後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

みにくいヨタカの姿・・・宮沢賢治の童話「よだかの星」の鳥

2013年04月04日 | 写真

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なるほど、賢治の童話にあるとうり醜い姿の鳥ですね。

写真の出典は、http://yamagara33.sweet.coocan.jp/kotori/yotaka.htmです。

「よだかの星」http://why.kenji.ne.jp/douwa/17yodaka.html

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。
 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。
「ヘン。又出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちの大きいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」
 こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生はんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがる筈はなかったのです。
 それなら、たかという名のついたことは不思議なようですが、これは、一つはよだかのはねが無暗に強くて、風を切って翔けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、も一つはなきごえがするどくて、やはりどこか鷹に似ていた為です。もちろん、鷹は、これをひじょうに気にかけて、いやがっていました。それですから、よだかの顔さえ見ると、肩をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いうのでした。
 ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。
「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」
「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」
「いいや。おれの名なら、神さまから貰ったのだと云ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」
「鷹さん。それは無理です。」
「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵というんだ。市蔵とな。いい名だろう。そこで、名前を変えるには、改名の披露というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来市蔵と申しますと、口上を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。」
「そんなことはとても出来ません。」
「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒ずつまわって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったという家があったら、もう貴様もその時がおしまいだぞ。」
「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」
「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯にひろげて、自分の巣の方へ飛んで帰って行きました。
 よだかは、じっと目をつぶって考えました。
(一たい僕は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。)
 あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。
 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽喉にはいりました。
 からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。
 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)
 山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。
 よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。
「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」
「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸お前に遭いに来たよ。」
「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀もあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」
「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないで呉れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。ね。さよなら。」
「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」
「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」
 よだかは泣きながら自分のお家へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもうあけかかっていました。
 羊歯の葉は、よあけの霧を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。
 霧がはれて、お日さまが丁度東からのぼりました。夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」
 行っても行っても、お日さまは近くなりませんでした。かえってだんだん小さく遠くなりながらお日さまが云いました。
「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今夜そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」
 夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。
 つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼をひらきました。一本の若いすすきの葉から露がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。よだかはそらへ飛びあがりました。今夜も山やけの火はまっかです。よだかはその火のかすかな照りと、つめたいほしあかりの中をとびめぐりました。それからもう一ぺん飛びめぐりました。そして思い切って西のそらのあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」
 オリオンは勇ましい歌をつづけながらよだかなどはてんで相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっとふみとまって、もう一ぺんとびめぐりました。それから、南の大犬座の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。南の青いお星さん。どうか私をあなたの所へつれてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 大犬は青や紫や黄やうつくしくせわしくまたたきながら云いました。
「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ。」そしてまた別の方を向きました。
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又二へん飛びめぐりました。それから又思い切って北の大熊星の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「北の青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。」
 大熊星はしずかに云いました。
「余計なことを考えるものではない。少し頭をひやして来なさい。そう云うときは、氷山の浮いている海の中へ飛び込むか、近くに海がなかったら、氷をうかべたコップの水の中へ飛び込むのが一等だ。」
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天の川の向う岸の鷲の星に叫びました。
「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 鷲は大風に云いました。
「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」
 よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最后でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。

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75歳まで独りでヨットの趣味を楽しむ方法

2013年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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私は50歳でヨットを始め、75歳まで続けました。その間、かなり大きなクルーザーを霞ヶ浦に係留し、独力でセイリングを楽しみました。

しかし2年前に、75歳になった秋に体力の限界からヨットの趣味は止めました。

止めましたが、これからヨットをしようと考えていらっしゃる高齢の方々へご参考になるようにこの記事をお送りいたします。ご参考になれば嬉しく思います。

上の写真は4年前に土浦港の岸壁から家内が撮影したものです。

老人がヨットを楽しむ場合のまず第一は、風が強くて危険な時は船を出さないのが鉄則です。

第二に体力の衰えた老人は荒れやすい海ではなく、霞ヶ浦のような湖でセイリングするのがより安全です。

以下にその写真を掲載します。

湖でセイリングしている限り70歳以上の人でも楽しく遊べる趣味です。

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第三は、全ての操作はゆっくりと確実にすることが重要です。メインセイルもゆっくり引っ張り上げます。すると、青空に白帆が高く輝きます。前の帆のジブセイルも主帆のメインセイルもゆっくり目いっぱい上まで上げます。従って裾は下の写真のようになっています。

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第四に、急に風が強くなり船が下のように傾いたらセイルを風下に流し、船体を起こします。傾け過ぎると体力を消耗します。無理せずゆっくり帆走することが重要です。

