この写真は数年前湘南に行った時の写真で左手に江ノ島が見えた春の海である。
150年続いた鎌倉幕府も新田氏により海辺から攻められ滅亡する。
確かに常識とは逸脱した京都以外に鎌倉に幕府を樹立した頼朝の手腕の政治力の凄さであろう、鎌倉幕府樹立後長い安定を続く事を手本にした後、家康が手本とした「吾妻鏡」を参考に江戸幕府と築いたと言われる。
今NHKテレビ放映で「鎌倉の十三人」の放映をしている、今回の大河の魅力のある点は、基本は鎌倉幕府が編纂したと言われる歴史書、「吾妻鏡」に基づき制作された処であろう。治承4年(1180)4月、平氏討伐を命じる以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)が伊豆の源頼朝のもとに届いた記事から、文永3年(1266)7月の宗尊親王(むねたかしんのう 鎌倉幕府6代将軍)の京都送還までが、歴代将軍の年代記の体裁で(文体は和風の漢文体)記されています。
ここで一般的に考えれば小説の題材として面白いのは源頼朝より義経が断然面白い、何故なら義経は不明な点が多く、戦闘能力も強いと言われ不明な人物とされる弁慶等の登場で小説として、益々面白く作者の想像も大いに注入できる、間違った歴史人物の出来上がりになる、有名な鵯越の事実とは場所も全く違うとも言われる歴史は不要である。
最も此の吾妻鏡は北条氏が書き残した書物ですので全てが正しい歴史書ではありません、源家は何故三代で終了してしまったのかもの不思議さは残る。それにしても三谷ワールドは面白い解釈をしている、特に吾妻鏡には記載もない殺し屋善次の登場も一層物語を面白くしている。
しかしこの吾妻鏡も太閤記等と同じで全て正しい歴史とはあり得なく、以仁王の令旨を当時流人の源頼朝が何故持っていたことか?が最大の不思議で、当時の力の強い源一門なら新田氏、武田氏、足利氏等が断然有力はあり。流人同然の頼朝などは狂言で上手く取り繕い北條パパのお芝居でうまく鎌倉幕府を成立させたのが真実かもしれない?その証拠に頼朝は以仁王の令旨を御家人にみせていない。何故なら「吾妻鏡」は鎌倉幕府成立後み書かれた書物である。
頼朝に身を於けば領土がいただけるという恩賜を授けたことで、それまでは天子が授けたものであった。一年足らずで数万の軍団を得る事が出来たのであろうのか?何故一介の流人の頼朝が令旨与える事が出来たであろうか、何故誰も家臣の中に、頼朝に以仁王の令旨を「見せて」と言わなかったのであろう?多分この猿芝居には頼朝は内心肝を冷やしていたのであろう。まさに三谷ワールドに都立から他視聴者が多いかは「吾妻鏡」を読めば違いに驚くよこであろう。
歴史とは不明な箇所を探索し考え方の本筋を見つけ正しい歴史を見つけることが最も面白い、徳川家康なども「吾妻鏡」を参考書に使っていたと言われる。今も日本史最大の謎とされる、惟任日向守光秀の本能寺事件などは違う考え方の箇所も多く、今後の新しい発見で歴史が開放させられる事もあるのだろう。
方やJ.S.バッハ死後、忘れられたバッハの歴史など100年間も放置された人物であり、今後も新しい歴史の発見が楽しみでもあろう。1829年にJ.S.バッハの「マタイ受難曲」を自身の指揮で演奏したことが、J.S.バッハの音楽を復活させることに大きく貢献した、というエピソードが残されています。
筆者が若い頃から好きな曲にバッハが56歳のときに作曲した作品《ゴルトベルク変奏曲》があります。伝記によると、ドレスデンのロシア大使であるヘルマン・カール・カイザーリンク伯爵が、不眠症を訴え、「きわめて柔和で、いくぶん快活な性格をもち、眠れない夜には少しでも気を晴らしてくれることができるような」音楽を望んでいたとされている。
そして書きあがったこの変奏曲は、才能のある若いチェンバロ奏者であるヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクによって演奏された。伯爵は非常に喜び、百個のルイドール金貨をみたした金の盃をバッハに贈っている。
