12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

三七五五

2006年12月15日 05時06分58秒 | Weblog

Y新聞のコラム「編集手帳」からの受け売りである。

電報全盛期の頃のお話。

東京から奈良の恋人へ、「三七五五」と電報が送られた。

万葉集の歌には、番号がついており、
「三七五五」は、次の歌の番号なのである。

「うるわしと 吾が思う妹を 山川を中に隔(へな)りて 安けくもなし」

焦がるる胸の思いを、数字の列に託して送ったのであった。

不自由な制約があればこそ、伝達手段に知恵を絞り、言葉に心を尽くしたのであろう。 

南極の昭和基地へある隊員の夫人から、

「アナタ」と打った三文字電文が、


全隊員の深い感動を呼んだとのこと。

言葉や文は、かくありたいものである。


短冊とコーヒー

2006年12月13日 02時53分07秒 | Weblog

 先生の俳号は、「逃魚」である。

弔辞で、幾つかの句が、披露された。

中でも、特に印象に残ったのは、次の一句である。

「 極月や 大魚は いづくに行くのやら 」

まさに、参列者の心を代弁する句であった。

県・市俳句連盟の重鎮として、また市内と隣町の幾つかの句会の師として、ご活躍中の急逝は、影響の大なるものがある。

俳句の添削・ご指導を頂くため、ご自宅を訪問すると、一番に目に付くのが、柱に掛けた短冊であった。

朝な夕な、短冊を見ては、推敲されていたのであった。

さっぱりとした男性的な句を詠まれ、淡々とした生き様が、伺えたのであった。

厳しいが懇切な指導と、そのとき頂戴したコーヒーの味が、今でも鮮明に思いだされるのである。

よき師を失った今、改めて、教えを守り句作に励むことこそ、最大のご供養と思うのである。


廃用性運転失調症

2006年12月12日 05時33分43秒 | Weblog

 最近、年配の方が運転する車の、左側面に前部から後部にかけて一直線の幅の広い擦り傷を見ることが多い。

同様の傷を、右側にも見ることがあるが、その頻度は、左の三分の一程度である。

少し若い人の場合には、前部・後部の角部の擦り傷が多い。

年齢にかかわらず見られるのが、真後ろの凹み傷である。

五十台前半から数年間、全くバイクに乗らない時期があった。その後、必要が生じて、再びバイクに乗るようになった。

一番驚いたことは、暫くの間(おそらく1年程度と記憶している)、直角のカーブをうまく廻れないのであった。

その現象は、加齢によるというよりも、曲がり方を体が忘れていたためであった。

その後、意識的にバイクも愛用しているため、不自由を感じるような、運転技量の低下は起きていないようである。

どうしても、歳を重ねると自然と外出の機会が減少し、車を運転する機会も少なくなる。

結果「使わなければ衰える」の喩えの如く、「勘が鈍る」と表現される運転失調症を発症することになる。

(これを称して、「廃用性運転失調症」と名付けることにした)

もし、車を失ったとしたら、バスの便があまり期待できない小生は、TAXI以外には移動手段を失ってしまうのに等しい。

「廃用性運転失調症」は何としても、避けなければならないのだが、いつかは訪れることも避けられない。

今からなら間に合うかも分からない。

カーナビ技術の急速な発達を基盤に、運転をしなくても目的地に運んでくれる、
「年金国家公務員」でも購入できる自家用車を、発明してくれないものかと願うのである。


語源おわら

2006年12月11日 07時31分46秒 | Weblog

 以前、おわら風の盆について書いたが、そのとき以来、気になっている事がある。

おわら」の語源は?  である。

その1「お笑い」説;
滑稽な風体で、歌に「おわらひ」という言葉を挟みながら、町練りを行っていた。

その後。「おわらひ」が省略されて「おわら」に変わったという、「おわらい」(お笑い)説がある。

その2「大藁(おおわら)」説;
豊年を意味する「大藁」(おおわら)という説もあります。

藁も大きくなり、稲もよく実ったという説。

その3「小原(おわら)」説;
歌の合間に「おわら」「おはら」という囃子句を入れる民謡は、

青森県津軽の「小原節」、島根県隠岐島の「おわら節」、鹿児島県の「小原節」など、各地にあるが、このお囃子説。

幾つかの説があるようであるが、結論からすると、「分からない」のだそうである。

さらに、もう一つ「風の盆」の語源が、分からないのである。

調べてみたが、どうもはっきりしないので、あきらめた。

語源が、分かろうと分かるまいと、どちらにしろ、すばらしい踊りであることに変わりはない。

「おわら」についてのおまけ:

