月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

10/3  SARPvol.18『星の祭に吹く風』

2020-10-08 17:12:24 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


10/3
SARPvol.18『星の祭に吹く風』
ノトスで観劇。久々に生の舞台✨

「風の又三郎」そこから数十年、
1962年、
小学校に集まる大人になった人たち。
そして30年経ち1993年、
同じ場所に、若者たち。
その二つの時代が交差する物語だった。

今の自分が感じた違和感。
時代、地方、地域性、
男女それぞれの立場や役割。
異質なものへの恐れ。
守るべきもの、変わるもの。

何が正解かは分からない。
でもそれぞれの幸せを実現できたら…
そんな祈りにも似た気持ちになった。
………………………………

まず最初の方で引っ掛かったのは
1962年の場面。
女が、男2人に手拭いを渡し、
男たちは汗を拭い、(雨?)
そしてまたそれを女に返す場面。

男たちが会話する中、手拭いは
当たり前のように渡される。
「どうぞ 」と、
取り立てて注意を引くこともなく。
「ありがとう」と
思いがけない気遣いに感謝するでもなく。

今の自分たちなら基本的に
自分のことは自分でするのが当たり前。
女が側に控えていて、すっと差し出し
すっと引っこめる、それに違和感。

でもそれが、
今でも必要とされている場が
あることも肌で感じている。

この建前と実際の違いが
たぶん昔より大きいはず。
納得しきれぬ心を抑えて
身体を動かす負荷は大きい。

あまりにさらっとした場面だったので
ちょっと考えすぎかな(笑)
なんて思っていたけれど、

そのあと観ていくうちに
その女性の葛藤に繋がっていた。
やっぱりそうだったか……。
やばい。
おおかた60年経った
今でもそんなに
変わっていないこともあるのか。

………………………………

そんな一人の立場に共感しつつも、
他の登場人物にも心が傾いていった。

村の在り方。苦しい現状。
新しい風を受け入れ変わるべきか。
昔ながらを守るべきか。
多くは異質なものを恐れる。
それじゃダメだ。
変化も必要。けれどやみくもに
新しい流れに飛び付いて良いものか。
でも、どうにかして
食べていかねばならない現実もある。

もう何が正解か 分からなくなる。

ただ、それぞれに幸せがあって、
何とかそれぞれを両立し
実現できないものかと思った。

求めているのは
“ にぎわいじゃない ” という言葉。
それだけが “ 豊かさ ”
ではないということか。
やすらぎ、なのか? 何だろう。

外との繋がりを絶つわけではない。
今の時代、それは不可能。
大なり小なり余波は受ける。
繋がりを持ちつつも、
独自のものやペースを保っていくには
何が必要なのか…。

どちらの時代にも居たあの子、
座敷わらし、みたいな。

見えないものは
とかく存在を否定されがち。
でも、見える見えない関係なく、
見えなくてもあるかもな…と
皆が思えたらいいな。

見える、ということは
感覚と似ているようにも思う。
感覚は、人によって
大きく違う場合がある。
自分の感覚が全てでないし、
多くの人が持つ感覚が絶対でもない。
理解し難いこともそれなりに
共存できたらいいのに。

そんなことを考えさせられた。

でも、
難しい理屈ではなく
人の動きや表情、取り巻くものがあり、
自然と世界に入っていけた感覚。

周りを取り囲む白い、あれは風のよう。
天井から波状に垂れた
長い紐…のれんみたいなものが
空気が動くたび、かすかに揺れて
不思議な雰囲気だった。

静かな場だからこそ、
かすかな揺れが
すごく気になる時がある。
ざわっ………胸がざわつく。
それが目に見えるようだった。

どんな静かな場所でも
生きていれば、いくらか揺れる。

揺れないようにするのも疲れる。

いっそ嵐が吹き荒れてもいい。

風にも色々な表情があったほうが
私はいいなと思う。
どれがいいとは言い切れないけど
少なくともそれだけは言える。

風、起こしてみるのもいいかも。
不発でもいい(笑)
のみ込まれたり、
踊らされたりするよりは、
ずっといいよね。
何だか不思議に
力を感じた 帰り道だった。
コメント
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