伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

最近知った、J.S.バッハ:カンタータ等の演奏家、フリッツ・ヴェルナーの芸術の考察

2022年09月30日 | J.S.バッハ制作音楽

ここ2年ほど前にMシュナウザーのモジャ君を購入後、毎日散歩に行く様になり、それも早朝が日課になる。日の出前の静寂な朝の散歩は実に清々しい、朝は軽めにして近くの公園に行くことが日課ですが、石で作った歩道橋の階段の登り降りがモジャは好きで今日も階段を勢い良く登る。
今日も6時前の日課である、久しぶりに独特の朝靄の中で朝日を拝む、歩道橋から見る太陽に思わず手を合わせ、「今日も無事に暮らせるよう」祈る。
この様に晴れた天気の太陽を見れば感謝の気持ちが湧く、日本国民はやはり縄文時代から引き続く自然崇拝を敬うような気持ちがある様である。



散歩から帰りモジャと一緒にシャワーを浴びモジャにドライヤーをかけ乾かす、そして最近熱い淹れたての温かいコーヒーの美味しい時期となった事も嬉しい。



帰り道気がついた、季節の花の曼珠沙華が咲くの姿を見た、今年もこのシーズンは終わり、来年今以上に咲いてくれるる事を期待する。
此の花の色は朱色が定番と思っていたが、最近は白に近い色等増えたように関ずる、昔は田畑のモグラ、野ネズミ等の防護に使用されたと記憶する。



昨日注文したフリッツ・ヴェルナーの芸術の1〜3集の最後が届けられた。このアルバムは先日とある投稿により知ったJ.S.バッハのバッハ:カンタータ選集が良く試しにYouTube配信の視聴するとテンポリズムも大変好みで、早速注文したCD全集一集10枚組×3集で合計30枚である。
誠に残縁なことは、古い製造のため中古市場でしか無いので、なるべく程度の様状態のものを入手した。
勿論バッハのカンタータ全てではないが筆者の聴きたいカンタータはアルバムに粗録音され、特に3集ではフリッツ・ヴェルナーの芸術3 バッハ:受難曲、オラトリオ、ミサ、モテット 他がアルバムになっている、ただし部分的にモノーラルでの箇所もあり他のカンタータ集と比べ音質は若干落ちるが、聴きごたえ十分で到着時すぐに梱包を解いて筆者が好きなミサ曲 ロ短調 BWV 232を試聴したが、演奏も堂々としている特に声楽はバランスが大事である様に感ずる。

大きな川を実にゆったり流される自然な音楽につい聴き惚れる、音質が云々という言葉はなくJ.S.バッハが急に身近に感じた瞬間じた。これでカンタータ全集は3種類所有するが、このアルバムも大変心地良いアルバムでなる様であろう。

勿論フリッツ・ヴェルナーの演奏は知らなかったんです。これは以前から思っていたが自分に合う演奏者はまだまだ沢山いるのであろう、今後筆者自身知らなかった演奏者を一人でも多く聴きたいと願うばかりである。



試しで色々筆者のオーディオ機器の調整をすると10吋のタンノイと300Bでの組み合わせが一番落ち着く音選びと思う、しかし注意しなければならない点もある、このタンノイと言うユニットは間違った機材で聴くとヒステリックな音が顔を出す事である。最近2A3の真空管の音に妙に気にかかるが欲をいえば切りが無いので、今後は今のレコードプレーヤーのバージョンアップを試みたい。

オーディオ再開後既に6〜7年程の月日が流れ聴く音楽こそ昔と変わりないが、強いて言えばカンタータ等の声楽が断然増えた事以外はあまり変わりないが、オーディオ機材は一応現在安定している、筆者の部屋で響く音はこの程度であろうと思っている。筆者が思うこの道は「頂上の無い山を登るが如し」ともいえる世界である、アレが欲しい、コレが欲しいと言う前に、常に思うはつくづく貧困を恥じる事かも知れない。

