海岸寺
この寺は、享保年間にこの地一帯に移住した農民の、寺院建立の熱心な要望によってできたものである。
この地はもともと江戸南泉寺の抱地で、宝林庵という小庵があった。南泉寺の弟子円備、済松寺弟子禅育らはこの農民の要望をいれ、元文元年(1736)10月、寺社奉行の許可を得て、武蔵国秩父郡三峰山境内にあった本明宗全禅師開創の越中(富山県)国泰寺の末寺である海岸寺の末寺である海岸寺の引寺に成功した。
しかし堂宇が建立できなかったので、元文4年(1739)江戸済松寺の末寺となり、同寺6世石慧堅禅師を中興開山として、瑞雲山海岸寺の礎を確立し、円備首座が堂宇を建立した。
現在の本堂は、昭和33年(1958)に建替えられたもので木造瓦葺である。
また山門は170〜180年前の建立で、渡り大工の作といわれている。鎌倉様式が取り入れられ、面積は8.3平方メートル、四脚門で天井には竜の絵がほりこまれていて、近隣の市町村でも珍しい貴重な建築物である。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)