おはようございます。
7月の上旬は台風や豪雨がありたくさんの被害をもたらされた半月でありました。
皆さんはいかがでしたか?
私の住む名古屋は台風の進路に予想され心配しましたが、途中で衰弱して被害はありませんでした。
ご覧の皆様は被害ありませんでしたか?
被害のあった方謹んでお見舞い申し上げます。
今回は1800系をご覧ください。
1800系(車体は17m車)は1700系をさらに進めた特急用車として登場、
1801-1802が試験車というべきもので1801にCP 1802にMGを搭載する2両固定編成である。
1801は90Kwモーターに歯車継手を用いた特殊な中空軸平行カルダン(東洋電機) 1802が75KwモーターでWN駆動を採用して
昭和28年7月に川崎車両で完成。
昭和29年4月に1803~1809(Mc) 川崎車両 1881~1883(Tc) ナニワ工機
1803(Mc)-1881(Tc)・ 1805(Mc)-1882(Tc) 1807(Mc)-1883(Tc) Mc-Tcの2両固定編成で
1804・1806・1808が増結用Mcとして製造された。
1803-1881-1804編成は製造時から全車ロングシートであった。他の車両は扉間転換クロスシートであった。
昭和29年秋から1882・1883は初のTVカーとなった。
テレビアンテナは乗務員がセルシン(通称)で区間によって手回しで動かした。
1810系(車体が18m車) 後に 1900系改造車になる。
1811~1816(昭和31年4月) 川崎車両 1805・1806は両運転台車 その他は奇数車京都方・偶数車は大阪方運転台
1817~1819(昭和32年8月) 川崎車両 奇数車京都方・偶数車は大阪方運転台
1820 (昭和34年12月)川崎車両 1820は京都方運転台車
1884・1885(昭和31年4月) ナニワ工機 制御客車(Tc)
1886・1887(昭和32年8月) ナニワ工機 中間客車(T)
1888・1889(昭和32年8月) 川崎車両 制御客車(Tc)
1890・1891(昭和34年12月) 川崎車両 制御客車(Tc)
1810系の増備車の内 1884 1887は18m車でありながら空気ばね台車をはいていなかったために1800系に残った。
1887は1801-1887-1802の編成をするために両端広貫通であったが、出力が弱かったために持て余していた。
その後貫通路を普通の広さに改造して1887→1852→1872→1882と改番された。
1884→1851→1871-1881と改番して17m車の1800系の間に入って編成された。
1810系については1900系の時に説明します。
(1) 1802 特急三条 森小路 S38.2.
(2) 1806 上り回送 森小路 S38.1.
(3) 1883-1807の2連 普通大阪 中の芝踏切 S38.3.
(4) 1820 特急三条 八幡5号踏切 S38.8.
(5) 1818 特急三条 中の芝踏切 S38.7.
(6) 1807 特急三条 中の芝踏切 S38.7.
(7) 1804 特急天満橋 橋本変電所前 S38.2.
(8) 1804 守口車庫 S38.3.
(9) 1802 守口車庫 S38.1.
(10) 1800系側面 樟葉ー橋本間 S38.2.
次回は2000系をよていしていましす。
こんにちは!コメントありがとうございます。
当時は無人踏切で警報機もなしの4種踏切が多かったですねぇ!
踏切には第1種甲踏切・・・・24時間全列車遮断機を下す。(自動遮断機)
第1種乙踏切・・・・初発列車から最終列車までの全列車遮断する。(最終後の工事列車については遮断されない。)
第2種踏切・・・・この踏切は時間から時間まで係員を配置して遮断する踏切。(例えば 7時~21時まで警戒)
第3種踏切・・・・この踏切は警報機だけがある踏切
第4種踏切道は警報機も何もない踏切。
現在では全踏切が第1種甲踏切で24時間全列車遮断しています。
この当時は第2種・第3種・もたくさんありましたが、第4種踏切が半分くらいあったように思います。
今は高架や地下化で踏切全体が少なくなっています。
ご覧のように、まだまだのんきな時代でしたねぇ!
ありがとうございました。
特急色なのと、内装が上品なピンク色とクリーム色のていねいな作りで、
すごく高級感がありました。
女生徒たちは「ピンクの特急車」と呼んでました。さまざまな形の車体や台車があって、楽しく1872号には大きなTVのケースも残っていました。
モーター音も静かで吸い込まれるような、きれいな音を響かせていました。
1700系といつも一緒でしたが1700系よりも早く姿を消したのが残念でした・・・ 貴重な写真ありがとうございました。
1800系の起動時のモーター音は1900系と共にほんとうに静かでしたね。一方、後の高性能車グループでも2000系、1000系、5000系の起動時のモータ音は少し「うなる」ように思います。
3の画像を拝見していますと1M1T編成ですね。当時の
モーター出力(75kW~90kW?)から想像しますと加速や勾配区間での走りはどうだったのしょうか?
コメントありがとうございます。
自分が運転していたころの電車が褒められるということはうれしいですねぇ
でも初期のころは1800系の速度計は取り外されたように思います。
走行音は確かに静かでした。
それまでの電車はひどかったですからねぇ!
でもその音が好きで録音されてた方も、多くいらっしゃいました。
これからもよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
あの頃は2連から5連までだったと思います。
その後6連~7連と増えていきましたが、ブレーキは大変でした。
M T編成でも20分間隔だったのでダイヤが乱されることは少なかったと覚えています。
またコメントお願いします。
系は正面や側面のデザインは京阪の車体の大きさにうまくマッチしていて洗練されたデザインで好みでした。地上時代の枚方市駅5番線で停車中の折り返し区間急行として1700系と組んだ7連はなかなか観察し甲斐がありました。車内は室内灯や換気口などに特急車の面影が残っていました。壁のピンク色が妙にマッチしていました。かつての湘南電車のグリーン車の内装もピンク色でした。現在の小田急や京急の一部の車両の内装は薄いピンク色になっています。これらに乗り合わせると京阪1800系を思い出します。
コメントありがとうございます。
1800系の車内のピンク色については夜に担当すると何か家庭を思い出しました。
最終近くになると夜のお仕事のお姉さん方が座席に座り化粧を落とし下車される頃にはすっぴンになり、普通に下車されていく様子など思い出します。
運転室の全面ガラスには車内の様子が、写っていました。
もう40年以上前のお話です。
他社のもピンク色の内装があったんですねぇ!
ありがとうございました。