まるで物語のような話だが(バッハの最初の伝記作家であるヨハン・ニコラウス・フォルケルに感謝したい)、実際、この真偽は定かではない。
この変奏曲が出版された際、カイザーリンク伯爵に献呈されておらず、贈られたとされる盃もバッハの家から見つかっていない。1741年にバッハの《クラヴィーア練習曲集》の第4巻(最終巻)として初版されたとき、作曲家自身は単に音楽が「音楽愛好家の魂の喜びのために書かれた」と序文で述べているのだ。
ゴルトベルクに関して言えば、当時まだ14歳であった。J.S.バッハ自身が優れたチェンバロ奏者であり、楽曲の演奏の難しさもよくわかっていたはずなので、もしもゴルトベルクがこの曲を演奏したのであれば、非常に才能があったことになる。全曲聴くのに1時間ほど時間を掛かりこの曲で本当に睡眠できたのかは疑問であり疑わしい、昔筆者の自宅にも娘の練習用としヤマハの一番小さなグランドピアノを所持した時があり、ピアノの先生が1ヶ月に六度ほど教えに来て頂いた時に、ピアノについて聞いた話には、兎角J.S.バッハの演奏は簡単そうであるが、曲が進むにつれ大変難しくなるそうである、また二段チェンバロの演奏はピアノと違ってそれには曹洞の練習量が必要であるそうである。と云われた。
バッハの活躍した時代にこの変奏曲は、特に手が頻繁に交差するため、両手を自在に操ることのできる名手でなくては弾きこなせないとある。2段鍵盤のチェンバロであれば、演奏者は片手を上の鍵盤、もう片方を下の鍵盤で演奏すればよいので、それぞれの腕の動きを邪魔することなく演奏できる。ピアノとは違つた演奏方式である様です。
ゴルトベルク変奏曲 BWV 988はドイツの作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)が作曲したチェンバロのための変奏曲です。
ゴルトベルク変奏曲の表題で一般的には知られていますが、1741年の出版に際してバッハ自身が付けた表題は正式には「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」(独:lavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen)と言われていたそうである。
当時このような曲を丁寧に演奏することは大変技術的にも大変であったのであろうが、ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクによって演奏されたと言っているので相当の演奏者であろう。
「ゴルトベルク変奏曲」の基礎となるのは、ト長調の「アリア」であり、事実上、2部分形式のサラバンドである(それぞれの部分で繰り返しがある)。バッハはこの曲で、旋律ではなく、和声の構造に基づいて変奏させている。これは変奏曲全体を通して一定であり、3つの短調で書かれた変奏でも同様である。
クオドリベット? 聞き慣れない名前ですね……このクオドリベット(Quod libet)とは、ラテン語で「好きなものをなんでも」という意味で、大勢で短いメロディの歌を思いつきで歌い合うことをいいます。
民謡や自作の短いメロディが歌われ、歌詞はダジャレや、時にいかがわしい内容だったり……といろいろですが、だいたいはお酒の席で歌われていたため、みんながノッてくると「おー、今のいいじゃん!」とか「今のダジャレは寒いって!(笑)」などの野次が飛び交ったそう。なんだか、現代のラップに近いものを感じますね。
バッハが書いた《クオドリベット BWV524》という作品があります。カンタータには見られないような愉快さがある曲です。お給料の代わりにビールやワインの樽をもらっていたほどのお酒好きだったバッハが、ビールジョッキを片手に豪快に笑い、ワイワイ騒ぎながら歌っていた様子が目に浮かびます!バッハはこの曲をヒントにし編曲し作った音楽が「ゴルトベルク変奏曲」ではないだろうか・・・言われている様です?
