goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

平野茂樹著、「今回のジャカルタで開催された第18回アジア競技大会に想う」

2018年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム
始めに著者の平野茂樹さんのご紹介をしたいと思います。
平野茂樹さんは昔、私が仙台に住んでいたころの近所の友人でした。今年の3月に大磯のプリンスホテルで60余年ぶりにお会いし、彼の実に興味深い趣味のお話を伺いました。そこでいろいろな面白い話をこの欄に寄稿して下さいとお願いしました。
朝日新聞で停年まで働いていたことは知っていましたが彼の趣味の世界は知りませんでした。
白馬の麓に大きな山小屋を3回も建てかえて、仲間と楽しく登山やスキーの基地として使っています。そしてヨットも楽しんでいることを話してくれました。
平野茂樹さんは親切で魅力的な人間です。おのずと仲間が彼の回りに集まってきます。
人との付き合い方が下手な私にとっては感動的な存在です。
そして、平野茂樹著、「カンボジアの夕日と子供達の瞳に魅せられて」(2018年03月05日掲載)という記事をご寄稿してくださいました。
そして「奇跡の山小屋と呼ばれ続けて! =半世紀以上続いた3つの謎」(2018年03月10日掲載記事)もご寄稿頂きました。
今日、以下にある記事は平野茂樹さんによる3番目のご寄稿です。
平野茂樹さんへ感謝しながら皆様へお送りします。
===平野茂樹著、「今回のジャカルタで開催されたアジア大会に想う」===
仙台の時代からのある親友の長期海外滞在で頑張っている場所がインドネシアのジャカルタでした。
そのジャカルタが今回のアジア大会の開催地だったです。それで今回の大会は始めから興味深く見ていました。
そうしたら日本選手の活躍が、大会が進むに従って期待を大きく上回ってきたのです。
国内の次期総裁選絡みの報道をはじめ国内のニュースにはあまり興味が持てなかったので、時間が空けば民放とNHKBSでアジア大会を観ながら日本選手を応援していました。

大会が始まる前の国内のスポーツ関係の出来事と言えば、日大のアメフト問題を皮切りに、ボクシング団体や体育協会の体質が問われる問題が続き暗い話ばかりでした。
そんな折、アジア大会を応援することで気分が晴れたのです。
国の威信を背負った健気な若い選手たちの頑張りと、良い結果を見せられているうち、どんどんアジア大会の面白さに引きずり込まれてゆきました。
終わってみれば、日本の成績は、質(金)量(メタル数)ともにアジアナンバー2の座を、余裕を持って堅持できていました。
一方、韓国では選手が兵役免除の特権を与えられ、アジアナンバー2を目指していましたが、結果は第3位でした。
しかしもちょっと待ってください! 日本が韓国を大きく切り離したからと言って、手放しに安堵してよいのでしょうか?
 不思議な現象ですが、今回のアジア大会では、朝鮮半島関連で、元々同一民族だった国が、3つ登録されています。韓国、北朝鮮、それにコリア(南北合同チーム)3国です。
 この3国の金銀銅を合算してみましょう。韓国(49、58、70)、北朝鮮(12、12、13)コリア(1、1、2)合計218(62、71、85)、一方日本は205(75、56、74)で、勝っているのは金だけで、銀と総計では負けています。五分五分です。質で勝って量で負け、まぁ拮抗しているとみてよいでしょう。

一方、中国と比べると比較になりません。質、量、ともに断然一位です。
 負け惜しみで、人口が13.9億と1.3億と10倍違うし、中国は国営プロ集団で、日本はアマチュア中心の違いがあると言い訳していて良いのでしょうか?

ちょっと視点を変えて考えてみよう。
人口統計を持つ世界約190カ国の総人口約73億人のうち、アジアの人口は約40億人で、全体の54%です。
中国、インドという、いずれも10億を超える2つの人口大国を持つアジアとは言え、世界の半分以上をはるかに超えた民族がアジア人なのです。
 このうち、スポーツ、芸術を含めた近代国家として世界に通用する国は、日本を除くと、中国、韓国、台湾、シンガポールぐらいと私は思います。
 戦前、善悪は別とし、近代国家として欧米に追いつき、追い越せと切磋琢磨した日本が、中国大陸の中に満州帝国をつくり短期間でしたが、ヨーロッパ諸国に負けない近代国家を造り上げました。
そして中国、韓国、台湾、シンガポールだけが、現在、近代国家として世界に通用しているのです。
 東南アジアの多くの国々は、戦前、ヨーロッパの植民地として利用されましたが、近代国家としての国の形や教育がなされていなかったため、スポーツと芸術を含む近代国家として現在、世界に通用していないのではないでしょうか?
今回のアジア大会の結果は、以上のことを良く現していると思いますはいかがでしょうか?
 戦前の日本国家の行動を正当化する考えは微塵もありませんが、アジアの歴史を考えさせる大会でした。

