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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あまりにも紅葉が綺麗なのでまた光が丘公園へ行ってきました。

2013年11月23日 | 写真

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Img_2282 左の写真をクリックして拡大するとこの公園の出来たいきさつが分かります。

第二次大戦では陸軍の軍用飛行場だったのです。敗戦後はアメリカ軍に占領され将兵の住宅地として1973まで実に28年間も接収されていたのです。その住宅地はグランドハイツと言いました。

いろいろな時代の有為転変の歴史があったのです。有為転変はお釈迦様の言葉です。


軍事機密法成立と太平洋軍事同盟で中国封じ込めを狙う安倍首相の危険

2013年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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左は三輪修画伯の描いた絵画です。写真ではありません。

日本の平和とはこういうものだと私は独りで感動して、何度も眺めています。

この日本の平和を守りたいのはみんなの願いです。会社で働いている人々。パートで働いている人々。学生や生徒たち。そして政治家たち。みんなが願っています。祈っています。

安倍総理もその一人です。

彼には権力があるので、自分で考える「平和を守る方法」を実行出来ます。

すでにいくつかの事柄を実行しています。

一つは首相のもとに「国家安全保障会議」という最高参謀会議を設置しました。

もう一つは「軍事機密保護法」を成立させ、軍事同盟を結んでいるアメリカを安心させようとしています。

今まではアメリカの軍事機密が日本で敵方のスパイに流れていたのです。外国の大使館の人が堂々とスパイ行為をしても逮捕出来なかったのです。

それはそれとして安倍総理は何度も「集団自衛権」という言葉を使います。

その意味をあからさまに言えば「太平洋軍事同盟」を作り、それによって中国を包囲し、中国が太平洋に出て来ないように封じ込めようとする意味です。

こうすれば尖閣諸島を日本の領土にすることは確定します。

安倍総理の発想はソ連と欧米が冷戦で厳しく対立していた時代のNATO(北大西洋条約機構)のような軍事同盟を作ろうとしているのです。証拠はありませんが私はそのように理解しています。

ですからこそ東南アジアのアセアン諸国の首脳を歴訪し、中国の西の中央アジア諸国も訪問しています。その上、フィリピンへは海上自衛隊の艦艇さえ無償提供しています。ベトナムとは共同海上演習の準備を進めています。

日本人の多くはこの安倍さんの意図は分っていますが、敢えて騒がず黙認しています。尖閣諸島の問題で中国があまりにも露骨なことをして日本人を怒らせているのです。懲罰を加えたいと日本人は本音で思っているのです。

本当にこのような軍事外交戦略で日本の平和を確実にまもれるのでしょうか?

私は次の2つの観点から上に書いた軍事外交戦略には大きなリスクがあるす信じています。

(1)中国は経済的には世界的に開かれている国です。昔の冷戦時代のように封じ込めることは不可能です。不可能なだけでなく、逆に中国から経済的に懲罰を受ける可能性をはらんでいるのです。「封じ込め作戦」は時代錯誤なのです。

(2)中国以外の周辺諸国が太平洋軍事同盟を作ることは中国を刺激しすぎます。中国は当然、ロシアとの軍事同盟に走ります。それも時代錯誤ですからロシアは上手に逃げるでしょう。

どちらにしても集団で中国をいじめるという発想は危険なのです。

日米安保の強化。日韓の軍事協力強化。フィリッピンとの共同演習。ベトナムとの共同演習などを進めるべきですが、それ以上のことはしない方が良いのです。

安倍総理は集団自衛権に関しては国連の承認する軍事行動に限って参加すると言明しています。

しかし政治家は現実的な判断を求められる職業です。どんな政策も完全な正解ではないのです。妥協なのです。

ですから状況が変われば「言明」や「約束」は破っても良いのです。政治家とはそのような職業についている人々なのです。

この事実を理解した上で、安倍総理の外交戦略へ賛成するのも、反対するのも人それぞれです。日本は民主国家なのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

==========参考資料===================

この絵を描いた時の三輪修さんの気持ちを書いた小文を送りします。

「甦る記憶との間で・・・」

先日、行きつけの画材屋さんへ絵具を買いに行った帰り、急に私の生まれ育った場所に行きたくなり、車を走らせました。私が生まれ育った所は、尾西市という街で、昔は織物業が盛んで、織機の音が一日中聞こえていました。車が目的地の近くになった時、幼い頃見た風景とはまるで違った建物や看板が目立ちはじめ、がっかりして車を路肩に止めました。
しかし、ふと傍らに目をやると、見覚えのある小川があり嬉しくなりました。ここでいつも四手網を川下に置き、竹竿で川底をつついて、鮒、泥鰌、ザリガニなどを追い込むと、網も破れんばかりに捕れたものでした。その時の嬉しかった事、友達の笑い声、光の暖かさ、魚の匂いなどが、ピンホールカメラの写真のようにぼんやりと目の前に現れ、幼い日の楽しかった日々がおぼろげに甦ってきました。 大人になってからは、こういった感動は、普段あまりないのですが、それでも旅をした時などは、新鮮な驚きや感動を覚えます。家に帰って日常に戻っても、その余韻はぼんやりと心に拡がり、子供の時に覚えたような、ある種のノスタルジーとして記憶されます。
ところで、私の絵は、そういった過ぎ去った時と未来との間で、私の中で熟成された、時間、空間、温度、他に目に見えない何かを現わすことが出来たらと願っています。(みわおさむ)