後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅雨空の檜原村、旧棡原村への山岳ドライブ

2019年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨で暗い気分です。気分を晴らそうと昨日は檜原村から峠を越して旧棡原村へ下る山岳ドライブに行きました。檜原村は東京都で旧棡原(ゆずりはら)村は山梨県です。
皆様もこの山岳ドライブへお誘いしたいので昨日撮ってきた写真をお送りします。

1番目の写真は檜原街道です。このまま進むと数馬の里に上がれます。写真の看板にある兜屋は数馬の里にある料理屋です。この道を数馬の里の手前で左折し急坂を登れば山梨県に入れます。

2番目の写真は檜原街道の周囲の風景です。

3番目の写真は標高840mの峠にある甲武トンネルです。甲斐の国と武蔵の国を結んでいるので甲武トンネルなのです。この写真は家内が振り向いて撮った写真です。車は間違いなく道路の左側を走っています。

4番目の写真は甲武トンネルを抜けて、やれやれと思い一休みしている場面です。家内は写真の中央に写っている橋の上まで走って風景写真を撮りました。

5番目の写真は橋の上から撮った谷川です。山梨県の桂川に合流して相模湖へ流れて行きます。
ここを下って曲がりくねった急坂を丁寧に運転して行くとやがて人家が現れます。現在は合併して上野原市に含まれていますが以前は棡原(ゆずりはら)村という有名な長寿の村でした。
平成の時代に天皇、皇后も訪れた日本一の長寿村だったのです。

この上野原の棡原地区には現在でも『ふるさと長寿館』があり観光客で賑わっています。
この『ふるさと長寿館』へ平成天皇と美智子皇后が平成8年4月25日にご訪問されました。
そのこともあって多くの人々が『ふるさと長寿館』の山の農作物で作った食事をしに訪れています。
私どもも何度も訪れた場所です。

6番目の写真は平成8年4月25日に訪問なさった天皇さまと皇后さまのお写真です。
この写真は2年前の5月20日に『ふるさと長寿館』で撮った写真です。
この『ふるさと長寿館』の上の山村にはアヤメやいろいろな草花などが咲いています。野生の桐の花や朴の木の花も咲いています。

7番目の休耕の畑に咲いていたアヤメです。2年前の5月20日に撮りました。

さて何故、山梨県の棡原村(ゆずりはらむら)は日本一の長寿の村と言われたのでしょうか?
平成29年5月1日現在の棡原地区には65歳以上の高齢者が460人住んでいます。これは棡原地区の人口の46.4%にあたります。
従って棡原地区の平均年齢は60歳以上になります。ですから長寿村と言うのです。
しかし若者が皆都会に出ていった過疎村は全国に沢山あります。
過疎村の平均年齢は高いのは当然です。
それなのに何故、日本一の長寿村と言われたのでしょうか?
理由は過疎とか高齢者とか平均年齢などという概念がまだ普及してなかった時代に「日本一の長寿村」と言い出したからです。独創的な発想でした。
かつての日本一の長寿村・山梨県棡原村で医師をしていた古守豊甫先生が言い出したようです。
その言葉は、『 人の寿命は 食べた野菜の量に比例する! 』という情緒的なスロ-ガンでした。科学的根拠などありません。
棡原地区の人々は山の畑で採れるイモ類、主にジャガイモと里芋や 雑穀類、野菜類、豆腐、納豆、味噌などばかり食べ、 時々川魚を食べていました。
このような食生活で本当に長生き出来るのでしょうか?
まあ科学的な詮索は止めましょう。
兎に角、野菜をたくさん食べましょう。野菜は間違いなく健康に良いのです。

昨日はそんな事を思い出しながら山道を上野原まで出て来ました。そこで必ず買う酒饅頭の店が休業でした。少しガッカリしました。
後は相模湖から中央高速道路にあがり帰って来ました。檜原村、旧棡原村への山岳ドライブで気分が晴れました。皆様もご気分良く梅雨の日々をお過ごし下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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