遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

運動会

2015-09-30 19:55:00 | 日記
平成27年9月30日(水)

・・・運動会の秋

真っ青な空、爽やかな風、とても清々しい朝です、、、
明日から、10月、、、秋本番デス、、ネ。

先週末辺りから、あちらでも、こちらでも、
運動会 の声が聞こえて来ます、、、。

小学校の運動会

10月10日の体育の日を中心に各地で運動会を開催される
様です。
所により、春(5月頃)に運動会が行われる場合も在る
様ですが、俳句の季語にも在る様に秋が多い様子、、。

先日(9月27日、日曜日)一宮に住む孫の小学校で運動会
が有りました。






小学校の運動会



幼稚園の運動会

運動会は当事者の子供達もワクワクしているようですが、
それはさて置き、周りの親達の方が忙しなく、、、
前日からの準備も万端、、、当日の場所取り、カメラの
撮影ポイント、他に学校のお手伝い(テント設営等)
等など、、、。
昔から運動会は、心浮き立つ、町民総出の一大イベント
の様です、、、。

小学校の運動会

さて、運動会って、いつ頃から始まったのでしょうか?
体育的な起源を有すると欧州(イギリス、ドイツ)の様で、

特にこれを、誰もが一同に参加できる様々な競技に
娯楽的な要素(フォークダンス、仮装競技等)を
取り入れ、これを組織化し、きちんとプログラムを
作り、更には年中行事とした形式は、日本独自の物
だと思われます、、、。

運動会の種目
競走技(短距離、長距離、リレー等)
体操技(組体操、マスゲーム、ダンス等)
団体競技)棒倒し、騎馬戦、綱引き、玉入れ等)
特殊競技(仮装、借り物、パン喰い、玉転がし
    ムカデ、二人三脚、デカパン、親子等)

運動会を学校行事として、最初に普及させたのは、
明治18年(1885年)、初代文部大臣の森有礼が始めた
と言われて居ます。

亦、俳人として有名な正岡子規は明治30年(1897年)
運動会の句を詠まれて居ます。

赤蜻蛉運動会の日となりぬ    正岡 子規

大戦時、日本が統治していた、韓国、台湾、中国の
一部の学校には、この日本の名残りで、運動会が
存在している所も在る様です。

映画「無法松の一生」東宝(1958年製作)
 監督:稲垣 浩、出演:三船敏郎、高嶺秀子
この映画の中で、大正初期の国民学校の運動会
のシーンが、運動会を国民の大きな娯楽として
撮られて居り、とても印象に残ります。
(この映画の時代設定は、大正2年頃)

映画「無法松の一生」より

無法松の一生、棒倒しのシーン

松五郎、500m走で一等賞となる


今日の1句

気は急くも足縺れたる運動会

師に出会ひ過去甦る運動会

江戸の月見

2015-09-28 15:52:41 | 日記
平成27年9月28日(月)

江戸のお月見

歌川(安藤)広重の月見の絵

昨夜(9月27日)は仲秋の名月、陰暦八月十五夜の月。
薄(すすき)、団子、衣被(きぬかつぎ)等を供えて月見をする。
芋名月。

月見団子

衣被(きぬかつぎ)

朝方まで雨が降り、今夜(27日)の天候が気に成りましたが、
幸い、雲一つない快晴の、絶好の月見日和(ひよりはオカシイ?)

ベランダから見る月

満月は(28日)

然しながら、ベランダから眺むるも、、、、
最近の世の中、月を愛でる、、、何て事は余り無いのかも、、
花より団子、月よりゲーム、、、、
それでもスーパー何ぞに行くと、お月見団子などは沢山並んでます。

月見の事が知りたくて、
新日本大歳時記(講談社版)を紐解いてみると、、

観月招宴の行事(今で言う月見)は、日本では古代の御代(みよ)
に始まるとされ、月見の遺跡群(神奈川県大和市つきみ野)が
発掘されています。

奈良、平安の頃には主に宮中人の間で月を愛で、詩歌を詠む風習が、

江戸時代になると太平の世に慣れた庶民の間にも月見の民俗が
定着して行く様になりました、、、。
薄を飾り、団子や芋を供え月に手向けるのが風習となった、、。
中でも粋人等の間では、川舟を浮かべ観月詩歌の宴を設け、、、

両国月見の絵


隅田川の月


京橋竹がし、

高輪の月

お江戸墨田川の月見の名所は、浅草川や三叉の新大橋(現在の
日本橋中州町辺り)、両国橋、京橋の竹がし、、、、

亦、月見客を箱提灯(上下に蓋が有り、蛇腹で畳める構造)
を下げて、廓の兄さん達(客引き)が吉原へ招致する連中が
吉原堤には、横行していた様です。

新吉原日本堤見返柳

(これは、盛り場等では、、、今でも同じ様です、ネ?)

