰り返す
ようになった頃から、
私は次の世代として
地域の女性の役割を
担うことも増えていた。
家庭内では
初めて直面する問題が多く
子どものことは
二の次三の次状態。
三女は
幼稚園児だったが、
自分がしっかりしないと
…というような
振る舞いも見られた。
ちょっと
過剰適応の傾向を感じ
気がかりではあったが、
その時すでに
自分の鬱傾向が進んでおり
何かできる状態ではなかった。
その後
小4で不登校が始まるまで
優等生的だったけれど、
ずいぶん無理があった
のではないかと思う。
現在、中3。
色々な局面を経て今。
あの時、終わっていれば
こんな思いをすることも
なかったのかもしれない。
しかし、これが
生きているということなのだ。
その重さとともに
噛みしめる思いがあった。
…………………
映画の中のお母さんは、
三女演じる娘が亡くなった後
鬱になり、家族とぶつかる
場面も描かれている。
実際、自分もその後
心療内科に通うようになり
8年が経つ。
その間、何度か作品を
観る機会があったが、
少しずつ感じることも
違っていた気がする。
鬱になり、最初は
家庭外の人との関わりが重く、
距離を取るようになった。
しかし、何年も続くうち
家庭内の人との関わりも
重くなってきた。
家族それぞれ、年齢を重ね
置かれた状況も変化していた。
考えや感じ方の
ズレによる衝突が生まれる。
それは、
特に問題を抱えてなくても
どんな家庭にもありそうなこと。
しかし自分が
それを受け止めるだけの
余力がなかったのに、
それぞれを全て
受け止めてしまったのが
良くなかった。
いわゆる他人なら
やりすごせたのかもしれない。
しかし身内、しかも
懸命に関わってきた存在との
衝突はダメージが大きかった。
鬱の初期になかったような
危機も感じた。
大切な家族、
だからこそ辛い境地。
映画の中でも
それぞれの役に
分かり合えない思いが
あることに胸が傷んだ。
でも、
それは当然
なのかもしれない。
誰かの
人間性の問題でもない。
そして、
家族という小さな集団は
時に追い詰められがち。
抜け出せないループに
はまることも
あるのではないかと。
そして、
映画での
送り火の光景が目に浮かんだ。
そんな家族にとって
これは
必要な場だと思えた。
…………………
送り火は、
お盆が終わり
亡くなった人の魂を
あの世へ送る地域の行事。
地域に
“祭り”は よくある。
自分の地域にも祭りはある。
村の講中で
獅子舞をしたり
神輿を引いて回ったりする。
しかし、
喪中には参加できない。
義母の喪中が明けても、
神社の祭りで
楽しそうな祖父母と孫の姿に
疎外感を抱くことはあったので
弔事の際は控える
という慣習は理解できる。
祭りは
喜びを共有する場。
しかし、
悲しみを共有する場は
あまりない。
改まって語り合う場や
専門的なケアも必要だが
何となく一緒にいて
たわいもない話をしながら
その中で
ふと漏れ出すものを
受け止め合える場も
必要なのではないかと思う。
あの家族にとって
送り火の場面が
そんな場のような気がした。
映画の中では
そこへ出向くのに
何年もかかっていたようだ。
それほど
前へ進むための
一歩は重く大きい。
そして、
そんな場があっても
すぐさま何かが
解決できる訳でもない。
しかし
受け止めてもらえると
思えることが始まりとなり、
ほんの小さなことから
次へと繋がるのではないかと思う。
残念ながら
あの送り火は、
一度復活しながらも
コロナ禍もあり
今は途絶えているそうだ。
もとのカタチではなくても
何かのカタチで
繋がっていけたらなと思う。
この作品は
そのひとつかもしれない。
映画での
物語は終わったけれど、
あの家族は、
これからも続いていく。
同じように、
この世界で生きている
自分たちも続いていく。
なくしたものも
見つけたものもある。
今この場所で
探し続けている人がいる。
今回の
映画祭を通して
そんなことを肌で感じられた。
行けて良かった。