まずボストン マラソン爆破事件で犠牲になった人々のご冥福をお祈りいたします。
そして怪我をした多くの人々の傷が一日、も早く回復するようにとお祈りいたします。
大変悲しい事件が起きました。一体どのような状況だったかを朝日新聞と時事通信のネット版の写真を見てみましょう。
この写真の出典: http://www.asahi.com/international/update/0416/TKY201304160001.html
この写真の出典:http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_disaster&p=bmb415-jlp14392566
この写真の出典:http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_disaster&p=bmb415-jlp14387731
この写真の出典:http://www.asahi.com/international/update/0416/TKY201304160001.html
この爆破事件はロシア南部のイスラム圏のチェチェン地方からアメリカに移住してきた26歳の男性とその19歳の弟が起こしたと報道されています。
兄の方は射殺され、弟は重傷を負ったが、病院で意識を回復し、テロ特別担当者から背後関係について取り調べが行われているようです。
このショッキングな事件は何故起きたのでしょうか?
今まで報道されている事から推察すると以下のような原因になります。
まず26歳の兄がアメリカ社会になじめなという個人的な苦悩を抱えていました。時々、チェチェン地方に帰って、イスラム過激派と交わり、狂信的な「聖戦思想」に取りつかれてしまったのです。
そして、その聖戦思想を全く個人的な苦悩の解消に利用し、キリスト教徒のアメリカ人を無差別に爆発物で殺すことにしたのです。
19歳の弟は優秀で、アメリカの市民権も貰い、大学で奨学金も得て、ボストンの有名な大学に通っていたのです。兄に同情しつつ、「兄の聖戦思想」に染まってしまったのです。
この2人はアルカイーダ派や中近東のイスラム過激派とは直接的な交流が無かったようです。ロシアのプーチン大統領のチェチェンの軍事鎮圧に反抗しているイスラム過激派の影響を受けていたです。
以上を要約すると今回の事件の原因は2つあったのです。「兄がアメリカ社会になじめなかった事」とイスラム教の「聖戦思想」の2つなのです。
話は私的なことになり恐縮ですが、私自身もアメリカへ留学もしたのですがその社会へはなじめませんでした。非常に異質なものを感じ、これでは一生は住めないなと強く感じたものです。それを若い私は日本への愛国心だと思っていたのです。
しかしそれは自分の小さな欲から発したことだったと老後になってからはっきり判りました。要するに自分に我が儘な気持ちがあればどんな国の社会にもなじめないのです。今考えると親切にしてくれたアメリカ人の恩師や親友に対して申し訳ないことをしたと赤面のいたりです。
ボストンマラソン爆破事件を起こした26歳の兄にも、親切にしてくれたアメリカ人が必いた筈です。なぜその親切を素直に受け入れなかったのでしょうか?
それは個人的な我が儘というものです。イスラム教という立派な宗教とは何の関係もないことです。あくまでも個人の犯罪であり、イスラム教を非難すべきではありません。
さて聖戦思想ですが、その思想を拡大解釈して利用する状況が多くのテロ事件の原因になっていると思います。
宗教を神のためではなく、自分たちの私利私欲のために利用することはイスラム教徒に限らずどの宗教の教徒にもあることです。神様やお釈迦様が悲しんでいます。
しかし聖戦思想でも私は次のような場合は是認せざるを得ません。たとえば中世のヨーロッパが十字軍をイスラム圏へ送り込んだ場合です。このような時にはイスラム教徒は武器をもって戦うべきです。自分の死も恐れずに戦うべきです。戦死したら天国に迎えられます。
ようするに異教徒はイルラム教を抹殺するために武力を持って攻め込んで来たら断固戦うのです。これが聖戦思想です。
それを拡大解釈をしてアメリカ社会になじめないという個人的な苦悩の腹いせをするために多数のキリスト教徒を無差別に殺したのが今回の爆破事件なのです。
その行為は敬虔なイスラム教徒の名誉を汚す行為であり、本来の聖戦思想とはなんの関わり合いも無いのです。それよりもモーゼは「汝人を殺すべからず」と言っているではありませんか。残念な事件です。悲しい事件です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)