遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

老舗和菓子店の閉店

2022-01-11 16:45:02 | 日記

和4年1月11日(火)

亦一つ、老舗和菓子屋の閉店

名古屋名物として知られる「納屋橋饅頭」等の和菓子の老舗

が店を閉めた。

中区大須に在る「納屋橋饅頭万松庵」は1919年(大正8年)、

名古屋市中村区柳橋に在った「納屋橋饅頭本店」から暖簾分け

をし、開業した店であったが、、、、

 

この日(1月10日)大須本町通店には、朝8時の開店前に

130人を超える長蛇の列が出来、開店を待っていた。

母の影響で、幼い頃から慣れ親しんだ味をと店に並んだ人は

「母の仏前に供え、一緒に食べ納めをしたい」と、一人限定

30個を買い求めた。

この日は、大須万松寺店と合わせて18000個を用意し、

午後には完売をした。

納屋橋饅頭は名古屋土産の定番として、駅の売店やデパ地下

等で幅広く売られていた市民の味でもある。

酒まんじゅうで、皮には一切砂糖を使わず、小麦粉と糯米に

酵母を入れて練り上げ自然発酵させた皮でこし餡を包む。

あっさりした味わいは、名古屋の人達は変わらぬ親しみを持

っていた。最近はこれを揚げた物に、若者の人気を得ていた。

 

1886年(明治19年)三重県桑名郡(現桑名市)出身の

米運搬の船頭をしていた、三輪伊三郎が名古屋市の納屋橋に

「伊勢屋」を創業し、饅頭を売り出し始める。

1913年(大正2年)に、堀川に在る納屋橋の架け替えの

工事が完成し、この時に夫婦3代揃う者で渡り初めを行う事

となり、その白羽の矢が伊勢屋に舞い込んだ。

渡り初め、当時の写真

 

開店当時の店(大正2年5月5日とある)

 

晴れて渡り初めを行った伊勢屋は、この時から店の屋号を納

屋橋饅頭と、改めた。

店は納屋橋より半町ほど西の柳橋交差点に在った。

この頃から昭和の中頃まで、此処は名古屋の目ぬき通り(広小路通)

で賑わいを見せ、連日人通りが絶えなかった。

現在の柳橋交差点(画像正面シャッターを閉じた本店が見える。

 

私も数十年前にこの辺りに住んでいたが、当時は市電の停留所の前で

大変繁華な街並みであった。

その後地下街の発展などで、人通りは少しづつ減っていった。

亦、洋菓子の普及等で多種多様化する中で、若者等の和菓子離

れも著しく、売上も年々減少して行った。

納屋橋の本店は、2016年(平成28年)に閉店した。

 

1919年(大正8年)当時、番頭をしていた中島一一は

暖簾分けで大須万松寺に開業をし、繁華な大須商店街で順調に

売上を伸ばし、近年では若者向けに納屋橋饅頭を油で揚げた

揚げまん棒」やパイ生地で包んだ「パイまん」等を作り

若者の間で人気を博してきたが、ここにきて工場の老朽化等で

止むなく店を休業することになった。

再開は、未定だが多くの方が惜しまれている、、、、

 

今日の1句

母好み納屋橋饅頭寒の雨   ヤギ爺