後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「カトリックの信仰に支えられた蟻の町のマリア、北原怜子」

2022年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なのでカトリックの信仰について書きます。私は中年になってから洗礼を受けました。現在、86歳になります。
私のカトリックの信仰を支えてくれるのは江戸初期の長崎の26聖人とその後の260年、信仰を守り続けた隠れキリシタンの人々です。
そして明治以降の色々な宗派のクリスチャンの純粋な信仰心に支えられています。
 
例えば内村鑑三さんの信仰は日本人として大きな支えになっています。
第二次大戦後に混血児2000人を育て上げたエリザベス・サンダースホームのカトリック信者澤田美喜さんにも信仰の力を現在でも頂いています。
そしてもう一人、「蟻の町のマリア」の信仰心に感動しています。28歳の若さで亡くなった北原玲子さんです。その信仰は現在も多くのカトリック信者の信仰心を支えています。
 
今日は「蟻の町のマリア」と呼ばれている北原玲子さんのことをご紹介したいと思います。
戦後の1950年頃、東京の隅田川の言問橋のたもとに、貧しい日雇労働者の集団居住地がありました。まじめな労働者だけでなく犯罪者も多く住んでいたので警察も手が出ない恐ろしい町でした。
そこで「蟻の会」を組織し指導していたのが仏教信者の松居桃楼さんでした。
法華経の観音菩薩様の助けで蟻の町の貧民を救いたいと思ったのです。
そしてポーランド出身のカトリックのゼノ神父様も松居さんへ協力していました。
 
ゼノ神父の勧めでカトリック信者であった北原玲子さんが蟻の町に住み着いて日雇い労働者や犯罪人を優しく世話したのです。
蟻の町のマリアと皆に慕われていました。北原玲子さんは蟻の町に住む人々全員の生年月日から本籍地の住所を全て暗記していたと言われています。
蟻の会を組織して、始めから世話をしていた佛教徒の松居桃楼さんも北原玲子さんを尊敬し、カトリックの洗礼を受けます。
 
ところが北原さんは1958年に結核で亡くなります。28歳の若さでした。
その後、松居さんは。「蟻の町のマリア」という本を書き、北原玲子さんの献身的な奉仕の記録を世に出しました。
そして映画にもなりました。この松居桃楼さんの本が映画になり全国の津々浦々で上映されたのです。
 
戦後の暗い日本へ明るい希望を与えたのです。「蟻の町のマリア」という本はベストセラーになり多くの人の胸を打ったのです。
蟻の町の近所にあるカトリック潮見教会は北原玲子さんを偲んで、「蟻の町潮見教会」という名称も使っています。
松居さんは1910年生まれで1994年に84歳で亡くなっています。北原玲子さんは1929年生まれで1958年に亡くなっています。
そしてポーランドから1930年に来日したゼノ神父も重要な役割りをしたのです。神父は1982年90歳で亡くなり東京のカトリック府中墓地に眠っておられます。
 
この様な人々のことを時々思い出して、私はカトリックの信仰を新たにしています。
1番目の写真は「蟻の町のマリア」と呼ばれた北原玲子さんです。
2番目の写真はポーランド出身のゼノ神父様が蟻の町の子供達へお菓子を配っている光景です。
3番目の写真は蟻の町で活動中の北原玲子さんとゼノ神父様です。
4番目の写真は府中市のカトリック墓地にあるゼノ神父のお墓です。
5番目の写真は北原家の墓所です。
正面に3基の墓石が並んでいますが右端が「エリザベス マリア 北原怜子之墓」です。真ん中が洋型の「北原家之墓」です。右手前に墓誌があります。
 
それにしても終戦直後の日本は本当に貧しかったのです。食糧難と燃料難が重なり生活はひどいものでした。
そんな中での貧民の町、蟻の町は想像をこえた困窮だったのです。北原玲子さんはその中に飛び込んで人々を助けたのです。
 
それはそれとし今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   後藤和弘
===ゼノ神父の生涯=================
ゼノ・ゼブロフスキー(1891年- 1982年)はポーランド出身のカトリックの修道士です。「蟻の街の神父」として知られ戦後、戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に力をました。「ゼノ神父」と呼ばれれていましたが神父ではなくコンベンツァル聖フランシスコ修道会の修道士でした。
以下は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%BB... より抜粋しました。
1891年、ポーランドのスロバ村うまれる。第一次世界大戦のおりに軍隊に志願する。除隊後、職を転々としていたが、 1924年11月13日、聖スタニスラス・コストカ の祝日のミサでの説教に影響を受け、1925年5月10日にコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会する。その時34歳。
1930年4月24日、マキシミリアノ・コルベ神父やヒラリウス修道士たちと共に来日。
来日後は長崎でコルベ神父らとともに、布教誌「聖母の騎士」の出版と普及に力を入れた。ゼノ修道士は全国各地に赴いた。1936年にポーランド管区本部の命令でコルベ神父が帰国した後も、日本で活動を続けていたが、1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下で被災する。
コルベ神父はアウシュービッツで友人の身代わりとして処刑された。
一方ゼノ修道士は戦後、戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に尽くし、東京・浅草のバタヤ街(のちに「蟻の街」の名で著名になる)など全国各地で支援活動を行う。1950年1月10日の例では、払い下げを受けた鉄道員用上衣200着をもって上野駅を訪問、地下道に身を寄せる市民らに配布した。朝日新聞は、この支援活動の姿を「青い目の福の神」として報じている。口癖は「ゼノ死ヌヒマナイネ」。愛嬌のある白ひげ顔とユーモラスな人柄で、宗派を問わず多くの人に親しまれた。
献身的な社会福祉活動に、1969年に勲四等瑞宝章、1979年に吉川英治文化賞が贈られた。またポーランドからは1976年にポーランド人民功労勲章(ポーランド語版)(現ポーランド共和国功労勲章)第4等が授与された。1981年2月に来日した教皇ヨハネ・パウロ2世は、ゼノ修道士の入院先を訪問。ポーランド出身の教皇はポーランド語で語りかけ、長年の活動に敬意を表した。1982年4月24日、東京で死去。お墓は府中市のカトリック墓地にある。

「イグナチオ教会の今日のミサの動画配信のご案内」

2022年10月23日 | 日記
今日のミサは 10:00 時から『年間第30主日ミサ 』です。


動画配信のご案内をお送り致します。

https://www.youtube.com/watch?v=7za0NWtfpco

【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
シラ書(シラ 35:15b-17, 20-22a)
第2朗読
使徒パウロのテモテへの手紙(2テモテ 4:6-8, 16-:18)
福音朗読
ルカによる福音 (ルカ 18:9-14)

なお関口教会からも動画配信があります。

写真は丸い外形のイグナチオ教会の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)