後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

インターネットを使って外国でビジネスを成功させる秘訣

2009年09月28日 | うんちく・小ネタ

外国でビジネスを展開する場合色々な方法がある。ビジネスの種類によってもその始め方や展開の方法が違う。しかし、どんな種類のビジネスでも事前調査が重要である。事前調査を正確に実行するには現地の人と契約してインターネットで、日本からの「指示」と現地からの「報告書」の交換の積み重ねによって精度の高い事前調査が出来る。

私はアメリカの国防省の基礎研究部門のウオルフ博士と契約して日本の基礎研究の実態調査を行ったことがある。その時、インターネットを用いて外国の実態調査はどうすれば成功するか?の秘訣を学んだ。その秘訣とは次の4項目である。

(1)初めはあまり細かな指示を出さず、現地から来る短い報告書を徹底的に褒め上げる。

(2)現地の調査担当者の個人的な意見や感想を重視すると言ってあげる。

(3)次第に調査の範囲や取材方法を具体的に、厳しく指示する。

(4)ある時点で現地を訪問し、調査担当者と2人だけで調査先を訪問し、取材する。その旅行中に、2人の間の人間的信頼を築く。

以下は1998年から2000年の3年間の私の経験です。ご参考になれば嬉しく思います。

086

◎アメリカ流情報の分析の仕方

私は米政府が莫大な研究費を出している役所の仕事を三年契約でしたことがある。あるプロジェクトに関する日本の研究の現状を取材してメールで報告書を毎月提出する仕事だ。

大学や民間機関の卓越した研究者から話を聞き、その報告書をその研究者に送って間違いを訂正してもらう。了解を取った後に、米国の研究プロジェクト・マネージャーのウオルフ博士へ報告書を送る(日本のことを自慢したいので研究者を高く評価した報告書を送っていた)。マネージャーのウオルフ博士は直ぐ返事をくれ、報告書の内容を褒める。あまり褒めるので、私も本気で仕事へ打ち込んだ。

以下、ウオルフ博士が来日した際のやり取り。「こちらから送る報告書をなぜ褒めるのですか?」「米国では外部の人に働いてもらう時に褒めるのが普通で、特に変わったことではない」「私も訪問先を無責任にいろいろ褒めているが、そんな報告書でも役に立ちますか?」「すごく役に立っている。君の褒め方にはいくつかのパターンがあって、研究のレベルや内容が自ずと見えてくる。君は最後に感想を一、二行書いて来るが、それが報告書全体の半分以上の価値になっている」

@取材のときの質問の順序が重要!

日本の企業でも情報収集に外部の人を使う。私も日本の会社の仕事を何度もしたことがあるが、日本の会社は外部の人間の使い方を知らない。硬い表紙を付けた分厚い報告書の体裁を気にし過ぎて、調査中の感想や細切れの評価・意見の活用方法が分かっていない。米国ではその分析と活用方法が確立していて、外部の人間の能力を120%引き出すノウハウが存在する。

日本では専門外の人が高度な研究者を取材しても、内容が理解できないので無駄と考えられている。自分が一度も研究したことがない分野の、しかも先端的な研究をしている人を訪問しても、報告書が書けるだろうか、と。

ウオルフ博士は「質問の順序が重要」と言う。

     素人に研究内容を説明してください。自分の研究のどこが独創的ですか。

     競争相手を国内と外国に分けてそれぞれ三人挙げてください。

     その六人の研究者はどうして競争者と見なしていますか。

     現在している研究はいつ止めますか。

     現在している研究の実用的な価値をどう考えていますか。

「先ず五つの質問をして、全体の答えを六十分でお願いしますと言いなさい」「①が説明できなかったら、それ以上取材する必要はない」「これまで付き合ってきた日本人の優秀な研究者でも、不思議と④と⑤に答えられない人が多い。なぜそうなのか、君の意見を送ってくれ」

④と⑤は難問であり、三年間の契約期間、自分も訪問先の研究者も苦しんだ。日米の研究に対する価値観の相違を浮き彫りにしている質問内容ではないだろうか話はこれでお終いです。この経験から冒頭の4項目の秘訣を導きだしました。

ビジネスで外国人を使っている皆様はいかがお考えでしょうか?ご感想をお聞かせ頂ければ嬉しくおもいます。(終わり)


イエスさまの優しさと厳しさ

2009年09月28日 | うんちく・小ネタ

このブログではキリスト教のことを何度も書きました。特にキリスト教は愛の宗教と理解されているのでイエス様の優しさを強調して書いてきました。なるべく多くの人々にキリスト教に親しみを持っていただけるように願っているのでそのように書きました。どんな罪人でも神に祈って悔い改めれば許される。ですからカトリックでは罪を神父様へ告白する「告解」というシステムがあるのです。現在では「告解」とは言わないで「ゆるしの秘跡」と言います。仏教のある宗派では念仏さえ唱えていれば極楽往生できると教えています。しかし仏教もキリスト教もそんなに優しいだけの筈はありません。

今日はマルコによる福音書からイエス様が弟子たちへ言った厳しい教えをご紹介します。昨日の教会でのミサで朗読した部分です。

イエスが言います、「・・・・キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその(良い)報いを受ける。わたしを信じるこれらの小さな者(弟子や信者)をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかに良い。もし片方の手があなたをつまずかせるのなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方が良い。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄へ投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方が良い。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入るがよい。地獄では蛆(うじ)が尽きることも、火が消えることもない。」

何と力強い、そして厳しいイエス様の言葉ではないでしょうか?この言葉を忘れないで毎日祈っているのが普通のキリスト教の信者なのです。私は毎日家で食事をする場合には家内と一緒に短い祈りを唱えますが、この言葉を時々思い出して 少しだけ安逸に 流れないようにしています。

外のレストランで食事をするときは、他のお客に気を使いお祈りはしません。他人の気分を害するのはいけないことですから。人々の気持の平和を乱すのをイエス様は喜ばないと思います。しかし時々、上にご紹介したイエス様の厳しい言葉を思い出しています。世界中で広く人々に受け入れられている宗教は全て「優しさ」と「厳しさ」の両方を持っているのです。宗教を信ずることはその両方を受け止めることと思っています。

厳しいことを言えば人々がその宗教から離れて行く。ですから優しいことばかり言う。これが信者を増やすには一番良い方法です。このとき、何故信者を増やそうとするかという動機が一番問題になります。迷い苦しむ人々を助けよう、安心させて上げようという目的で信者が自然に増えるのは善です。ところが信者を増やして寄付金を多く集めよう。自分の権力を増やそうという目的なら、それは悪魔の所業です。どのような宗教団体や宗派でも、この基準で観察すると善し悪しが判然と分かります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人

挿絵がわりの下の写真は昨年落葉した多摩の横山の古道です。

033