明日の大晦日が過ぎると新年になる。平穏な一年が終わろうとしています。この一年を振り返ってみて色々な感慨がわき上がって来ます。今年は特に、宗派の違うキリスト教の教会を訪問し、宗派の違いがどのようなものなのか?を自分なりに明らかにしてみようと思ったのです。数年来の、この私の好奇心が背中を押してくれたのです。この訪問にはもう一つの大きな疑問を明らかにする目的もありました。それは、「キリスト教は真に日本文化に融合して根付いているか?」という疑問です。
3つのプロテスタントの宗派の教会と日本正教会のニコライ堂を夫々2度訪問して聖職者から直接、忌憚のないご意見を聞くことに成功したのです。
今回、書き出した「日本文化にキリスト教が根づいているか?」という連載記事は数回の予定です。
今回は導入文です。クリスマスの過ごし方や教会での結婚式を取り上げました。日本に深く根を下ろしていない風景として時々偉い識者に非難されています。
クリスマスの前夜の24日の夜には教会へ行ってキリストの降誕を感謝して祈ることを日本人の99%はしません。しかし子供の居る家ではサンタクロースが贈り物を持ってくる。そして家族が集まってパーティをする。又会社や色々な職場では親睦をはかるために「クリスマス・パーティ」を開催します。日本全国の商店は売上を上げるために盛んにクリスマスの楽しさを宣伝します。キリストのキの字も無い宣伝なので人々はその日が降誕祭なのだということを一切忘れています。
一家の先祖代々のお墓がお寺にあっても、結婚式は白いウエイディングドレスを着て教会で挙げる人々が非常に多いのです。信者になろうとも思っていません。
このようなクリスマスの過ごし方や教会での結婚式を見て、「キリスト教は日本へ根づいているとはとても思えない」と、若いころの私は感じたものでした。随分と昔の事でした。その時は日本文化の軽薄さを見るようで自己嫌悪になったものです。
しかし老境になった現在は、この社会現象を軽薄だと非難がましく見るのは間違っていると信じるようになりました。若い頃の物の見方が間違っていたと気づいたのです。
一般にある宗教がある国に根付くには2つの並行したことが起きるのが極く自然なことと思います。宗教教義を本質的に変えることなく正しく、論理的に導入され、それが人々の血となり肉となって信じられている。そしてもう一つは導入される宗教に纏わりついているお祭りや、風習が教義とはあまり関係なく入って行く。後者は教義とあまり関係が無いので不要と考える人もいます。しかし所詮人間は論理だけでは満足しないのです。賑やかな祭りやプレゼントや楽しい宴会があったほうがその宗教に親しみを覚えるものです。
日本のミッションスクールの卒業生は何百万人もいるようです。彼らの大部分は洗礼を受けないで卒業し、就職とともにキリスト教から離れてしまいます。しかし毎年クリスマスや復活祭になるとキリスト教のことを思い出して、心の中で祈っている人も居るのです。この時だけ教会に行く人々も多いと聞きます。
このような視点から考えると日本のクリスマスや、教会での結婚式はキリスト教が根づくために大変重要な要素と考えられます。あるがままにクリスマスを楽しみましょう。信心が無くても教会での結婚式も大いに良いではありませんか?イエス様は絶対に怒っていません。楽しげに微笑んでいるに違いありません。(続く)