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それでも風が強くて、傾きが大きくなる場合には、前の帆(ジブ)とメインセイルを半分位に小さくします。すると船の傾きが無くなり安全に走ります。下の写真が小さくした帆の様子です。風の力を半分だけ受けて帆走します。高齢者は決して必死で速く帆走してはいけません。体力を温存しながら悠々と楽しみます。ヨットをいつまでも趣味として楽しむ為には決して無理せず、ゆっくりと帆走する事です。

第五に、湖上のヨットは別荘代わりに泊って楽しむことが出来ます。

猪苗代湖に係留してある友人のクルーザーでビールパーティーをした時は満月でした。後ろの磐梯山もよく見えました。

霞ヶ浦はそれ程風光明媚ではありませんが毎年数回別荘のように泊りに行きました。

クルーザーには2口ガスコンロ、流し、調理台、食器や鍋を収納する食器棚が付いているので料理が作れます。電動水洗トイレもついていますので泊れます。

夕方から闇が迫りくる湖上の風景の変化や美しい夜景、そして翌朝の靄が漂う光景など一泊しなくては味わえぬ楽しみです。

ヨットだけに限らず、体力が必要な趣味は動作をゆっくりして無理さえしなければ最後まで楽しめると信じています。

高齢の方々も是非ヨットの趣味をお楽しみ下さい。

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はるか遠くへの旅(5)広大な釧路湿原、そしてシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖

2013年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

釧路湿原の何が圧倒的かといえば、その広さと、湿地故に人間を寄せ付けない大自然そのままの景観です。他に無い光景なのです。

その釧路湿原には3度ほど行きました。

北にある屈斜路湖から流れ出した釧路川が釧路に近い大平野でシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖に注ぎ、その湖沼群一帯が巨大な湿原になっています。

人間が入れない湿地なので高い展望台から景観を眺めます。

カヌーで湖沼を渡ったり釧路川を下ったりします。

少しだけの距離の木道を歩きます。

あるいは釧路・網走間の釧網本線の観光列車「ノロッコ号」に乗って車窓から湿原の景観を楽しみます。

昨年の9月に、屈斜路湖の湖畔の川湯に連泊して、レンタカーで釧路川に沿って、車で行きました。北から訪れた順に、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖をご紹介いたします。

川湯から弟子屈町、標茶町と国道を南下するとまず下のような広大なシラルトロ湖が右側に見えて来ます。

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岸辺に駐車場があるのでしばし散歩をしながら写真を撮りました。

シラルトロ湖を過ぎて、しばらく走ると今度は左側に「塘路湖入口」という看板があります。見落とさないで車を入れます。すると下の写真のように塘路湖があります。

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この湖はカヌーを漕ぎながら景観を楽しめます。今回は風が強すぎるので舟を出すことが出来ず乗れませんでしたが、大小さまざまなカヌーを見てその形状の美しさを楽しみました。

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塘路湖から再び国道に上がり、さらに南下すると「達古武湖キャンプ場入口」という看板が右手に見えます。そこを入り、2km位行くと下のよな達古武湖が広がっています。

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カヌーに乗る時間を充分とって置くことが重要であると気が付きました。

ここには立派なビジターセンターがあり釧路湿原の案内を丁寧にしてくれます。

純朴そうな小父さんがこちらのスケジュールや時間的余裕を聞いた上で、細岡展望台へ行くのが一番と教えてくれました。そしてそこへ行くのは途中から舗装道路でなく悪路になるが根気良く車を走らせなさいと教えてくれるのです。

教えられた通り悪路をゆっくり3kmほど行くと車に乗ったまま高い細岡展望台に行きつきました。生憎、霧がかかっていて写真は下のようにぼんやりしたものになりました。

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写真がぼんやりしているので展望台から見える風景の案内版を撮りました。

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この展望台の下には釧網本線の「ほそおか駅」がありノロッコ号も停まります。若者が一人ホームの隅でうずくまって待っていました。間もなくノロッコ号が来て、若者が乗っていきました。

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下は出て行くノロッコ号です。大きな窓をご覧下さい。楽しそうですね。

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そしてこの駅の近所にはカヌーを釧路川へ上げ下ろし出来るように写真のようなスロープがついています。折しも車で牽引した台車に積んだカヌーを引き揚げていました。

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2002年と2003年に行ったときは団体旅行だったので、サルボ展望台と細岡展望台から風景を楽しみ、下の木道を歩いただけでした。

しかし今回は個人旅行だったので、丁寧にシラルウトロ湖、塘路湖、達古武湖を回れました。それにしてもカヌーに乗れなかったことが残念でした。

なおサルボ展望台は改修工事のために閉鎖されています。

釧路湿原の楽しみ方は人それぞれです。しかし広大な湿地だけに何か独自の計画を持って行けば一層楽しいのではないかと思います。

ご参考になればと少し長くご紹介致しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)