キリスト教では、神(父)とイエス(子)と聖霊の3つを崇拝します。三位一体といってキリスト教の一番大切なものです。
天上に居る神、そして神からつかわされたイエス様。この2つは誰にでもイメージを抱くことが容易で、理解出来ます。しかし聖霊とは何ですか?という問いへ対して明確な説明の出来る人は多くありません。なにせ天から飛んで来た聖霊を捕まえて、ビニール袋に閉じ込めて、その体積や重さを測ることができないのですから。
しかしキリスト教にとっては聖霊は非常に重要な存在です。ですからカトリックの教会に行くと祭壇の右手に赤い小さな電気が常に灯っています。それが聖霊なのです。昔は電気でなく、永遠に絶えないローソクの炎だったのです。
この聖霊は説明がしにくいので色々な喩え話を使って説明します。このブログの11月23日の正教会の教義の説明文の中で、ニコライ堂で伝教師をしている金田一豊師が以下のように正教会の説明方法を教えてくれました。
「神様の説明を比喩的に表すと、父なる神は太陽、子なる神・ハリストスは太陽からそそがれる光、聖神(聖霊)は太陽から注がれる熱、全てのエッセンスは太陽から来るように神も唯一である。といいます。」
成程、太陽からの輻射熱がなければ人間も動物も植物も生けてゆけないのです。絶対に必要なものです。これは非常に分かりやすい喩え話です。
ところがもっと分かりやすい喩え話をカトリック小金井教会の主任司祭の山本量太郎神父様から頂きましたのでご紹介したいと思います。
まあ、その前に俗っぽい話しをします。主任司祭といえば大会社の社長のような存在です。私のような平信徒にとっては雲の上の存在です。
そんな方から先日、突然電話がありました。このブログを時々読んでいます。それで次回の教会ニュースにヨゼフ・ピタウさんの読売新聞の連載記事について書いて下さいというご依頼でした。
私にとっては、「嬉しい大事件」です。皆様もご存じのようにこのブログではカトリックの狭い教義を無視するように、仏教の話や、ロシア正教や色々なプロテスタン宗派のことを沢山書いています。いつか山本神父様に、「破門だ!」と言われると恐れていました。その方から電話があったので「覚悟」を決めて話を聞きました。話の内容を聞いて思わず安堵の念で胸を撫で下ろしましたものです。
原稿依頼のあと2つの話をしてくました。
(1)キリスト教の色々な宗派は一つになった方が良い。
ギリシャ正教やロシア正教のような東方キリスト教とカトリックが別れてから間もなく1000年になる。マルチン・ルターの宗教改革から500年目の年もやってきます。このような機会にキリスト教の諸宗派は反目を乗り越え、協力しあい、合流するのが良いと思います。という話をされました。
山本神父様は理想を語るだけでなく、出来ることから実行しています。小金井市にある11の宗派の違う教会の交流を進めています。
(2)聖霊はヨットにとって風のようなものです。
山本神父様はすごく忙しい方なのでヨットの経験はありません。将来もそんな暇が有りません。しかし私のヨットの記事を読んで、「聖霊はヨットにとっての風のようなものです」と説明してくれました。
ヨットにとって最大の悲劇は無風です。人間もヨットも動けないのです。向かい風でもあれば、人間を乗せたヨットが風上に向かってのぼれます。向かい風は悪い風です。悪霊の混じった風です。しかし正しい聖霊だけを選んでセイリングをすれば風上45度までは登れます。追い風は楽な風です。順風といいます。風下にむかってセイリングしている時は聖霊が順風のように押してくれているのです。しかし油断は禁物です。時々悪霊が忍び込んでセイルへ裏風を入れます。帆が逆転して帆桁で頭を打たれて水に落ち、大事故になります。ですからヨットで追い風で走っているときが一番危険なのです。一番緊張して居なければなりません。山本神父様とこのようなお話をしました。風が無ければヨットは走らない。聖霊が無ければ人間は活動出来ない。
しかし聖霊に、時々、悪霊が忍び込む。聖霊と悪霊を賢こく見分けながら生きること。活動することが重要ですという明快な喩え話をして頂きました。
ヨット趣味の人だけでなく誰にでも聖霊のことを分かる明快な説明です。
今後、セイリングする時は聖霊が吹いて来たと考えながらヨットを楽しめます。
キリスト教にご関心がある方々にとって聖霊へのご理解が深まれば大変嬉しく思います。(終り)