横浜市在の常連読者からのメールの一部をご披露する。

生も約10年ほど前、富山で2年間単身生活を送りました際、「おわら」のファンになった1人です。
(中略)
この祭りにかける地元の情熱や伝統を感じました。

地元の人の話によりますと、前夜祭のほうが踊りをじっくり近くで楽しめるとのことでしたが、
最近は前夜祭にも相当な見物客が押し寄せるみたいです。
今度は温泉旅行もかねゆっくりといってみたいと思います。


選択と実行と迷い

2006年12月10日 02時01分39秒 | Weblog

11月23日(木)は、勤労感謝の日。

当然、学校は休み、おかげで、2時間分きっかり授業が遅れた。

次の、木曜30日は、試験日である。

しかも、その遅れた範囲を、2問の計算問題として織り込んでしまっていた。

埋め合わせに、前日の29日(水)午後、補習授業を行うことにした。

授業に間に合うよう、9時過ぎに出発。

岡山市入口にある橋の手前で、事故渋滞に遭遇。

最初2kmほどだった渋滞は、時間と共に、みるみる長くなり、後ろに、車の長い列ができた。

10分ほどで僅か数十メートル前進、前後で他のルートへ転向する車が散見された。

この日に限って、携帯電話を忘れたことに気がついた。踏んだり蹴ったりであった。

先行きの見当が全く付かない、思い切ってUターン、東に迂回し農道をひたすら走ると書きたいのだが、沢山の迂回車両で、この道もちょっとした渋滞。

ホントにこの選択は、正しかったのか、西に迂回すべきではなかったのか、
あるいは、もう渋滞が解消して、順調に流れ始めたのではないかなど、次々と迷いが生じた。

既に、20分迂回路を走っている。
いまさら引き返すには、余裕時間が残り少ない。

 代替案の選択と実行につきものの、「迷い」に悩まされ続けた。

約30分遅れで、岡山市を通過、あとは順調、やれやれ。

小生より、数十分遅れて、同じ玉野からI先生も到着。


彼は、渋滞に飲み込まれ、Uターンすらできず、そのまま40分間、渋滞解除まで動けなかったとのことだった。

今回は、偶然、代替案が成功したが、この次に同じく成功するとは限らない。

進むか・退いて別ルートを探すか、どのように選択し・実行するかは、これに限らずあらゆる場面で起きることである。

 いつも迷いに悩まされるのである。


十戒

2006年12月09日 04時31分01秒 | Weblog

カナダで製作した「出エジプト記」なる番組を見た。

モーゼが、エジプトからイスラエルの民を約束の地に導いた、という


旧約聖書の故事にまつわる色々な伝説を、実証しようと試みた番組であった。

1・エジプトにおける災厄
(例えば、川が血で赤く染まった等・・・)、

2.海が裂け、イスラエル人が逃げ去った後、追撃するエジプト軍が海に飲み込まれたこと、

3.シナイ山(モーゼが十戒を授かった聖なる山)の場所、

4.「聖なる契約の金の箱」の姿、

等の幾つかの伝説について、実際にあったと思われる事象を解き明かし、映像で示していた。

特に印象に残ったのは、モーゼが十戒を授かったとされるシナイ山を探し出したことであった。

これらの新しい発見とでもいうものは、そのうち学者などによって、真偽が検証されることであろう。

ずっと以前の子供の頃から、モーゼの「十戒」については、何度も読んだり・見たり・聞いたりしたのであるが、


今日まで全く気がつかなかったことがあった。

我が家は、真言宗である。

毎日、「おかんき」をあげているのだが、
その中に「十善戒」というお経がある。

まさに、「仏教の十戒」である。

(大きく異なる点は、多神教と一神教の違いと偶像崇拝の点である、

その他の精神は、同じと言ってよいと思う)

