遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

春惜しむ

2022-04-30 16:25:09 | 日記

令和4年4月30日(土)

春惜しむ : 四月尽、行く春、

過ぎ行く春を惜しむこと。暮れの春、行く春と大差はないが

詠嘆的な心が言葉自体に強くこもり一種もの寂しく惜しむ様

な情を含んでいる。

「ああ、もう春も過ぎ去ろうとしている」行く春の愛惜の心

が込められている。

「四月尽」は、四月最後の日。四月が終わること。

「行く春」は、立春の後しばらくは寒さがぶり返し、時には

春の雪に見舞われたりしながら、だんだん日が永くなり季節

が移ろい、春の盛りに日本人に馴染の深い梅や桜をはじめ、

多くの草木が花を咲かせ目を楽しませてくれる。

厳しい冬過ごした後だけに、人々は解放感」と伴にこの季節

を享受する。

然し、時は更に移り動いて春もまさに過ぎ去ろうとしている。

「行く春は、季節を動くものとして捉え、その終ろうとする

春を惜しむ心のこもった季語である。

 

私の青春時代の映画に、「惜春鳥」という作品がある。

1959年(昭和34年)4月公開の松竹映画、

惜春鳥

監 督 : 木下恵介、 脚 本 : 木下恵介

撮 影 : 楠田 浩之、 音 楽 : 木下忠司

出 演

津川雅彦、川津裕介、山本 豊三、小坂 一也

石濱 朗、佐田啓二、有馬稲子

白虎隊の地、会津若松で育ち東京の大学に通う若者が帰省し、

4人の旧友と再会する。 皆それぞれの現在の立場の違いや

人生の苦悩、、、歳月を重ねても困難と苦しみは消え去らぬ。

彼等の替わる事のない友情、、、、

「友情とは、消えゆく春の雲のようなものなのか、、、、、」

懐かしい青春映画である。

今ではこんな(古典的友情)映画は見られないだろうか?

 

今日の1句

何もせで移ろふ速さ春惜しむ   ヤギ爺


昭和の日

2022-04-29 16:21:18 | 日記

令和4年4月29日(金)

昭和の日、学校給食

4月29日は「昭和の日」、国民の休日である。

今日からゴールデンウイークが始まり、最多の所は5月8日(日)

迄10連休となる。

昭和の日は、「激動の日々を経て戦後復興を遂げた昭和の時代を

顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨として制定された。

元は昭和天皇の誕生日で、昭和天皇の崩御の後は植物に造詣の深

かった天皇に因み、1989年(平成1年)より「みどりの日」

となっていた。2005年(平成17年)の「国民の祝日に関す

る法律の改正」により、2007年(平成19年)から「昭和の

日」となった。これにより「みどりの日」は5月4日となった。

今年は学校給食が全国で始まってから70年を迎える。

1952年(昭和27年)4月に全国の小学校で完全給食が始ま

った。

それまでの変遷は1884年(明治22年)に山形県の小学校で

貧困児童を対象とし無料の給食を出した。(おにぎりと塩さけ)

1919年(大正8年)東京の小学校でパン給食を開始。

1923年(大正12年)五目ご飯と味噌汁

1927年(昭和2年)ご飯、鰆のつけ焼き、ほうれん草煮物

1932年(昭和7年)初めて国が貧困対策として学校給食に

補助食を出した。

其の後、対戦に入り食糧不足により1946年(昭和21年)

迄、学校給食を中断した。

1947年(昭和22年)から給食は再開されたが、脱脂粉乳

が進駐軍経由でユニセフから寄付され、これにトマトシチュー

のみが給食として出された。

1950年(昭和25年)8大都市で小学校の給食が始まった。

パンとおかず少々と脱脂粉乳である。

この翌年、私(ヤギ爺)は小学校に入学し、初めての給食時間

私の前の席(最前列)の子は給食の脱脂粉乳を飲むたびに、癲癇

(てんかん)の発作を起こし、お漏らしをした。その後も2,3

度発作を起こし、、、1学期終了間際に登校しなくなった。

(とても悲しい事で、、今でもこの出来事を思い出す)

1952年(昭和27年)4月全国の小学校の完全給食始まる。

1954年(昭和29年)学校給食法は制定された。

1955年(昭和30年)米国から余剰農産物が贈られる(2年)

1956年(昭和31年)学校給食法一部改正、中学校も開始。

1958年(昭和33年)脱脂粉乳廃止、牛乳への以降が始まる。

 

1965年(昭和40年)ソフト麺のカレーあんかけ、牛乳、甘酢

            和え物,黄桃、チーズ。

1969年(昭和44年)ミートスパゲッテイ、牛乳、チーズ

            フレンチサラダ、

1976年(昭和51年)ご飯(米飯)の給食が始まる

1977年(昭和52年)カレーライス、牛乳、塩もみ、バナナ

            スープ

1983年(昭和58年)ツイストパン、牛乳、卵とほうれん草

            のグラタン、海老のサラダ、みかん

1985年(昭和60年)以降、文部省通達、給食の外部委託化

2002年(平成14年)サッカーワールドカップが日本で開催

され、来日した外国の寄宿先で、外国料理が給食に提供された。

2008年(平成20年)食育基本法の改正

2015年(平成27年)学校給食に於けるアレルギー対策推進

戦後の食糧不足で栄養失調の子が増え、学校給食以外に真面な食

に在りつけぬ子も沢山いたようだ。

今ではとても考えられないような事だが、そんな中での学校給食

はとても有難い事であった。 然しながらアメリカからの余剰品

の一つの脱脂粉乳は正直、とてもまずかった。それとコッペパン

の固さ、、、、。 鯨カツは良い方だが、私はこれにより現在

鯨の肉は余り好きではない、、、。

とは言え、あの頃の学校給食により今の我々が居るので、、、

今では、有り余る食糧の廃棄処分の多さにも考えさせられるが。

 

