日本のカトリック信仰は1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ第一歩を印したときに始まります。クリスマスや復活祭の頃になると毎年、長崎や五島列島のことをあれこれ考えます。
今日は長崎の隠れキリシタンの里、外海町のカトリック黒崎教会のHPから写真を3枚ご紹介いたしたいと思います。尚、写真の下にザビエルの紹介を附しました。出典はYahoo百科事典です。
フランシスコ・ザビエルの紹介:
ローマ法王の使節、イエズス会の東インド管区長の資格をもって、彼はコモリン岬をはじめインド各地を巡り、さらに1545年から47年にかけて、マラッカからモルッカ諸島まで布教に従事した。その間、マラッカの教会で最初の日本人として鹿児島出身のヤジロウ(アンジロウ)らに会い、彼らの母国日本にキリシタン宗門を広める大いなる熱意を抱いた。
1549年(天文18)8月15日にザビエルは鹿児島に第一歩を印した。薩摩(さつま)(鹿児島県)、平戸(ひらど)(長崎県)を経、周防(すおう)山口(山口県)でも同僚フェルナンデス修道士らと伝道したのち、51年の初めに堺(さかい)に達し、ついで京都に赴いたが、戦乱のために天皇も将軍も権威がないのを悟る。落胆のうちに西下した彼は、周防の大内義隆(よしたか)を再度訪れ、数々の珍奇な品を献上してその好意のもとに山口で布教した。ついで豊後(ぶんご)(大分県)にポルトガル船が入港したとの知らせでその地に移り、大友宗麟(そうりん)(義鎮(よししげ))に謁したのち、51年ひとまず離日してインドに帰った。翌年中国布教を志してゴアから旅立ったが、広東(カントン)沖のサンショアン島で病死した。ときに52年12月2日(3日説は誤り)。遺骸(いがい)は現在ゴアのボン・ジェズ教会にあり、右腕だけはローマのジェズ教会に安置されている。1622年、聖人の位に列せられた。