全くのところ、よくも今日まで、


仏教にも同じ「十戒」があることに気がつかなかったとは、

小生も相当のうっかり者である。


お客様は神様

2006年12月08日 01時56分51秒 | Weblog

「知るを楽しむ = 私のこだわり人物伝」という番組のお話の続編。

人物は、歌手「三波春夫」、語る人は、小説家「森村誠一」氏。

{朗々たる歌声の「三波節」は、人を快くする不思議な効果がある。

誰にでも通用し、郷愁を感じるのである}と書いた。

「未知の人も、全て味方」という声なのである。

全ての客を同時に見ながら、
「お客様は神様である」という心で歌っているのだそうである。

全ての客を同時に見るのは、
「お客と一対一」の関係を作ることなのだそうである。

お客は、
「自分ひとりのために、この歌手が歌っている」という心境になるという。

「お客様は神様である」というのは、
「神様に対して奉げる」という、敬虔な気持ちで歌っているのだそうである。

(勿論、お金を下さるお客は、神様と言う意味もあるのであろう)

三波春夫の実演を、聞いた事が無いから、思いつくことも無かったが、

歌の歌い方にも色々あるものと感心した。

人様との間で、
「神様に対して奉げる」つもりで会話すると、どんな会話になるのだろう。

誰かを相手に、試してみよう。


ようやく見つかった

2006年12月06日 04時48分45秒 | Weblog

ストレッチ体操については、10月20日版にて、

「動くイラスト入りインターネットのサイト」も含め、ある程度ご紹介したのであるが、

実のところ、小生は部分的にしか習得していなかったのである。

この体操は、一人でする「第一 ~ 第四体操」までと
二人が組みになって行う「補導体操」と呼ばれるものとで構成されている。

「補導体操」は、柔軟体操に加えて、背中・腰・臀部・大腿部前後・ひざ・くるぶし・足の裏までの筋肉を、両手で指圧する体操がある。

(上半身から下半身まで、主要な筋肉を指圧するのである)

このため、どうしても同性同士でペアーを組む必要がある。
(ご夫婦の場合には、OKであろうが)