蒔絵戸の月(匠の技の粋な月見)
塗師屋の家(石川県輪島市)に設えられた優美な蒔絵戸
波兎を描いた塗り戸に、廊下を隔てた座敷の丸窓が映り込む
と、満月に飛び跳ねる兎が現れる様に工夫されて居ます。

蒔絵戸(月と兎)石川県輪島

俳人の名句

あの中に蒔絵書きたし宿の月     松尾 芭蕉

名月や池をめぐりて夜もすがら    松尾 芭蕉

月天心貧しき街を通りけり      与謝 蕪村

岩はなやここにもひとり月の客    向井 去来



彼岸花

2015-09-25 15:29:07 | 日記
平成27年9月25日(金)

彼岸花(曼珠沙華)font>


連休も明け、すっかり秋らしく凌ぎ易くなり、
そろそろ、公園等では市の作業員の方達が、木々の手入れ
(枯葉の飛散防止のためか、枝打ち等)を始めました。

そんな中、所々に、真っ赤な彼岸花が咲き盛っています。
この花は、暗闇でも少々遠くからでも、目立って居ます。


彼岸花 (中国から帰化)
 別名で曼珠沙華、死人花、天涯花、幽霊花、捨て子花
ヒガン科の他年草、花丈30~50Cmの花茎を伸ばし真っ赤な
炎の様な花が咲く。 花は輪状に外向き、花弁の長さは
≒40mm、幅5mm位。 稀に、白い花もある。
畑の畔や墓地、人里に近い場所に群生する。
有毒性で、小動物等の獣害を防ぐため植えられた様です。
亦、田畑や墓地の在る暗い場所に在ると真っ赤に燃える
様な強烈なイメージがある。
花ことば : 情熱、再生、転生等


名前の由来は、彼岸の頃に開花。これを食すると彼岸
(死)から死人花。
曼珠沙華は経典等に由来すると言われる。
日本では、死人花、地獄花、幽霊花、捨て子花等と
嫌われる事も多い様です、、。





百物語(おそろし三島屋変調百物語事始
 宮部みゆき著 (NHKTVBSプレミアムドラマ)

第1夜 「曼珠沙華」
出演 : 波留、佐野史郎、宮崎美子、加藤かずこ他
伯父の営む店(三島屋)に身を寄せる娘おちかは、
許嫁を殺された暗い過去が在り、心を閉ざされて、、
在る日、店の主人から、留守を頼まれ、訪れる客
の話を聞く事に、、、。
その客は、庭にある彼岸花に驚き、、奇怪な話を、、
その人は、彼岸花の中から自分によく似た、死んだ
筈の兄の顔だと、、、、。

その後、主人から頼まれ、次々と奇怪な話を他の
客から聴く様に、、、。
宮部みゆきの時代怪奇話の世界、、、 他に
2夜:凶宅、3夜:邪恋、4夜:魔鏡、5夜:家鳴り、


「彼岸花」のタイトルの映画

映画「彼岸花」松竹 (1958年)
 監督 : 小津安二郎
 脚本 : 小津安二郎、町田高悟
 原作 : 里美 敦(とん)
 出演 : 佐分利信、田中絹代、有馬稲子、久我美子
      山本富士子、佐田啓二、高橋貞二、笠智衆
      桑野みゆき、渡辺文雄

  大映の山本富士子が特別出演(小津監督の希望か、)



母(田中絹代)、娘(有馬稲子)、父(佐分利信)

婚期の娘を持つ、父親の悩み、葛藤、、、他人(友人)の
娘の問題には理解を示すものの、自分の娘の結婚に対して
非常に厳しく、蟠り(わだかまり)を持ち、苛立ち、全て
に反対して受け入れられない、、、、。
友人同志で、「お互い自分の娘は、思う様にはいかない
様だ、、、」

友人同志で酒酌み交わし、、


これ程では無かったと想うが、私(ヤギ爺)にも、、、
そんな時期が在り、この父親たちの気持ちがよく判ります。

映画のタイトル「彼岸花」は、今一判りません、、、。
映画のシーンに出てくる小物の中に、赤い薬缶、
赤いハンドバック、着物の赤い帯等、、、

赤いバッグ、赤いやかんが見えます、、

これを彼岸花の赤と、、、
(小津監督は、映画の中で使用する小物、小道具には、
何時でも 非常に気を使うようです。)
亦、彼岸花の花言葉の情熱、再生等を娘や父親達の心理
に結び付けて居るのか、、、、。

