後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

我が町、小金井とはこんなところです

2018年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム
午前中に駅前のイトーヨーカドーに行きました。その6階の駐車場から写した小金井の写真をお送りいたします。

1番目の写真は小金井市の北西の半分です。西には奥多摩の山々が連らなって見えます。南西には丹沢の山稜があり、その上に富士山が見えます。

2番目の写真は学芸大学の敷地にある森です。私の家はこの森の手前にあります。

3番目の写真は小金井市の北方角の写真です。北側は小平市に接していてその先は茫々たる関東平野です。

4番目の写真は小金井市の北部を占めている都立小金井公園です。

5番目の写真は小金井市の南部を占めている都立武蔵野公園です。
我が町の自慢はこれらの2つの広大な公園があることです。
JR中央線の小金井駅から新宿まで30分で東京駅までは45分です。
緑が多くて静かな住宅街が広がっている町です。
ついでに参考資料もお送りします。
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小金井市は、東京都のほぼ中央、武蔵野台地の南西部にあり、都心から約25km西方に位置しています。
 市の東は武蔵野市、三鷹市、西は国分寺市、南は調布市、府中市、北は小平市、西東京市に接しており、市の中央部には中央線が東西に、東南部には西武多摩川線が南北に通り、中央部には小金井街道が南北に、北部には五日市街道が東西に通っています。

2万年以上も前から人が住みはじめ、江戸時代、玉川上水が完成し、新田開発が活発となり、急速に集落が発達しました。戦後、住宅都市化が進み、人口が約4万人となった昭和33年10月1日、市制を施行しました。その後、人口は急増し、現在は、11万人を超える人が小金井市で暮らしています。市内に大学、研究施設が設置され、住宅都市、文教都市としての性格が強いまちです。

小金井の地名の由来
 小金井の地名は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、黄金井(こがねい)が小金井になったと言われています。 (東京の名湧水)
 また、中世には、現在の前原町南部が金井原(かないはら)と呼ばれており、あるいは、土地の支配者金井氏にちなむ地名という説もありますが、明らかではありません。