月日の流れは早いものですね。もう12月、師走の月になりました。
12月になると昔会った人、亡くなった人のことをいろいろ思い出します。皆様はいかがでしょうか?
私は2008年の頃お世話になりもう滅多に会えなくなった山本量太郎神父様のことを思い出しています。
毎週通うカトリック小金井教会の主任司祭でした。現在は東京大司教区の本部の関口教会の主任司祭です。もう何年もお会いしていません。
山本量太郎神父様の説教にはいつも感心していました。短くて感銘深い話ばかりです。2008年12月のある日曜日に、神父様と幼稚園の女の子の会話を紹介してくれました。
子供が神父さんへ聞きます、「イエスさまは、ずうっと昔に死んでしまったのに、なぜ毎年誕生日のお祝いをするの?」
返事に困った神父さんが(イエスさまがよく聞き返したように)、「どうして、そう思ったの?」と聞き返したそうです。
女の子はおじいちゃんが大好きでした。毎年おじいちゃんの誕生日のお祝いの宴が楽しいのです。ところがある年からその楽しい宴会が突然なくなりました。おじいさんが死んでしまったからです。死んだら誕生日はお祝いしない。女の子は悲しい理解をしました。でも教会では毎年クリスマスにイエス様の誕生をお祝いします。
神父さまはこの思いもかけない質問に一瞬戸惑います。が、次の瞬間あたかも聖霊がおりてきたような感じで、良い返事を思いつきました。
「それはね。イエスさまは今でも生きているからですよ。いや毎日私達の中に生まれれているから、誕生日をお祝いするのですよ」、続けて神父さんがおっしゃいました。
「この答えに女の子は納得した様子ですが、一番よく納得したのは私自身でした」
この一言で教会中が笑い出しました。
山本神父様の説教はこれだけでした。今年も間もなくやって来るクリスマスとは、そういう意味のお祝い日なのです。
家族が集まってクリスマスのご馳走を召し上がるとき、このお話を思い出して頂ければ嬉しく思います。そして独りでクリスクリスマスを迎える人々のことも思い出して下さい。
そうしてもう一つ、2008年12月にあったエピソードをご紹介いたします。
それはネットで知り合ったオカブさんという方にお会いしたことです。
彼はプロテスタントの 「Church of Christ」という宗派のキリスト教徒です。忘れられない二つのお話を聞きました。
何故クリスチャンになられたのですか?と聞きました。すこし間をおいて、「自分に奇蹟が起きたからです」と答えます。どんな奇蹟ですか?顔を赤らめて、「自分の奥さんに巡り合い、結婚出来た瞬間、それを奇跡と強く感じ、今でも奇蹟と信じています」。なんと幸せな結婚ではないでしょうか?私も自分の結婚は奇蹟のように感ずることも有りますがいつも確信している訳ではありません。世の中の夫が皆、奥さんと結婚出来たのが奇蹟と信じていれば円満な夫婦関係になるのではないでしょうか?
もう一つの話はChurch of Christという宗派の驚きに運営方法です。
その宗派はアメリカ生まれの宗派で、その地域、地域の信者が相談して教会を建てるそうです。そして牧師さんを探して、連れてきて、住んでもらい、説教を聞くそうです。
当然、牧師さんの給料も信者の間で相談し決めるのです。給料だけでなく教会の維持管理の費用も全て信者が相談して支払うのです。
従って、この宗派にはカトリックのような聖職者もいないしローマ法王庁のような組織も無いのです。
Church of Christの教会はどれも独立していて平等な立場にあり、教会を組織化し教団の本部などは一切作らないそうです。同じく牧師さんも平信徒も皆平等で、直接、キリストに繋がっているのです。
住民の一人一人が自分の信仰を守り、皆で一緒に祈るために教会を作る。これがアメリカ流のプロテスタントの考え方なのです。アメリカの自由と平等の精神で出来ている教会なのです。
なにか素朴で良い話のようです。私はカトリックですが、他の宗派の良いところは絶対に忘れません。そして仏教徒も無宗教の人も大切に思っています。
仏教徒が相談してお金を出し合ってお寺を作る。和尚さんを探して来て、住職になってもらう。檀家がお寺の管理運営を行う。こいうお寺がもっと数多くなったら仏教も楽しくなるような気がします。
今日の挿絵がわりの写真はまだ体力があって霞ヶ浦で冬のセイリングをしていた頃の写真です。2008年のクリスマスの前の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)