後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「夏になると思い出す祖父が住職をしていた兵庫県のお寺」

2024年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

祖父が住職をしていた曹洞宗の正林寺は兵庫県の猪名川町の内馬場にありました。私の父は長男でしたが寺を出て仙台の東北帝大の教授になっていました。正林寺に毎年夏に泊まりに行くのが我が家の恒例でした。少年の頃のことで茫々70年前のことです。兵庫県への長旅はまず東北本線の蒸気機関車で上野駅まで行きます。東海道線の電気機関車で梅田、大阪駅まで根気良く走ります。梅田から阪急電鉄に乗ります。野勢口で乗り換えて野勢の妙見さんの方面に行きます。その電車の「山下駅」で降ります。そこから内馬場は20Kmの遠方にあります。はじめはタクシーでしたが太平洋戦争でタクシーも無くなりました。オート三輪の荷台の乗って内馬場まで行きました。

正林寺は兵庫県の内馬場の小高い山の上にありました。その正林寺に似たお寺の写真を示します。インターネットからお借りしました。

1番目の写真は内馬場の昔の正林寺に似たお寺の写真です。現在の正林寺は改築され立派なお寺になっています。

2番目の写真は内馬場の集落に似た風景です。

3番目の写真は昔の正林寺にあった白壁の倉に似た倉の写真です。
祖父が亡くなった後は父の弟が後を継ぎました。
 昭和11年生まれの私は毎年、夏になると一家でその曹洞宗のお寺に帰省し、お寺の暮らしを体験しました。
お寺の暮らしが珍しい上に、お盆には施餓鬼供養という一大イベントを毎年見たのです。
近隣のお寺から多くのお坊さんが集まって、本堂でお経を唱和します。そして銅鑼を鳴らしながら輪になって歩き、お経を唱えるのです。

4番目の写真は施餓鬼供養のために集まった和尚さんです。これから儀式が始まる場面です。写真はインターネットからお借りしました。

5番目の写真は施餓鬼供養で数人の和尚さんが輪になって歩きながら読経をしている場面です。写真はインターネットからお借りしました。

村落の檀家の人々が本堂の後ろや両側の客間に溢れるように座っています。
本堂での施餓鬼供養が終わると叔父の住職さんは私に小坊主の法衣を着せて一緒に、村落の一軒、一軒を回り、お盆のお経を詠みます。お布施の小さい袋を戴くのが楽しみでした。
その後の夏休みの間は弟と一緒に村落の中を流れる小川で沢蟹を取ったり、通りかかった農家で西瓜をご馳走になったりしました。楽しい思い出です。
正林寺には優しい祖母がいました。孫の私と弟にスイカやソウメンをご馳走してくれ可愛がってくれました。
仙台までの長い汽車の旅のためにオニギリを沢山握ってくれました。
山間の水田に浸かってタニシを沢山拾い集めて煮てオニギリのおかずにしてくれました。帰りの東海道線の汽車の中で甘く醤油で煮たタニシの美味しかったことが忘れられません。その後タニシは食べたことはありませんが凄く美味かったことが忘れられません。
昭和50年代に祖父の高天秀嶽大和尚の33回忌の法要をしました。
それ以後、私はその正林寺とは一切疎遠になってしまったのです。
しかし正林寺の懐かしい光景は以後、私の心の中に鮮明に残っています。
今日は祖父が住職をしていた兵庫県のお寺の思い出を書きました。正林寺の思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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