以前にも書いたが、約五十名弱のメンバーのうち、男性は、小生1名であった。

11月の最後のストレッチ教室に、ついに小生の相方となる男性会員が、新規入会、
やっとペアーが組めた。

 これで小生は、先生のモルモットから、ようやく実践的に「補導体操」を勉強できる環境となったのである。

今までは、してもらう一方の身であったが、実際に自分で行ってみると、何十回も見ているにも関わらず、うまく出来なかった。

見るだけでは分かったつもりに過ぎないのである。

実践がいかに大切か思い知った次第であった。

この男性は、太極拳をご一緒に学んでいるお方である。

毎回の太極拳開始前の準備体操時、小生の柔軟性が、徐々に改善しているのを見て、お尋ねがあった。

それで、ストレッチをご紹介したのである。

効果の程は、小生で実証済みである。

ぜひとも両方の教室を継続して、数少ない貴重な男性となって欲しいものである。


一休さん

2006年12月05日 04時29分36秒 | Weblog

家内の遺品を整理していたら、現代の名僧「松原泰道」師の「しみじみと心に響く講話」と題するテープが出てきた。

「死んだら人は、一体どうなってしまうのか」の項で、一休さんの歌を紹介していた。

「いま死んだ どこへもゆかぬ ここにおる たずねはするな ものはいわぬぞ」

一休さんと足利義満との間の問答は、アニメなどで紹介されているので、良くご承知であろう。

代表的な説話は、「屏風の虎退治」や「このはし渡るべからず」・・・である。

本名「一休宗純」1394年2月1日、京都の生まれで後小松天皇の落胤とされる。

88歳で酬恩庵(通称「一休寺」)で没した。

臨終の言葉は「死にとうない」と伝わっている。

あるとき、だんな寺の住職に
「位牌とはいかなるものか?」と聞くと、「窓である」と。

それでは、「お墓とは?」と聞けば、「玄関である」と。

 さらに「家内は、どこに居るのか?」との問いに、「あらゆるところに居る」との答。

現在は、これを信じることにしている。

それ故、家内は、

「どこにても 在りて見ている 我なれば ものはいわぬよ じっと見るのみ」

とでも、詠っているような気がしている。

 祥月命日が近いので、こんなことを書いてしまった。


歌詞 風の盆 

2006年12月04日 03時35分46秒 | Weblog

 おわら風の盆の続編である。

胡弓の物悲しい調べに乗せて歌われるのは、
次のような歌詞である。

一読して驚いた、なんと切々たる恋の歌ではないか。

以前
{哀愁を帯びたこの踊りは、「陰」の踊りである、
ナイーブでデリケートな感じが何ともいえない哀愁がある。
きっちりとした上品な踊りである。
胡弓の切ない響きが、一層上品さを盛り上げている。}
と書いたが、熱い熱い恋歌とは、思いもよらなかった。

日本人固有の「静けさ・冷静さ」の中にある「激しさ」を見たような気がする。

それでは、踊用の歌詞の一部をご紹介する。  

(長囃子・前囃子)   
越中で立山 加賀では白山   
駿河の富士山 三国一だよ   
(囃子)   
唄われよ わしゃ囃す
      (中略)    
(長囃子)   
三千世界の 松の木ァ 枯れても   
あんたと添わなきゃ 娑婆に出た甲斐がない
(囃子)   
唄われよ わしゃ囃す   
(歌)   
竹になりたや   茶の湯座敷の  
ひしゃくの柄の竹に 
いとし殿御に持たれて 
汲まれて  一口 オワラ 呑まれたや   
(囃子)
春風吹こうが 秋風吹こうが   
おわらの恋風 身についてならない   
(歌)
      (春)   
ゆらぐ釣橋 手に手をとりて   
渡る井田川 オワラ 春の風
      (夏)   
富山あたりか あの灯火(ともしび)は   
飛んで行きたや オワラ 灯(ひ)とり虫      
(長囃子)   
見送りましょうか 峠の茶屋まで   
人目がなければ あなたのへやまで 
        (後略)


ラジオ深夜便

2006年12月03日 05時46分22秒 | Weblog

 11月27日の「抹籍」について、お二人の常連読者からコメントを頂いた。

お二人とも、お若いのであろう、深夜便をご存じないようであった。

つらつら考えるに、もう少し「ラジオ深夜便」の宣伝をしておこうと考えた。

小生は、度の過ぎた、早寝・早起きである。

困ったことに、早いときは、深夜から目が覚める。

(この症状は、うつ病の兆候でもある、という記事を新聞で読んだことがある。それなりに気をつけなくてはと考えている。)

この結果、時間つぶしにとラジオを点けたのであるが、偶然「ラジオ深夜便」にめぐり合った。

十数年前から、夫婦ともども大の深夜便ファンとなり、今日に到っている。

(NHK第一放送では、午後11時20分から翌朝午前5時まで、また午前1時からはFM放送でも聴取可)

NHKのホームページで、ご覧頂くと番組内容が、お分かり頂けるであろう。

ご参考までに、小生が好きな番組を、一部ご披露する。

(11時20分から2時までは、日替わりで、番組が変わるため書き出せないが、面白いと感じるものが多い)

火曜日 0時台;朗読 「三屋清左衛門残日録」作:藤沢周平  語り:松平定知アナ

(ここまで早く目覚める頻度は少ない、多くを聞き漏らしている。替わりに、すでに本で何度も読んでいるのだが、「朗読」と言うものは、それなりによいものである、結構楽しめるのである)

2時台;ロマンチックコンサート(ポピュラー音楽)