アリアとは、オペラ・オラトリオ・カンタータなどの歌曲中に登場する抒情的な独唱部分のことを指すのです。
このゴルトベルク変奏曲は、まるで大きな建築物のような作品ですが、この曲の最後を飾る変奏に少なくとも2つのメロディが使われているクオドリベットが登場します! そのうちの1つ「キャベツとかぶ(Kraut und Rüben)」(作曲者不詳)という歌について掘り下げてみましょう。なんだか変なタイトルの歌ですね。
この歌詞にある「ぼく」が誰を指しているのかはわかりませんが、どうやら当時からキャベツもかぶもあまり好きじゃない子どもがいたようです。なので、「お母さんが苦手なキャベツとかぶを使って料理したから今日は家に居場所がない」という子どもの気持ちかもしれません。
そして、このゴルトベルク変奏曲のアリアも、豊かに装飾されたその旋律がとても印象的です。
しかしながら、実は、この曲のテーマとなっているのはその旋律ではなく、左手のバスの音なのです。
ゴルトベルク変奏曲のアリアでは、低音を特定のリズムパターンとともに繰り返し、そのたびに上の旋律が変化していくという技法が用いられています。
アリアとは、オペラ・オラトリオ・カンタータなどの歌曲中に登場する抒情的な独唱部分のことを指すのです。
そして、このゴルトベルク変奏曲のアリアも、豊かに装飾されたその旋律がとても印象的です。
しかしながら、実は、この曲のテーマとなっているのはその旋律ではなく、左手のバスの音なのです。
ゴルトベルク変奏曲のアリアでは、低音を特定のリズムパターンとともに繰り返し、そのたびに上の旋律が変化していくという技法が用いられています。
なぜ全ての変奏を前半・後半きっちりリピートするかというと、そこまでが「チェンバロ音楽としては当たり前」の作法だから。チェンバロはピアノとは違いニュアンスを細かく弾き分けるのではなく、曲の「元のかたち」と「即興で装飾を入れたかたち」を両方弾き示して、その変化の妙を味あわせる、というのが、バッハの時代にも行われていた最もオーセンティックな演奏スタイルだったのです。
『レコード芸術』で特選に輝いたフォルクレ作品集でも、ランヌーは18世紀当時の流儀に従い、録音セッションの場で即興的に音を加えるという、チェンバロ本来の正統的な演奏スタイルを貫き、それがフランス音楽ならではの美質をいや増しに引き立て、音盤を名盤たらしめていたわけですが、そうした即興性はこの『ゴルトベルク』ではもはや「本質」。何もかもが尋常ではない、けれどもそれはすべて「歴史的蓋然性(オーセンティシティ)」を追求しつくしたがゆえのこと。
ゴルトベルク変奏曲 は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハによる2段の手鍵盤のチェンバロのための変奏曲 。全4巻からなる「クラヴィーア練習曲集」の第4巻であり、1741年に出版された。バッハ自身による表題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」 。
作品は32小節から成るアリアを最初と最後に配置し、その間にアリアの32音の低音主題に基づく30の変奏が展開され、全部でアリアの小節数と同じ32曲となっています。
3の倍数の変奏はカノンで、第3変奏の同度のカノンから第27変奏の9度のカノンまで順次音程が広がっていきますが、第30変奏は10度のカノンではなく、当時よく知られた2つの旋律を組み合わせて作った「クオドリベット」という曲が置かれています。
調性は第15、21、25変奏のみがト短調で他は主題と同じくト長調、第16変奏は「序曲」と題され、後半の始まりを告げています。
バッハがそんな歌を最後の変奏に登場させたことによって「もうぼく(バッハ自身)の出番は終わりだね!」のようなニュアンスが生まれます。そのあと、もう1つのクオドリベット「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」が、最初の主題に対して呼びかけ、この曲の30に渡る変奏は終わり、最初に演奏された主題(アリア)がもう一度登場します。
パワーアンプSV-501SEの導入は昔秋葉原の試聴室で聴いたIIILZに繋いであったアンプの形はSV-501SEと思っていたが、事実は’96年発売のADVANCE M-501だったのかも知れない、確かに曖昧な記憶だが視聴した音は記憶に残り少なくとも15年以上前と記憶する。