今思うことは現在10吋タンノイの据え置き型は自作のエアーフロート式の物を敷き聴いているが、その下に花崗岩の石を敷けばさらなる音の鮮度が獲られるであろうか思案中、近くのDIYジョイフル本田で厚み15ミリ程の花崗岩を見つけた、セットするのは大変重労働ではあるが・・・思案の為所である?この石を追加して音質が筆者好みになるのなら、労力は厭わないが部屋の掃除を兼ね適度な敷石を導入して確かめる必要はありそうである。



フリッツ・ヴェルナー(Fritz Werner、1898年12月15日 - 1977年12月22日)は、ドイツの指揮者・合唱指揮者・作曲家・オルガニスト。教会音楽の復活に尽力した。
ベルリン出身。ベルリン教会音楽教育アカデミー、ベルリン大学、プロイセン芸術アカデミーなどで学び、ゲオルク・シューマンらに作曲を師事した。1935年、バーベルスベルクのベツレヘム教会のオルガニスト兼音楽教師となった。1936年にポツダムのニコライ教会のオルガニスト・カントルとなり、1938年には教会音楽監督に昇進した。1939年にはラジオ・パリの音楽ディレクターとなった。第二次世界大戦後の1946年にハイルブロンのキリアン教会のオルガニスト・カントルとなり、1964年まで務めた。



なんと素晴らしい功績にハインリヒ・シュッツ合唱団1947年、ハイルブロンでハインリヒ・シュッツ合唱団を創設し、1973年まで指導にあたった。
最初はハイルブロン周辺で知られた作曲家ハインリヒ・シュッツの音楽を集中して取り上げたが、後にはヨハン・ゼバスティアン・バッハの多くの受難曲・オラトリオ・モテット・カンタータの録音を残した。多くの声楽家や、トランペットのモーリス・アンドレ、ホルンのヘルマン・バウマン、オルガンのマリー=クレール・アランなどの独奏者を招き、ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団や南西ドイツ放送交響楽団などと共演している。ヴェルナーのバッハの録音は同年代のカール・リヒターのそれと比べられるものであった。

色々調べてみますと「長年にわたり、CD発売が熱望されていたフリッツ・ヴェルナーのバッハ!一時代を画した名演奏の数々の体系的なリマスタリング・シリーズ。」とこの様なコメントが記載されていた。



フリッツ・ヴェルナーの芸術-1
 バッハ:カンタータ選集-1
 バッハ:教会カンタータ
CD 1〜10: . 
 いざ来ませ、異邦人の救い主 BWV 61
 神の子の現れたまいしは BWV 40
 神は頌むべきかな!いまや年は終り BWV 28
 人々シバよりみな来たりて BWV 65  他
 
 アグネス・ギーベル(ソプラノ)
 飯山恵巳子(ソプラノ)
 インゲボルク・ライヒェルト(ソプラノ)
 フリーデリケ・ザイラー(ソプラノ)、他 
 バルバラ・シェルラー(アルト)
 ヘルタ・テッパー(アルト)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)、他 
 クルト・フーバー(テノール)
 ゲオルク・イェルデン(テノール)
 ヘルムート・クレプス(テノール)、他 
 エーリヒ・ヴェンク(バス)
 バリー・マクダニエル(バス)
 ヤコブ・シュテンプフリ(バス)、他 

 マクサンス・ラリュー(フルート)
 ピエール・ピエルロ(オーボエ)
 ポール・オンニュ(ファゴット)
 モーリス・アンドレ(トランペット)
 マリー=クレール・アラン(オルガン)、他 

ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団 
プフォルツハイム室内管弦楽団 
ハイルブロン=ヴュルテンベルク室内管弦楽団 
[BWV 23, 30, 39, 72, 85, 92] 
指揮:フリッツ・ヴェルナー 

