自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

『夜と霧』

2009年05月07日 | Weblog
 一度触れねばならないとかねがね思っていた事がある。人間がどこまで悪くなれるか、僕の乏しい想像力では把握できない事であった。30年以上前に読んだ、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』が示唆してくれたように思う。フランクルは1905年ヴィーン生まれのユダヤ系の精神分析学者。ナチス・ドイツのオーストリア併合で、一家は両親、妻、二人の子供ともどもアウシュヴィッツに送られ、彼以外の家族はすべてそこで殺された。『夜と霧』には妻を想う瑞々しい言葉がある。
 「私はアウシュヴィッツにおける第二日目を決して忘れないであろう。その夜私は深い疲労の眠りから、音楽によって目を覚まさせられた。(中略)ヴァイオリンは泣いていた。そして私の中でも何かが涙を流した。なぜなら丁度この日、ある人間は二十四歳の誕生日を迎えたからである。この人間はアウシュヴィッツ収容所のどこかのバラックに横たわっている筈であった。従って私と数百メートルあるいは数千メートル離れているだけだった。---この人間とは私の妻であった。・・・」
 ナチスの行為は人間がこんなにも人間的でなくなる事ができるという極限を明示した。そしてもう一つ明示した事がある。極限状態で、人を殺して自分が生きるか、自分を捨てて人を生かすか、という選択に迫られた時、人を死に追いやって自分が生きるチャンスを掴もうとする事に殆ど躊躇しないであろう、という人間の弱さを明示した。
 この本は他にも人間の有り体を示している。再読しなければならないと思う。