筆者の使うAIYIMA TUBE-T7プリアンプに接続するパワーアンプはADVANCE M-501 300B ステレオ 真空管 パワーアンプ SUNVALLEY SV-501SE 300Bの原型モデル 名です、 6AN8の良いものの入手が悪いので、SUNVALLEYに移り6BM8に変更するって聞いたような気がします、6BM8は当時はまだテレビがブラウン管時代に音声出力管として多用していた球であったと聞いています。
ここにADVANCE M-501 300Bの写真を入手したのですが、すごく良く似ている個体である、 SUNVALLEYは完コピした事が判った。
スピーカーケーブルも最近知った英国製QEDのProfile42 Strandもエージングも進み大変聴きやすい音になり三位一体となったと満足している。
今回演奏者は山名敏之さんの演奏ですが16フィート弦付チェンバロの音を一度お試しください。
16フィート弦付チェンバロのゴルトベルク変奏曲演奏の再現はやはり据え置き型のエンクロージャーが最適に思われる、勿論上記の三極管300BとIIILZ Monitor GoldのユニットGOODMANS AXIOM 80を組み込んだエンクロージャで肌で感じる、普通のチェンバロの音に厚みが加わり音圧を感じるような音が堪らない。勿論ゴルトベルク変奏曲は完成度の高い曲と思うが、このチェンバロで聴くと現在聴いているオーディオ装置の趣が良くわかるアルバムかもしれない。
武久源造/バッハ:ゴルトベルク変奏曲
~いわきアリオス所蔵16フィート弦付チェンバロによる~
武久源造によるバッハ『ゴルトベルク変奏曲』。2度目の録音で、現在では稀な存在となった16フィート・ストップ弦を備えたチェンバロによる演奏。『ゴルトベルク変奏曲』は、2段鍵盤を備えるチェンバロのために書かれていますが、オルガン的な発想に加え、オーケストラ的な多様性な響きの可能性を内包している作品と言えるでしょう。そのような巨大な世界を表現するにあたって、武久源造はこの楽器による演奏を選択。新たなゴルトベルク像の誕生です。
● J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(2段鍵盤チェンバロのためのアリアと種々の変奏) BWV.988
武久源造(チェンバロ)
使用楽器:16フィート弦付 マティアス・クラマー氏製作 2008年ドイツ(1754年ツェル/ハス・モデル)
● J.S.バッハ:14のカノン(先のアリアの最初の8つの基礎音に基づく種々のカノン) BWV.1087
武久源造(チェンバロA、オルガン)
山川節子(チェンバロB)
使用楽器:
チェンバロA:16フィート弦付 マティアス・クラマー氏製作 2008年ドイツ(1754年ツェル/ハス・モデル)
チェンバロB:マティアス・クラマー氏製作 2008年ドイツ(1741年ツェル・モデル)
ポジティーフ・オルガン:エティエンヌ・ドゥベジュ氏製作 2008年ベルギー
録音時期:2014年7月30日~8月2日、2015年10月1,2日
録音場所:福島県、いわき芸術文化交流館アリオス
録音方式:ステレオ(DSD/セッション)
使用楽器:いわき芸術文化交流館アリオス所蔵
筆者の音響機器で聴くかぎり16フィート弦付チェンバロの奥深い音が想像出来る、普通の楽器と比べ音色は大変豊かに鳴る、一音一音低音には響があり、高音は煌びやかである。特にバッハの後期鍵盤楽器の作品を極めれば何か違う風景を見られるように思うは私だけなのであろうか・・・・・
いわきアリオスには、
(1)現在ドイツ・ハンブルクの博物館に、その蓋だけが残っている楽器を調査・復元したもの
(2)1741年作のクリスチャン・ツェル氏が製作した楽器のコピーの2台のチェンバロがあるそうです。
これらいわきアリオスに所蔵されているチェンバロ、ハープやポジティフ・オルガンとともに温度・湿度をコンピュータで管理された楽器専用の部屋に入れられ、企画制作課の音楽部門によって定期的な調律や状態記録が行われ、いつでもすぐに使用可能な状況に保たれています。
機会があれば是非見学でもしたいと思う。ブラボー!