後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北海道の野に咲く小さい花々」

2022年10月30日 | 写真

北海道の野に咲く小さい花々お写真をお送りいたします。
写真の出典は、
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/tkn/hana/flowerlist/index.html
 です。

1番目の写真はエゾエンゴサク(蝦夷延胡索)です。
北海道から東北地方の日本海側に分布し、主に落葉広葉樹の湿った森林内に生える多年草である。群落を作り、早春の森林を一面青紫色に染める様はすばらしい。

2番目の写真はエゾスカシユリ(蝦夷透百合)です。
スカシユリの近縁種であり、北海道の海岸草地や山地の岩場などに生える多年草。ユリは横向きに咲くものが多いが、エゾスカシユリは上向きに咲く。

3番目の写真はエゾノリュウキンカ(蝦夷立金花)です。
春先、湿地などでよく見かける多年草で、北海道や東北地方など寒い地域に分布している。湿地の好きなミズバショウと一緒に咲いていることも多く、黄金色の美しい花の姿は春を感じさせてくれる。

4番目の写真はエゾリンドウ(蝦夷竜胆)です。
北海道各地の山地や北方の湿地に生える植物。花は茎の上部につく葉の付け根に1個から数個の釣鐘状の花をつける。


「北海道の魅力(3)野付半島の不思議な光景、ロマンチックな風景」

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道には他に無い魅力が沢山あります。不思議な風景もあります。ロマンチックで美しい風景があります。

今日は道東の野付半島の不思議なトドワラ、ナラワラの風景と白帆の海老漁の美しい風景をご紹介したいと思います。まず野付半島ですが、北海道の東の根室市の北にあります。多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)の南です。野付半島は幅が数百メートルしか無い砂洲で出来た半島です。湾曲しながら26kmも伸び、野付湾を囲んでいます。半島の砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。不思議な風景です。その白骨のような林が怖い雰囲気です。それが野付湾を一層荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。
しかしその一方、野付湾には縞エビ漁の白帆の打瀬帆舟の美しい風景が広がっているのです。美味しい縞エビが棲んでいて、夏と秋にはその味を楽しむことが出来るのです。
まず下に野付湾の全体の風景写真を示します。

1番目の写真は野付湾です。この野付湾の写真の出典は、http://betsukai.jp/blog/0001/archives/2009/06/images/1245371831.jpg です。
写真のような野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。下にその光景を示します。

2番目の写真はナラワラの光景です。写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所です。ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。
その駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。下の写真です。

3番目の写真はトドワラです。立ち枯れたトドマツの木があります。木道は高く狭いので、強い海風が吹き付けると落ちそうになり怖かったです。写真は家内が撮りました。

4番目の写真は木道の先端から見た荒涼としたトドワラの風景です。
トドワラのある半島を野付半島と言いますが、その内側が野付湾です。地元では尾岱沼(おだいとう)と呼んでいます。その野付湾では帆舟の打瀬帆舟による縞エビ漁が盛んなのです。
初夏と秋が北海シマエビ漁の猟期です。舟の舳先から船尾にかけて幅の広い網を海中に降ろし、船を横向きにして幅広い網を帆の受ける風の力で静かにゆっくり引っ張って行くのです。雄大な海の中に浮かんだ白帆の風景が素晴らしいのです。

5番目の写真は北海シマエビ漁の打瀬帆舟です。出典は、http://ugk70671.blog117.fc2.com/blog-entry-282.html です。夏漁は例年6月中旬~7月中旬で、秋漁は例年10月中旬~11月上旬です。

6番目の写真は野付湾に散らばった打瀬帆舟のの風景です。この打瀬帆舟の風景は季節の風物詩として有名なのです。出典は、http://www.hokkaidolikers.com/articles/180 です。
ビジターセンターに戻って、シマエビ定食を昼食として食べました。茹でたシマエビが美味しかったです。

この野付半島の向かい側、16km沖には国後島があります。野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
訪れたビシターセンターの2階には昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉・国後にかつては多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。

7番目の写真は野付半島のビシターセンターの2階から撮ったロシア領の国後島です。国後島には日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。
墓参くらいは行けるのでしょうか?そんな事を考えながら砂洲にに伸びた道を帰って来ました。

今日は荒涼とした最果てのトドワラ、ナラワラの不気味な風景写真と野付湾の縞エビ漁の帆船の美しい写真をご紹介しました。そしてそこから見える国後島への想いを記しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。後藤和弘(藤山杜人)

====樺太、千島のロシアによる占領=======================
(出典は、http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h13/jog203.html です。)

1945年8月24日早朝、アリモフ少将が戦車隊を従えて、豊原に到着し、日本軍の施設をすべて接収し、樺太庁の行政も停止させた。これにて樺太の占領は完了した。
千島列島に関しては、24日以降、順次、日本軍将校を同船させて小型艦艇数隻からなる偵察部隊が南下し、各島で日本軍の降伏を受け入れながら占領を続けていった。
択捉、国後については、当初は「アメリカ軍がやってくるはずだから我々は手をつけずにかえるのだ」と言って、上陸しなかった。この二島はかつてロシア領になった事はなく、日本固有の領土であった。したがって、ヤルタ協定でソ連に「手渡される」ことになっていた千島列島にこの2島が入っておらず、日本本土の一部として、アメリカ軍の占領地域に入っていたと 解釈されても不思議はなかった。
しかし、アメリカ軍が来ていないと知ると、ソ連軍は8月28日に択捉島に、9月1日に国後島に上陸した。さらに千島列 島に含まれず北海道根室半島の延長である歯舞諸島、色丹島にも、ソ連軍はそれぞれ9月1日、4日に占領した。歯舞諸島占領が行われた9月4日は、降伏文書正式調印の二日後である。


「イグナチオ教会の今日の『年間第31主日ミサ 』の動画配信」

2022年10月30日 | 日記

「イグナチオ教会の今日の『年間第31主日ミサ 』の動画配信のご案内です。

今日のミサは 10:00 時から『年間第31主日ミサ 』です。

動画配信のご案内をお送り致します。
https://www.youtube.com/watch?v=dXzu8CRie2c

なお関口教会からも動画配信があります。

写真は丸い外形のイグナチオ教会の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)