後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本中に何故、廃村や無人島がどんどん増加するか?」

2024年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日本中に何故、廃村や無人島がどんどん増加するか考えてみたいと思います。
日本全国に打ち捨てられた古里が沢山あるのです。1970年頃から始まった経済の高度成長で廃村が急増しました。現在の日本の人々はそんな事を忘れてしまったのでしょうか?
10年ほど前に八丈島へ一人旅をしました。見ると沖に八丈小富士という離島があります。昭和44年までは小学校や中学校があり2つの集落があったそうです。牧畜や漁業で生計を立てていたのです。それが完全に廃村になっているのです。八丈小富士の島を示します。10年前に私が撮った写真です。
1番目の写真は八丈小富士のある島です。
この美しい島に渡るには船をチャーターしなければなりません。人の住んで居ない島へは定期船などありませんでした。心を残しながら帰って来ました。
ところが全国の廃村を訪ね歩き、写真を撮っている奇特な人が居るのです。浅原昭生さんという1981年生まれの青年です。廃村訪問記と写真が沢山掲載されたHP、「廃村と過疎の風景」http://www.din.or.jp/~heyaneko/haison.html を出しています。感動的な内容のHPです。
その中に八丈小富士島へ船をチャーターして2度も訪問した時の感想文と写真があります。下に4枚の八丈小富士島の写真を転載させて頂きました。
2番目の写真は人が住まなくなった八丈小富士の風景です。
3番目の写真は人が住まなくなった八丈小富士の廃屋です。
浅原さんは全国の廃村を根気よく訪ね、写真を撮って記録として残しているのです。かつてその村に住んでいた人々を偲びながら記録を残しているのです。
私はこの浅原さんの気持ちに何故か感動します。
八丈小富士のある島は一つの例です。日本中に廃村や無人島がどんどん増加しているのです。
さて無人島化した離島一覧表は、「SHIMADAS」(日本離島センター刊)と「無人島が呼んでいる」(本木修次さん著,ハート出版刊)に詳しい情報が出ています。
日本には約3600位の島があります。、昭和時代に入ってから68の離島が無人島になってしまい、現在、人の住んで居る島は300位だけになってしまいました。
離島だけではありません。北海道から九州まで廃村になった村落が非常に増加しています。
何故、廃村や無人島がどんどん増加するか考えてみます。
よく田舎には就職口が無いから若い人が都会へ出て行ってしまうから過疎になると、人は簡単に納得します。
しかしそれは過疎化の原因の半分だけです。もう一つの原因は日本人の先祖の土地を守るという精神が無くなったからです。
このような現象が日本中に広がっているのです。
地方の自治体が過疎化を防ぐために都会からの移住を進めるいろいろな政策をとっています。しかしあまり成果はあがっていません。
過疎化は日本経済が豊かになり、先祖の土地を離れることに抵抗感が無くなればば当然起きる社会現象なのです。

そして近所でも過疎化の現象が起きていたのです。団地に人が住まなくなったのです。その結果書店街が消えてしまったのです。
このコメントで気がついたのですが私の家の近所の団地でも同じことがことが起きているのです。団地に住む人がいなくなったのでそばにあった商店街も消えてしまったのです。過疎化は都会の中でも進み、商店街も消えて行くのです。
都市の中の過疎化現象と消える商店街の様子を写真でご報告いたします。
4番目の写真は完全に空き家になった団地の棟を順次取り壊している光景です。
近所にあった広大な公務員団地の様子です。空き家です。団地の建物はコンクリートの打ち放しのままの貧弱な建物で、その上一軒の面積も狭いのです。少し余裕のある人は綺麗なマンションや一戸建ての洒落た家へ引っ越してしまったのです。
5番目の写真は私の家の裏手にあった商店街の現在の光景です。
私どもが1964年に引っ越して来た当時は両側にに20軒ほどの個人商店がビッチリと並んでいました。賑やかな商店街だったのです。酒屋、肉屋、葉茶屋、菓子屋、化粧品屋、八百屋、蕎麦屋、中華料理屋、本屋、電気屋そして歯科医院まであったのです。
夏になると商店街祭りがあり野外舞台にお笑い芸人や歌手が来ました。夜になると酒屋は椅子とテーブルをそろえ生ビールを出しました。浅草でサンバ踊りがあった後に踊り子が裏の商店街祭りにも来ていたのです。それは楽しい夏の夜の思い出です。そんな商店街が消えてしまったのです。
6番目の写真は私どもが1964年に引っ越して来た当時からあった寿司屋です。この菊寿司さんから何度も寿司を取り寄せたものです。現在は主人は亡くなって子供夫婦がしています。
7番目の写真は当時からあった肉屋の取壊し前の写真です。
この田中肉屋は当時のまま主人と奥さんと主人の姉の3人で営業していました。しかし現在は廃業して空き地になっています。
8番目の写真は裏の商店街に最近出来た「フレッシュさとう」という八百屋です。昔の酒屋と肉屋とお茶屋の跡を占めて賑やかに商売をしています。

以上のように都会の中でも過疎化して商店街が消えている場所があちこちに沢山あるのです。

今日は日本中に何故、廃村や無人島がどんどん増加するか書いてみました。都会の中でも過疎化して懐かしい商店街が消えてしまったのです。夏の商店街の祭りが楽しかったです。サンバ踊りを思い出します。
それにしても栄枯盛衰は世の習いです。嗚呼。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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