自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

見るという事

2009年05月31日 | Weblog
 昨日は一日ボーとしておりました。不思議なことなのですが、ボーとしている時に限って、教わることに出会います。そこいらにある本の頁をめくっているだけなのですが、ああ、そうだったと気がつくことがあります。ポール・ヴァレリーの『ドガに就いて』(吉田健一訳)の一章「見ることと描くこと」の冒頭は概略次のように始まります。
 鉛筆を持たないまま物を見ているときに目に映っている物の姿と、デッサンしようとして見る物の姿の間には天地雲泥の差がある。普段見慣れている物が、ガラリと様子を変える。物が物の用途から洗われて、物そのものとして目に見え始める。日常の目は、物と私達の間を仲介する役しかつとめていなかったが、いったんデッサンしようと鉛筆を持ちつつ物を見始めたとき、目は意志に支えられた指導権を握る。そして意志して見られた物は、普段見慣れていた物とはすっかり別の物に一変する。
 ヴァレリーの言う通りだと思います。その通りだと普段考えている僕を忘れてしまっています。手に鉛筆をもってデッサンするつもりで見なければ、物の姿は見えないのです。そうすると多少こじつけになりますが、見るという事は看るという事なのです。看護の一歩手前の看るという事なのです。そうして、やがて看護される時期が僕にも訪れます。それまでは看る事に心がけなければならないと思います。思うだけに終わるかもしれませんが。