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Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

水上バス(+ 再生リスト)

2014年03月17日 | 日記
水上バス(+ 再生リスト)


自動車のナンバーでなにわナンバーが出来たのは昭和58年(1983年)11月だったと思う。早いもので去年で30年を迎えていたことになる。当時、秀吉の大阪城築城から400年の年で「なにわ」が大ブームとなっていたと記憶している。自身は「よど」ナンバーになると勝手に確信して勝手にPRしていたが、なにわナンバーに決まった。

だからというわけではないが、この文字をみるとなにやら感慨深いものがあるのである。ともかく、今は珍しくなくなったが、ひらがな表記ナンバーの二番目だったと思う。
 
大阪城梅林公園での観梅の帰途、堀端に沿ってずらりと立てかけられた「大阪夏の陣400年」の旗ざおが北風にあおられてはためいていた。
逆算すると築城から夏の陣までたった30年ほどの期間であったことに気がつく。

たったの30年、この計算が正しいのか反復して計算するうちに寝屋川にかかる「きょうばし」にたどりついていた。
橋のたもとの案内看板にこんなことが書かれていた。「きょうばし・・・秀吉の時代にかけられ、京街道の基点、京都に通じる橋という意味でなずけられ、天満橋、天神橋と同じく公儀橋として重要視され、高欄擬宝珠(ぎぼし)つきの橋であった・・・」

※高欄擬宝珠(ぎぼし)⇒わからない方は京都の五条大橋などの橋の欄干についている金属製のかぶら形のかざり)

読み終えた時にこの橋の名前、「きょうばし」が基になって名づけられた繁華街、「京橋」界隈の方角から水上バスが猛烈なスピードで迫って来た。慌てて橋の中央に引き返しシャッターを押し続けたが、水上バスはあっというまにこの「きょうばし」を潜って行ってしまった。
ファインダーから確認した船名は「なにわ2号」と書かれていた。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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古戦場 (はるか)
2014-03-19 22:30:22
夏の陣で奮闘した真田幸村。天王寺茶臼山の家康本陣に猛迫したが•••
今、通天閣同様、アベノ ハルカスからはさらに高い位置からその古戦場のジオラマ見えるはず。
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Unknown (ゴー隠居マン)
2014-03-24 17:43:51
土曜の午後一番、初めて「ハッピーカーライフ」を聞きました。
ちなみに我が車のナンバーは「なにわ」から始まります。
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