さて今度は日本だけに絞って考えてみよう。
日本の戦績から日本の現状を考察してみよう!
水泳で6冠を達成し、女性初のMVPを授賞した、スーパー高校生・池江璃花子の出現があったとは言え、75個の金メダルの半分以上は日本女性選手が獲得し、アジア大会初めての女性MVPも日本選手が獲得した快挙を成し遂げました。
スポーツの世界を切っ掛けに、日本のウーマンパワーが世界に向けて動き出した年とわたくしは捉えたい! 
2年後の東京オリンピックの年を元年とし、女性の新しい時代をスタートさせたい。
いままで地球の歴史を男性中心に創り上げてきたが、女性中心に徐々に切り替え、女性の本能を100%生かした平和主義が人類に定着するまで、一旦女性にすべてを委ね、男性はサポート役に徹する時代をスタートさせたい。
男性中心の武力集団が、多くの地球上の女系中心の先住民を征服し、男色文化で作り上げてきた地球の歴史が、いま、行き詰っていると、私は見ている。
武力中心でしか運営できない男性哲学に、一旦遠慮していただき、武力亡き地球の歴史が動き出すまで、女性にすべてを託してみる哲学を確立し、実行に移しだすのを見届けたいと想う。
アジア大会が終わり、私は本気で以上のことを考えている。みなさん! お笑いください!
(9月3日 平野茂樹)







世界遺産の富士山の写真を河口湖、西湖、精進湖から写しに行く

2018年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」が国連によって世界文化遺産に認定されたのは2013年です。それ以来、富士山の写真を撮りながら、この美しい山が信仰の対象になってきたことを考えています。人々に芸術的な刺激を与えてきたことを想っています。自分のような者でも富士山の写真を写したくなるのも大げさに言えば芸術的な刺激を受けためででしょうか。
昨日はあいにくの曇り日です。しかし雲の位置が遥か高空で富士山の頂上よりも上にあります。初秋の雲が空一面に広がっています。青空でないので鮮明な写真は撮れませんが秋の気配の漂う静かな富士山が写せると思い中央高速道路の河口湖インターを出ました。

1番目の写真は河口湖の旅館街の岸から見上げた富士山です。以前に泊まったことがある美富士荘という旅館の駐車場から見上げた富士山です。
晩秋から冬になると大きな雁の群れが波打ち際を歩いています。沖にはカモ類が泳いでいます。
左の暗い森の下からは河口湖を一周する観光船が出ています。その発着場の周囲には土産物屋やレストランが沢山あって河口湖の繁華街になっています。夏には花火大会もあります。

2番目の写真は河口湖の西の岸辺からの富士山です。コスモスが咲いていました。
コスモスを手前にして秋の風情を出そうとしましたが、あまり良い写真にはなりませんでした。

3番目の写真は同じ河口湖の西の岸辺からの富士山です。ここには何十年も同じ小型のヨットが係留してあります。手入れがしてあるので時々セイリングしているのでしょう。ヨットの主にお会いしたと思っていますが、姿を見たことがありません。このような静かな湖で独りでセイリングしているのでさぞかし高貴な精神の持ち主だろと思っています。富士山とヨットのある風景は好きなの河口湖に来ると必ず写真を写します。

4番目の写真は河口湖から西湖に登って行ったらあったススキの原の風景です。ススキは尾花とも呼ばれ秋の七草の一つです。箱根の仙石原のススキのようだと家内が興奮して撮ってきた写真です。

5番目の写真は西湖の岸辺です。左手の黒々した山はその遥か左にある富士山から流れて来た溶岩が固まって出来た山です。これも富士山の一部なのです。西湖からは溶岩の山のかげになって富士山の主峰が見えにくいのです。
この湖岸は波打ち際まで車を入れて良い場所なので何度も来ました。昨日は暗い雲の下で溶岩の山が晩秋の風景のように写っています。やがて寒い冬もやって来るのでしょう。