今日の1句
悍(おぞ)ましく髪逆立てる彼岸花

彼岸花狐火点る畦の径

野辺送り天依り降りし曼珠沙華



お彼岸

2015-09-23 15:41:30 | 日記
<">平成27年9月23日(水

お彼岸におはぎ

今日は秋分の日、シルバーウイーク(5連休)最後の休日です。
秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」という趣旨
で、国民の休日となった様です。

お彼岸の菓子「蓮華」

お彼岸 : 春彼岸(春分の日を中日とし)秋彼岸(秋分の日
      を中日とし)その前後3日の7日間を彼岸と言う。
秋彼岸は9月20日を彼岸の入り、23日を中日、26日を彼岸明け。

彼岸とは河の向う岸、生死の海を渡って到達する終局、理想、
悟りの世界を言うと有ります。
彼岸の頃は昼と夜の時間がほぼ同じになる日。 仏教では
太陽の昇る東側を私達の住む世界、陽が沈む西側を死んだ人
の住む世界と考えられ、この頃は故人への想いが一番伝えられ
易い、近くなる時と考えられ、この頃は仏前に供え物をしたり
お墓参りをする様になったとの事です、、、。

お彼岸と言う事で、カミサンとおはぎを買いに出掛けました。
以前(子供達が小さい頃)は、よく家でもおはぎ?(ぼたもち)
を作りましたが、子供も大きくなり(独立、家を出る)とんと
手間は止め、近頃は食べたくなれば買ってくる、、、。

おはぎ


さて、おはぎとぼた餅の違いは、、、 何となくですが、
春は牡丹の花が咲き、この花の様に餡をまぶしたところから
「牡丹餅」となった。
秋には萩の花が咲き、この頃(彼岸)に拵える餅を「お萩」
としたと言われる。

江戸時代には、
餅の餡に使われる小豆は、春(4~6月頃)に種を撒き、
秋(9月頃)に収穫されます。 お萩を作る頃(今)は
採れたての小豆は皮も柔らかく、粒のまま食べても美味しい
ので、粒餡とした。(形は萩の花の様に小さめにした)

おはぎとお彼岸団子

亦、春には小豆が採れないので保存して置き、固くなった
皮を取り、茹でた小豆を濾して、こし餡として使用した。
(形は牡丹の花の様に大き目にした)

現代では、保存技術も発達して、この区別は無い様です。
お店に依り、それぞれの餡、形、等を楽しめます ネ、

おはぎ「亀屋芳広」


今日の1句

早々に墓参を済ませおはぎかな

せかせかと僧侶の参る秋彼岸


一年忌知らせ文来る秋彼岸


※この頃、街の至る所で彼岸花(曼珠沙華)を見かけます。
 次回はこれを、、、、。


敬老の日

2015-09-21 16:24:16 | 日記
平成27年9月21日(月)

敬老の日に想う


敬老の日 : 毎年9月の第3月曜日
その主旨は「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とあります

2002年(平成14年)迄は9月15日に決まっていましたが、2001年
(平成13年)の祝日改正法施行により、ハッピーマンデイ制度を導入、
2003年(平成15年)から、毎年9月の第3月曜日を敬老の日とした。

今年は、9月23日の秋分の日が水曜日となり22日(火)を国民の日とし、
9月19日(土)~9月23日(水)迄の5連休を「シルバーウイーク」
と呼んでおります。

背に廻り、肩を叩く園児達

先週、敬老を祝う会:幼稚園で



園児の作品展


とは言うものの、国民の凡そ3割が高齢者(私も含む)となった今
右を向いても、左を見ても辺り一面 お年寄り、、、、

この連休中、親子3代手を繫ぎ仲良く行楽地へ、ファミレスへと、
然しながら大半の方々は、独り或いは老人同志、何処へ行く充ての
無いまま、街中を彷徨い(徘徊)、人、人、人が溢れて居ます。

敬老の日の主旨「多年にわたり社会に貢献し尽くしてきた老人を
敬愛し、長寿を祝う」と掲げて見ても、これだけ老人(私も含む)
溢れていては、とてもお役人の目が届く筈も無く(イヤ目につく
老人が多すぎ)、何故か淋しげなお年寄りが増えている様に、
想います。

年々国の借金(国債)が増え、軍事費が嵩む中、何処を削るか、
ウーーーン、 やはり老人福祉費をーーーーー。

安倍さんは、経済(大企業)ばかり重視して、経団連を味方に
勝ち組(お金持ち)、負け組(弱者、お年寄り)の格差社会、、

聞えてますかーーーーー、 安倍さーーーん



子供の持参した、不老柿(和菓子


今日の1句

こんなにも孫の優しき敬老日

敬老日孫を使いて電話かな