1959~1972年ステレオ録音



フリッツ・ヴェルナーの芸術-2
バッハ:カンタータ選集-2
収録予定曲目
BWV 8/BWV 10/BWV 19/BWV 21/BWV 26/BWV 50/BWV 51/BWV 53/BWV 56/BWV 70/BWV 78/BWV 79/BWV 80/BWV 85 *第1回録音/BWV 90/BWV 98/BWV 102/BWV 105/BWV 106/BWV 119/BWV 130/BWV 131/BWV 137/BWV 140 *第2回録音/BWV 140 *第1回録音/BWV 147/BWV 149/BWV 150/BWV 180/BWV 200


フリッツ・ヴェルナー指揮の演奏者がフランス系統の演奏者の多い点もで、可成前の録音の様ですが、録音状態も良く特にアンサンブルの演奏が非常に透明度があり実に美しく聴こえる事も有難い。



フリッツ・ヴェルナーの芸術-3
バッハ:受難曲、オラトリオ、ミサ、モテット他
マタイ受難曲 BWV 244/ヨハネ受難曲 BWV 245/クリスマス・オラトリオ BWV 248/ミサ曲 ロ短調 BWV 232/主に向かいて新しき歌をうたえ BWV 225[モテット第1番]/み霊はわれらの弱きを助けたもう BWV 226[モテット第2番]/イエスよ、わが喜び BWV 227[モテット第3番]/恐るるなかれ、われ汝とともにあり BWV 228[モテット第4番]/来ませ、イエスよ、来ませ BWV 229[モテット第5番]/主を頌めまつれ、もろもろの異邦人よ BWV 230[モテット第6番]/おおイエス・キリスト、わが生を照らす光 BWV 118[カンタータ第118番]



特にこのアルバムではモテット他が録音されていることが嬉しかった。モテットの意味合いは、ルネサンス時代にミサ通常式文以外の宗教曲全体を指すようになる。バロック時代になって、地域ごとや宗派ごとの微妙な分化が始まった。モテットの語源は、中世フランス語で“ことば”を意味する「モ mot 」という語に遡る。これは、アルス・アンティカのモテートゥスの特徴であるポリテクスト(各パートが異なる言語やテクストを併用する現象。



バッハ演奏の大家として、かのリヒターと同時期に活躍していたフリッツ・ヴェルナー。彼のバッハは、リヒターのものとは随分違っている。ヴェルナーの演奏はリヒターのような厳しさや鋭さはないが、そのかわり優しくしなやかである。リヒターが「剛」ならばヴェルナーは「柔」だ。モーリス・アンドレやマリー=クレール・アランといったフランス系の演奏家が多く参加しているせいでもあろう。派手さはないが、魅力ある録音集である。

最近筆者が好んで聴く鍵盤楽器奏者フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる「バンジャマン・アラール(オルガン/チェンバロ)」の演奏を聴くが確かに優しさに包まれたオシャレな感じでの演奏を聴く事が多い様である。またオーディオに関してかなり追求されておられる貴兄にも貴重なコメントを頂き筆者の望みの音の形がおぼろげながら解ってきた様にも感じます。
後は最近筆者が思うことは、特にバッハの演奏を鳴らすには、若干優しめな音質が聴きやすく、録音等の優れたソフトに於いては音質が若干ボケると仰る方もいようが、その辺りのプリアンプの微妙なさじ加減(調節)が肝心でもある、音質への想いは最近はこの様な音が一番安心して聴ける響きの様であり受難曲等長い曲を聴く場合は特にそのことに注意する様にしている。最も筆者にとってのオーディオとは人様に聴かせる装置ではなく、居間兼作業部屋で筆者がひっそり一人で楽しむ年寄りの道楽なだと思っているのですが・・・。

簡単に言えば、古酒(長期熟成酒)を少しずつ楽しむように、このアルバムで当分又J.S.バッハの声楽が楽しめそうである。 ブラボー!