後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

それでも、何故貴方はキリスト教を信じているのですか?

2009年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、このブログへ20世紀の欧米人の大きな失敗の記事を掲載しました。キリスト教国がキリストの教えを忘れて、お互いに血みどろの世界大戦を2度もしたという記事です。更にドイツ人のカール・マルクスは宗教を否定する共産主義理論を創り、ロシアはその理論にもとづいて共産党独裁国家を70年間も維持してきたのです。そんな欧米人が日本へ持込んできたキリスト教を何故、私は現在でも信じているのでしょうか?

欧米人だけではありません。第二次大戦中に日本のプロテスタント諸団体は戦争推進団体の大政翼賛会へ入会し戦争へ協力したのです。その上、敗戦後も長い間反省しませんでした。

このブログで2008年の11月と12月の同じテーマで数回掲載した記事があります。戦争中にキリスト教徒だった吉備野禅三さんが戦後に棄教したいきさつを数回にわたって紹介した記事です。日本のキリスト教の教団はキリスト教の神の他に「現人神」も信仰させて、若者を戦場に送りだしたのです。靖国神社でまた会うといって送り出したのです。そんなキリスト教を信用して良いのでしょうか?

更に吉備野禅三さんは言います。「テニアン基地から原爆を積んで飛び立とうとしている爆撃機のエノラ・ゲイの乗組員を従軍牧師が祝福している写真を見ました。それで若かった私は棄教を決意しました。十字軍の昔から「殺し」を神の名において義とする詭弁を現在も続けるこの宗教とは何でしょう?」

吉備野禅三さんは元毎日新聞の記者、論説委員でした。ネットの上での私の友人です。

その棄教に至る心の葛藤を読むと感動します。誠実なお人柄だからこそ悩んで、悩み抜いて棄教に至るのです。

そして私はどうなるのでしょうか?キリスト教を放棄するでしょうか?棄教して宗教抜きの人生を送るのでしょうか?そんなことは私個人のことでどちらでも良いことです。他人に迷惑をかける問題では無いので気楽にどちらかに決めれば良いのです。

答えは簡単です。キリスト教を他人の行いで判断しないことにしています。「人に躓いて、イエス様が見えなくなる」ことはよくあることです。欧米人の蛮行や大政翼賛会に協力した日本のらキリスト教集団などは全て人間の行ったことです。それを見て棄教したなら、人に躓いて棄教したことになります。私は日曜日に時々イエス様と簡単な対話をするのを楽しみにしています。イエス様を呼び寄せてくれるのは、カトリック小金井教会の山本量太郎神父様です。今日の説教はイエス様が耳が聞こえず話も出来ない人へ「エッファタ」と言って直したという奇跡の話でした。エッファタとは「開け」という意味で、耳や口が自由に開き正常になるようにという掛声だったのです。普通の人も正しく聞き、正しく話をするようにという忠告の意味もあるそうです。このエッファタの話をしている間にイエス様が降りて来たのです。山本神父様が精神を集中して説教をしている間に時々起きる現象です。

イエス様と自分の間に他の人間が居ない状態を大切にしています。私のキリスト教とはそのようなものです。ですから人間が如何に大きな間違いをしても信仰が揺らぐことがないのです。

この様な状態になるようにと他の人々へ勧める気持ちはありません。信仰は個人の勝手です。無宗教でも立派な人々も一杯居ます。人間の人生は、人それぞれです。皆様は無宗教でしょうか?仏教を信じて居ますでしょうか?神社へよく参拝に行かれるでしょうか?

どちらでも良いのですが、今日は日曜日で教会のミサへ行きましたので、私のキリスト教のことを書いてみました。ご参考になれば嬉しく思います。(終わり)


高原の秋の草花の写真もお楽しみ下さい

2009年09月06日 | 写真

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昨年の9月17日は北志賀高原のホテルに泊まりました。次の日の朝、爽やかな空気に誘われてホテルの近辺を散歩しました。秋の花々が咲いています。

高原の秋の草花の写真もお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

撮影日時:9月18日朝7時頃、撮影場所:長野県北志賀高原のホテル街、撮影者:Mrs.藤山


道端の初秋の可憐な草花の写真をお楽しみ下さい

2009年09月06日 | 写真

秋になるとオミナエシやキキョウや萩などという可憐な草花が咲きだします。

時々散歩する武蔵野国分寺の近くのお鷹の道に咲いていた草花の写真です。最後の2枚の百合の花の写真は夏に登った御岳山の参道の横で撮ったものです。お楽しみ頂ければ嬉しいです。(終わり)

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20世紀、欧米人の2大失敗ー5500万人が犠牲になった第二次大戦と共産党独裁ソ連の成立は何故起きたか?