6番目の写真は精進湖の西岸から見た富士山です。この近所に昭和天皇の泊まった山田屋旅館があります。
私共も何度か泊まりました。そして昭和天皇がこんなにも質素な宿に泊まったことに驚いたことなどを思い出しました。

7番目の写真も精進湖の西岸から見た富士山です。遠景も写るように撮った写真ですが、こうすると同じ場所からの写真でも随分と印象が変わります。
それにしても富士五湖は随分何度も遊びに来たものです。奥の本栖湖でもカヤック遊びもしました。
泊まったホテルもいろいろでした。何と言っても思い出の深いところは山口湖の夏だけ営業のグランドホテル(横浜のグランドホテルの経営)や河口湖の木造だった頃の富士ビューホテルなどです。この二つのホテルは戦前のリゾートホテルの雰囲気があったのです。そんな雰囲気も消えてしまって何十年にもなります。

昨日を撮って来た富士山の写真をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料=======================
「何故、富士山、富士五湖、忍野八海、北口富士浅間神社などが世界文化遺産か?」
2016年08月27日掲載の記事です。

国連のユネスコの世界遺産には3種類に分かれています。知床や白神山地のような自然遺産と、京都の文化財や白川郷の合掌造り集落などの文化遺産、と日本にはまだ無い複合遺産の3種類です。
自然遺産とは文字通り非常に美しい景観の山や湖や海の組み合わせが主なものです。一方文化遺産とは人類の遺産として残すべき人間の作った特別な文化のことでです。
複合遺産とはこの2種類の遺産が複合したもので、日本にはまだありません。

今日、ご紹介する「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」は文化遺産に分離されます。
これは富士山にまつわる信仰や宗教と、芸術活動に対して認定されたものです。
従って富士山や富士五湖や幾つかの浅間神社がそれぞれ単独で認定された訳ではありません。
しかし観光客を集めるためもあって、「世界遺産の忍野八海」を見に行こうとか「世界遺産の北口富士浅間神社」をお参りに行こうという表現がよく使われています。
しかしこの表現は、文化という二文字が省略されているので、しばしば誤解を招くことになります。

さて、2013年に認定された「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」には、それを証明する構成資産が全部で25箇所もあるのです。この25の構成資産の全部を一まとめにして世界文化遺産に認定されたのです。
すなはち富士山、富士五湖、忍野八海、北口富士浅間神社などが世界文化遺産に認定された理由はそれにまつわる文化が貴重だったからなのです。

一昨日、この25の構成資産の一つである北口富士浅間神社の写真をいろいろ撮って来ました。その写真の説明の前にまず全体的な説明をいたします。
静岡県と山梨県にまたがる富士山は古来より信仰の対象とされ、その上、芸術上の主要な題材としてされてきました。
その日本人の富士山にまつわる宗教活動と芸術活動が国際的に非常に貴重だと認められたのです。
それでは芸術活動とは具体的に何を意味するのでしょうか?
今から約1,200年前、奈良時代にはすでに富士山を題材にした歌が、日本最古の歌集である「万葉集」に詠まれています。
また、富士山は、『竹取物語』や『伊勢物語』などの古典作品をはじめ、俳句や漢詩、夏目漱石や太宰治の文学作品にも取り上げられてきました。
絵画の世界では、平安時代から富士山は絵画に描かれるようになります。現存する最古の絵画は、『聖徳太子絵伝』です。
そして江戸時代になると、富士登山が「富士講」等を通じて庶民に爆発的に人気となると、富士山も多くの絵師に描かれるようになりました。葛飾北斎の『冨嶽三十六景』や歌川広重の『不二三十六景』、『東海道五拾三次』など、様々な場所から見た富士山が浮世絵に描かれています。浮世絵が海外に輸出されるようになると、ゴッホやモネなど、西洋の芸術家にも大きな衝撃を与えました。

それでは一方の宗教活動とは何でしょうか?
それは富士山信仰のことです。富士山そのものを信仰の対象としたもので修験道の山行きとそれを支える幾つかの登山口にあるそれぞれの浅間神社です。修験道の山行きが重要なので吉田口や須走口から登る登山道などもこの文化遺産に含まれているのです。
それでは構成資産の一つである北口富士浅間神社を一昨日撮って来た写真に従ってご紹介いたします。
・・・・以下は省略します。・・・・・