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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」続き

2025年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の前の記事で山林の中の小さな小屋の話を書きました。我が人生に深い影響を与えた体験です。ところがもう一つ我が人生に深い影響を与えた体験があったのです。それはヨットの趣味でした。そのことを書きたいと思います。
私は50歳で江の島の小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。
長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。
そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。
ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。
それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。
優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。
ヨットをあけび号と命名し、家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。

1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。
霞ヶ浦で10年間乗った「あけび号」を群馬県のカヤシマさんという方へ売りました。
「あけび号」を手放してから今度は大きな「ルナ3世」号を買いました。

2番目の写真は「ルナ3世」号です。長さ26フィートです。
「ルナ3世」号のキャビンには炊事コーナーも水洗トイレもついていました。

3番目の写真は「ルナ3世」号の後ろ姿です。
霞ヶ浦でヨットをしているといろいろな友人が出来ました。趣味の視野も広がり海での帆走に興味が湧きました。

そして大きなヨットのハンスクリスチャン41の思い出です。
そのヨットの上で2009年4月に初めて艇長のHootaさんとを一緒にビールを飲んだものです。駿河湾のセイリングも楽しむことが出来ました。
東京湾をババリア39型のヨットで帆走したこともあります。2009年の5月のことでした。
三浦半島の突端の三崎港から東京の浜離宮わきの係留地までセイリングし体験もありました。

私のヨットの趣味は葉山や江の島で小型ヨットのディンギイで2年、霞が浦でYAMAHA-19での10年、「ルナ3世」号での13年間、合計25年間の趣味でした。

ヨットの趣味のお陰で私の視野がすっかり広がり人間を見かけによって差別しないようになったのです。
他人を差別しなければ皆と仲良くなれます。それが幸せと感じるようになりました。ヨットの趣味のお陰です。

今日は私のヨットの趣味をご紹介致しました。その趣味のお陰で私は他人を見かけによって差別しなくになったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「遥かなる西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景」

2025年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

私は駿河湾の向こうに富士山の見える風景が好きです。
そんな風景の見える所は西伊豆の沼津から伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸です。東京からは遥か遠方なので観光客がめったには行かない地域です。
その戸田には昔、家内と泊まった楽しい思い出があります。それから駿河湾では北欧風のヨットで2009年に帆走した思い出もあるのです。

ある晴れた日に家内と一緒に車で西伊豆の海岸の風景を楽しむ旅に出ました。西伊豆の旅の後は宇佐美に出て湯河原温泉に泊まりました。
それでは伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸の風景写真を示します。
1番目の写真は内浦湾の重須ヨット係留地の風景です。ヨットのマストの上に富士山がぼんやり写っています。晴天でしたが富士山には薄い雲がかかっていて鮮明には見えませんでした。

2番目の写真は重須ヨット係留地から海沿いに車を走らせたところの風景です。養殖用のいかだの前にヨットが並んでいます。

3番目の写真は更に南下した場所のヨットの係留風景です。伊豆半島の西側はヨットの係留料金が格安なのです。その上、漁協が経営している係留地が多く、安心してヨットを係留出来るのです。そのため多くの東京の人は沼津から伊豆半島の西海岸にヨットを係留しているのです。

4番目の写真は三津浜に近い漁港の風景です。岸壁は漁船が使い。ヨットは沖に係留します。

5番目の写真は2009年の5月に乗せて貰ったハンスクリスチャン41という北欧風の木造のヨットです。駿河湾の沼津の「岸に着岸しました。
当時あった東京湾ヨットクラブの帆走技術の先生をしていた毛利さんが船長をしてくれました。

6番目の写真はそのハンスクリスチャン41で駿河湾を帆走している場面の写真です。
五月晴れの日だったので雪のある富士山が駿河湾の上に輝いていました。

7番目の写真は戸田港を高台から見下ろして風景です。湾を囲んでいる岬は潮流が運んだ砂が砂洲となりやがて樹木が生い茂って半島になった珍しい地形です。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
戸田の町は現在、沼津市に合併されて沼津市戸田町と呼ばれています。
写真の左奥の戸田峠を越すと修善寺へ行けます。修善寺からはもう一つの峠の亀石峠を越すと相模湾側の宇佐美に出ます。
この山岳道路は険しい道でした。それでも午後4時には湯河原温泉の三枡家に着きました。
途中の三津浜では貝殻亭で食事をしましたが、魚類の新鮮さと美味しさに家内も感動していました。その後でこの地方の特産品の西浦ミカンを一箱買いました。帰宅後、賞味しましたら美味絶佳の昔風のミカンの味で、これにも感心したのです。

今日は西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)