後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

真摯なコメントへ感謝します、

2008年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

11月2日掲載の「日曜日、教会へ何をしに行くのかご説明します」という記事へ数人の方々から真摯なコメントを頂きましました。そのコメント欄を是非お読み頂ければ嬉しく思います。

コメントを下さいました方々へ深く感謝致します。敬具、藤山杜人


では、これは何でしょう?

2008年11月03日 | うんちく・小ネタ

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(写真の出典:http://shipphoto.exblog.jp/i60/ )

先程のナゾナゾはあまりにもスケールが小さすぎたので、大きな問題を追加します。

上の2枚の写真はある工場の昼と夜の光景です。何を作る装置でしょうか? ヒントを二つ差し上げます。

(1)皆様のキッチンにあるものを作ります。

(2)仕事や、行楽へ行くとき使うものを作ります。

答えはこの記事のコメント欄にあります。

この風景は筆者にとっては懐かしい光景です。このような工場で30日間の実習をしました。1958年の夏でした。当時は、工学部の学生は必ず工場実習へ行きました。卒業と同時に、すぐに技師として働けるように、専門教育が徹底していました。(当時の技師養成の専門教育の徹底ぶりは、何時かブログへ書いて見たいと思います。)

実習先の工場から就職の勧誘がありましたが大学に残りました。昔の工学部では就職希望の工場へ実習へ出て、お互いに良ければ就職を内定して帰ってきたものです。工場実習で働いた上の写真のような装置は「男のロマン」を感じさせたものです。大きな装置が輝いて見えたものです。思い出して検索して、美しい写真を見つけましたのでご紹介致します。このような工場の風景が美しいと感じられるのは技術者だけかも知れません。いかがでしょうか?(終わり)


これは何でしょう?

2008年11月03日 | うんちく・小ネタ

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左の写真の3本脚の木の台は何でしょう?木工趣味の小生が昨日作りました。

ヒントを三つ出します。

(1)右の写真のような雑木林に関係があります。

(2)このブログで何度かご紹介しました、薪ストーブに関係しています。

(3)山には雑木が倒れて、そのまま枯れています。白樺もよく倒れて居ます。

正解はこの記事のコメント覧に出して置きます。

引退すると時間が有ります。このような玩具を作り、その使う情景を想像しながら楽しんでいます。お暇の方はコメント欄をご覧下さい。

(終わり)


人間が好きだから旅をする(6)波浮港のお寿司屋さん一家

2008年11月03日 | 旅行記

少年の頃、「磯の鵜の鳥ゃ、日暮れにゃかえる、波浮の港は夕焼け小焼け、、、」という歌がラジヲから流れていた。歌の意味は、島の娘が港を出て行く船の艫綱を泣いて解く、、船出する人と別れるのが悲しいので。鵜の鳥は日暮れに帰るがその人は帰らない、、、。

そんな悲しい歌なので忘れられない。2年前に仕事を一切止めて、彼方此方へ旅をすることにした。 そうだ大島の波浮の港へ独り旅をして見よう、と思い立つ。

まだ寒い3月5日の朝、竹橋桟橋から船に乗る。高速船なので昼前に大島に着いた。観光客で騒がしい岡田港の交通案内所で波浮の港へ行って一泊したいと言う。対応してくれた若い女が。「あそこは観光客は行きませんが。何をしに行くのですか?」と聞く。少年の頃の感傷で行きますとも言えず赤面してしまう。それでも国民宿舎のような宿をとってくれた。バスで行く。宿に着くと高台にあり、火口湖のように丸い波浮港が見下ろせ、景色が良い。しかし、憧れの波浮の港までは遠すぎる。

港へ降りて行って地魚の寿司を食べようと思うがタクシーが無い。宿の人が電話をすると寿司屋が迎えに来てくれるよ、と教える。60歳くらいの元気なオバサンが軽自動車を運転して迎えにくる。気さくでいろいろ話してくれるが乱暴な運転で曲がりくねった急な坂道を降りて行く。店はここ一軒だけだ。

地魚の島寿司を頼む。ご存知ですか?「島寿司」を?あれはいけません。

活きの良い地魚の握りの上に、どういう訳か甘ったるい醤油が塗ってあるのです。

甘い魚の寿司ですよ。泣きたくなりましたが、ビールの酔いのお陰で元気になり、店の中を観察することにしました。2組の客が居て日本酒や焼酎を飲んでいます。

客の一組が、寿司を握っている60過ぎの主人や手伝っている息子やその嫁と雑談をしています。寿司屋の一家は明るく、地元の人々に好かれているようです。

見ると店の壁に古い写真が沢山飾ってあります。波浮の港に木造漁船がビッシリと並んでいる写真です。港の通りには漁師が溢れ、居酒屋が軒を連ねています。主人に聞くと昔は漁船の船足が遅く、この港が太平洋での漁の中継基地として賑わったそうです。今は船が高速化して、取れた魚を積んだまま築地の魚河岸へ直行するのです。だれも波浮の港へ寄らなくなって、すっかりさびれました。と主人が淋しそうに言う。そして島では火山灰が土地を覆っていて米が取れなく、昔から貧しい所だったと説明してくれる。気分を引き立てるため地魚の刺身と「亀の爪」という一品を注文する。亀の爪のように見える小さな一枚貝が、磯の岩にしがみついているそうだ。味が貧乏臭い。普通には食べるものではない。救荒食とはこんなものかも知れない。少年の頃聞いた歌で、島の娘の悲しい歌が実感として体で感じられる。

益々滅入ってしまうが、主人へそうも言えず。「結構おつな味ですね」と言う。ニコリとして、主人が、「そうでしょう!昔は毎日のように食べたものです」と言う。

酔い醒ましに、暗い港通を散歩する。店も居酒屋も無く真っ暗な通りだ。淋しげな波音だけが響いている。通りが尽きた浜辺に「磯の鵜の鳥や、日暮れにゃかえる、、、、」の野口雨情の記念碑が立っている。

まだ3月の始めで、寒い夜風が吹く抜けて行く。もとの店へ戻り、もう一杯飲み暖まってから帰ることにする。帰りは赤ん坊を連れた嫁が、軽乗用車で高台の宿まで送ってくれた。助手席に赤ん坊を乗せているので丁寧な運転である。道々、乳飲子の自慢話を聞かせてくれたお陰で元気がでる。

私の行ったのが3月のせいで観光客が居なかったが、夏には釣り客やダイビング客で賑わうそうです。皆様、是非波浮の港へ泊まりに行って下さい。港通りのお寿司屋さんへも行って下さい。島寿司でなく普通の握りにしたほうが無難です。

(終わり) 

下の波浮の港の写真の出典は;http://www.town.oshima.tokyo.jp/highlight/habu-harbor.html

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