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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

にわか庭師の苦労ばなし

2008年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

庭仕事は好きでないが、秋の終わりには、伸び放題の木々の枝をおろして、綺麗に切り揃えて、束にする。そんな束を7つ8つもゴミ収集日に出して、持って行ってもらう。高い脚立に登る作業が年々大仕事になってくる。

でも、それが終わると庭がサッパリとしてクリスマスやお正月を迎える準備が終わる。今年もこの庭の整理がおわった。

毎年、枝の切り方に苦労する。梅は来春、花が咲くように、柿の木やブドウの蔦はまた実がたくさんなるように切らねばならない。花の芽の付きそうな小枝を残したつもりだが、花が少ししか咲かないことになる。何年も、にわか庭師をしているが剪定が一向に分からない。

それに雑草がすごい。梅雨時1回、夏に2回、雑草とりをする。ヤブ蚊がすごい。

30坪も無い庭でも結構仕事が絶えない。

大体、庭には植物が多すぎる。

柿の木、白・紅梅の木、椿5本、小さな桜の木、ムクゲが3ケ所、紫陽花多数、沈丁花、美女柳、ネコヤナギ、白・黄山吹、盆栽を下ろしたケヤキ、山椒の木、ベイリーフ、カラタチの木、ドウダン、ネコヤナギ、白萩、定家かずら、花ジンジャー、ドイツアイリス、つわぶき、ミョウガ、クロッカス、ヒヤシンス、水仙いろいろ、チューリップ、水盤には金魚と睡蓮、それに潮来で買ってきた根付きのあやめ、などなどが計画性なしに雑然と成長している。

シイタケの原木5本もある。庭に住みついているガマも居る。どこでオタマジャクシが生きているのかが謎だ。

庭仕事は家人も手伝って、植物のことを話しあいながら楽しく進める。今年は夕顔を植えた。これがあたって8月から11月の始めまで毎晩、真っ白な大きな花が次々と咲いてくれた。

庭師仕事は苦労も多いが、引退後は暇になるので意外に楽しい趣味になりつつあります。

下の写真は東京都羽村市の多摩川ベリにある魚観荘の庭にある茶室入り口です。

プロの庭師の仕事ぶりの見事さに驚きます。このような茶室を持つのが夢です。でもこの世ではかなわない夢です。

詳しくは、 http://www.gyokansou.co.jp/index.htm をご覧下さい。(終わり)

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オバマさんが大統領に(3)世界中の黒人に祝福を

2008年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカに1960年から1962年まで住んでいた。黒人はどんなに才能があり、人格が良くても社会の上流に立てない。人種差別や階級制度の無い日本からは想像もつかない厳しい差別社会であった。黒人と白人の住む場所が分かれ、あらゆる場面で黒人差別が残酷なまでに実施されていた。時代の流れと共にこの悪しき風潮も、ゆっくりながら薄れてきました。

そしてついにオバマさんが次期大統領になったのです。そのお陰で、社会的な黒人差別が一層無くなった。少なくとも差別解消のシンボルになった。アメリカは世界に冠たる超大国である。その国の大統領になったことは世界の頂点に黒人が立ったことになる。

いろいろな国でアフリカ系の黒人だからという理由だけで社会的な差別に苦しんで来た人々にとってこんなに明るい出来事は無い。全ての黒人へ祝福が与えられたような気がする。兎に角、21世紀の歴史的な大事件である。

しかし私的な、個人的なレベルでの黒人差別は消滅しない。黒人は醜いと思っている人が居る限り差別を受ける。

アメリカで先住民族は見た目では分からない。アジア系のアメリカ人に見える。従って日常、個人的な差別を受けない。

しかし黒人は見て、すぐに分かる。見知らぬ白人から個人的な差別を受ける。

街中のエレベーターの前に白人の女性と黒人の女性が待っていたとする。エレベーターが来たとき白人の女が当然のように先に乗り込む。貸家の家主が白人には家を貸すが、黒人へはもっともらしい理由をつけて貸さない。白人の住宅街は清潔で綺麗だが黒人の住宅街はなんとなく汚い。それで白人は黒人を軽蔑する。個人的レベルの人種差別が、「見かけの美や醜」に直結すると途端に根深い問題になる。美人は大切にされるが、そうでない女は大切にされない。何故でしょうか?

オバマさんが、世界の頂点にたっても黒人の不幸はそう簡単に解消しない。黒人を美しいと思う人々が増大しなければならない。見かけではなく人間の内面の美しさで評価する文化が強烈に定着しなければいけない。

ブログの素晴らしさは、書いている人々の顔や姿が一切見えないことです。文章や写真の出来・不出来だけで評価されます。人種も住んでいる場所も関係なくブログの上での作品の良し悪しだけで評価されます。

ところが現実の世界では絶対にそうなりません。美醜の相対的比較がことを決めることが多すぎます。

オバマさんが大統領になっても、人間一人一人の罪深さは一向に改善されないようです。しかし、あきらめないで改善する努力することが大切ではないでしょうか? 

(続く)