2009年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新以来、日本人はイギリス、フランス、ドイツを尊敬し、それらの国から文明を輸入してきました。20世紀にこれらの国がお互いに血を血で洗う大戦争を2回もしたのです。第一次世界大戦と5500万人の犠牲者を出した第二次大戦です。欧米人の大きな失敗です。

その上、カール・マルクスという人物が共産主義という思想を創りました。単なる机上の空論と受け取っていれば良かったのです。ところがロシアはその空論にもとづいて武力革命をし、共産党独裁のソ連という巨大な収容所国家を作ってしまったのです。スターリンという独裁者が粛清やシベリア流刑で何千万人もの犠牲者を出したと言われています。この共産主義の理論を実際の政治統治に使ってみると、大変な欠陥を持っていたのです。この思想を実践したロシアや中国がその間違いで苦しみました。ロシアなど東ヨーロッパの国々は1989年のベルリンの壁の崩壊とともに共産主義独裁体制を放棄せざるを得なかったのです。

この2回にわたる世界大戦と、共産主義国家の出現は20世紀における欧米の一番大きな愚かしい歴史だったと、今になってみると誰もが考えることと信じます。

翻って日本の20世紀の歴史を考えると、欧米人に劣らない大きな愚かしい歴史をつくりました。朝鮮や満州の植民地的圧政と真珠湾攻撃に続く、アメリカ相手の大東亜戦争です。日本人は欧米人の愚かしさを笑う資格がありません。

美しいクラシック音楽や近代絵画や芸術を生みだした賢明な欧米人が、何故このような愚かな間違いを犯してしまったのでしょうか?

18世紀から欧米各国はアフリカやアジアにおける植民地の争奪戦をして来ました。戦争の火種は有ったのです。一方、ロシアでは貴族が農奴を酷く搾取していました。革命の起きる火種が存在していたのです。それらの事情が大きな戦争や革命の原因になったことは間違いの無いことと思います。学校で習う教科書にもそのように書いてあります。しかし大きな悲劇の起きた原因はもっと複雑多岐にわたるのが普通だと思います。

私は当時の欧米人の思い上がった心に本当の原因があったと考えています。この際限も無い思い上がりは特に産業革命の成功と科学技術上の数々の発見によるものと観察しています。私は昔、科学技術の分野を職業にしていました。従って科学的発見や革新的技術進歩の歴史も知っています。帆船でなく蒸気機関だけで動く戦艦や潜水艦建造技術の進歩、戦闘用飛行機の開発、戦車の製造、毒ガスの合成化学の進歩、などなどは全て第一次世界大戦の直前に行われました。このような驚異的な科学技術の成果を手にした人間は心が狂ってしまいます。キリスト様の教えなどすっかり忘れてしまいます。自分が地球を全て支配出来ると錯覚します。日本人の尊敬していたイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアの権力者が例外なく心を狂わせてしまったのです。科学技術の合理性の勝利は共産主義の合理性を保障したように思わせました。それを実際に使って武力革命を起こしたのがロシアです。

従って、20世紀に欧米が犯した2つの巨大な失敗の原因は人間の思い上がった心にあったのです。実に愚かしいことです。しかし上記のように、その事を笑う資格は日本人にはありません。

欧米人の悲劇的な失敗は上に書いただけではありません。ヒットラーによる600万人に及ぶユダヤ人、ジプシーや身体障害者の殺戮も絶対に忘れてはなりません。下の3枚の写真はネット上の若い友人の中村真人さんが自分で撮影したアウシュービッツ収容所の写真です。このブログの2009年1月14日に関連記事も掲載してあります。(終わり)

今日は人間の思い上がった心が愚かな戦争を起こさないように、世界の平和をお祈りいたします。          藤山杜人

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