(幅広く選曲されているので、それなりの楽しみを頂いている)

3時台;にっぽんの歌こころの歌(主に、歌謡曲)(最近は、昭和30年代の曲が多い、懐かしいのである)

毎月1回、最後の日曜日の4時台;「特集・わが人生の歌語り」作家 五木寛之 聞き手 須磨佳津江アンカー

(これは先日書いた通り、戦前・戦中の皆さんには大好評だったようで、再放送である)

小生の場合には、出たとこ勝負で聞いているので、全てを完全に聞いているわけではない。

目覚めたそのときの状態で、聞けたら聞くという、いたってちゃらんぽらんな聞き方をしている。

読者の中に、「眠れない方」・「早く目の覚める方」がいらっしゃるなら、一度試しにお聞きになるのも面白かろうと思う。

興味が尽きないので、今後もずっと聞き続けるような気がする。


タイムカプセル

2006年12月02日 04時46分49秒 | Weblog

「平成元年記念カプセル」なるものが出てきた、すっかり忘れていた。

昭和天皇が崩御され、平成に時代が変わった時を記念して作っていた。

特集新聞・特集週刊誌などを、菓子用のブリキ缶に納めたものである。

内容物は、総て他人の書いたものである、読み返してみると、それほど感銘を覚えない。

当時は、非常に重大なことと思い、このような物を作ったのであろう。

ちらりと見ただけで、再び収納した。

18年間は、それなりに長かったし、色々なことが沢山あった。

断片的には思い出すのだが、脈絡がない、まとまりがない、茫漠としている。

ブログは、書けることに制約はあるが、自分の言葉であることには変わりがない。

あるときは日常を描写し・自慢話であったり・見栄を張ったり・悪口を言ったり・ほめてみたり・多くの場合、過去を振り返ったり、

脈絡のない日常の断片に過ぎないかもしれないが、“自分固有の思い”の集大成である。

 後日振り返れば、書いた当時と異なり、なんだ詰まらないと思うことも多いのであろうが、

それが自分であり、自らの歴史なのである。

あの当時、ブログが存在し、それを書き込んでいたとしたら、

も少しましなタイムカプセルが出来ていたかなと思った。


見方

2006年12月01日 04時48分10秒 | Weblog

 ビデオクラブで、岡山駅のほぼ北側に位置する
「津島運動公園」の紅葉が、大変きれいであるという人がいた。

小生は、ここ数年、年中週1回、この公園の西側の道路を北上している。

帰途は、墓参りや県北観光などで別ルートを経由することが多い。

毎年見ているはずであるのに、不思議なことに、紅葉がきれいという、印象を持った記憶は無い。

どうも解せなかった。

たまたま、11月29日・30日と二日間続けて、この道を通行することになった。

絶好の機会と、ここの紅葉を、観察することにした。

29日は、午前10時半頃観察、なるほど、絶景というべきほどの、眩いばかりの炎のようなすばらしい紅葉であった。

公園を取り囲むように、一列に林立した木々は、15mほども背丈があり、壮大でもある。

その上、歩道一面、紅い落ち葉で敷き詰められていた、風情も良かった。

すばらしい太陽光線が、丁度うまい具合に、紅の葉を燦然と輝かせているではないか。

まさに、絶景であった。

翌30日は、午前7時20分頃通過、太陽は、まだ昇り始めたばかり、光線は、なんとなく灰色がかっているようであった。

当然、紅葉もくすんで見えた。

これで、小生の疑問が解消した。

これまでは、いつも早朝にこの場所を通過してきた、灰色の太陽光線の元で紅葉を見ていたのであった。

これでは、どんなにきれいなもので、くすんでしまう。

紅葉そのものは、昨日も今日も大差が無いはずである。

 きれいに見えるかどうかは、それを映し出す太陽光線に係っていたのである。

多くの事柄は、「見方」・「受け止め方」によって、様々に変わってしまうのであろう。

どうも物事を、一面的に見てしまっているのではないかと、不安になった。

多面的に、想像力を働かせて、本質を見なくては思った。