今日の1句

給食の脱脂粉乳昭和の日   ヤギ爺


髢 草

2022-04-28 16:17:00 | 日記

令和4年4月28日(木)

髢 草 : かもじくさ

イネ科の多年草、草丈50~70cm

路傍や畑などに多く生えている。麦藁に似て線形である。

晩春から初夏にかけて茎の頂に一個の穂状花序を出す。

花序には数個の小花のある多数のやや紫がかった小穂が

付き、長い芒(のぎ)がある。

過って女の子等がこの草の若葉を集めて雛人形のかもじ

を作ったことから「髢草」の名がついた。

※かもじは、昔の婦人の髪に添える髪(入れ髪)のこと。

 

俳人の夏井いつきさんの著書「絶滅寸前季語辞典」の中に

髢草の記述が在ったので紹介したい。

髢 草 : 晩春、初夏、イネ科の二年草

【髢草が絶滅品種であるわけではない。「髢」という言葉

が一体、どこまで生き残れるのだろうかと思ったまでだ。

髢草の命名は、この草を揉んで人形の髢(婦人の添え髪、

入れ髪)にして遊んだところからきたものではないかと

言われているが、この命名エピソード自体が既に古い。

今どきの子供達が「この草、お人形になるね」なんて発

想はしないだろうし、髢なんて言葉が日常語として出て

くる家庭もないだろう。「ドレッサーのところに置いと

いた私のかもじ知らない?、、、なーんてねえ? 】

(夏井いつき著 : 絶滅寸前季語辞典より引用した)

 

 

今日の1句(俳人の名句)

髢てふ字がまず読めずかもじ草   遊月 なゐ


ぜんまい

2022-04-27 16:40:18 | 日記

令和4年4月27日(水)

薇 : ぜんまい

ゼンマイ科ゼンマイ属の多年草シダで、山林や野原に

数本ずつ自生する。

山菜として有名で、未だ柔らかな若葉や茎を摘み採り

茹でてから干し乾燥させてから食用とする。

くるくる渦巻いた若葉の先は白い綿毛に覆われている。

この先端の形がほぐれないうちに摘み採る。

胞子葉と栄養葉とがあり、栄養葉の若芽は蝸牛状に巻

いていて、綿毛に覆われる。

ぜんまいは生では食べられない。茹でて一度乾燥させ

る。 料理する時は乾燥したものを使う。

カミさんが体操教室の帰りに、「仲間から薇を頂いた」

と持参した。 

他の山菜は、ご近所から頂く事が多いが薇を貰うのは

初めてである。

早速、ネットで薇のレシピを開いてみる、、、

「きんぴら」: 炒めたぜんまいを砂糖、醤油で味付

 けし、鷹の爪を加える。

「煮物」: にんじん、マイタケ、蒟蒻油揚げ等を入

 れ煮しめる。

「ナムル」(韓国料理): 豆もやし、人参の千切り

 をキムチの素で和え、ごま油をかける。

「五目飯」: 人参、マイタケ、油揚げなどを細かく

 切り、ご飯に混ぜる。

下ごしらえは面倒(茹でて干し乾燥させる)だが、

とても美味しい山菜とのことである。

薇(ぜんまい)、蕨(わらび)、屈み(こごみ)の

違い、見分け方は、、、

わらびは、コバノイシカグマ科ワラビ属で、わらび

の先端は小さめで、二つ三つに枝分かれしている。

先端はコブシ状で艶がない。

 

ぜんまいの先端はくるくる渦巻き状で、全体に茶色

っぽい綿毛が覆っている。

 

こごみはイワデシダ科クサソテツ属で、先端は薇

同様に渦巻き状、色は鮮やかな緑色で綿毛はない。

こごみは癖がなく食べやすいが、ぬめりがある。

 

今日の1句

疑問符のごとぜんまいの渦眺む   ヤギ爺


遠 足

2022-04-26 16:38:53 | 日記

令和4年4月26日(火)

遠 足 : 野遊び

今では遠足は春だけではないが俳句では遠足は春、運動会は

秋の季語として扱われている。

遠足は郊外または野山に出て一日行楽をすること。

先生等に引率され列をつ乱しながら、ワイワイ、ガヤガヤと

行く児童の群れを見るのは微笑ましい。

名古屋港水族館

 

遠足は4月から5月頃が好適なので春の季題となった。

多くは学校の行事だが、個人や仲間うちで出かけることも

対象となる。 ピクニックの語を充てることもある。

近くを散歩するのではなく、電車や車を使ったり或いは徒歩

でも遠くへ出かける場合にいわれる。

無論、出張などのように仕事での出かけは遠足とは言わない。

団体旅行というのは、微妙にニュアンスが違う。

殊に学校での郊外見学等で遠くへ出かけ日帰り程の度をいう。

遠方に行く、足を延ばす意味では既に江戸末期には用いられ

たといわれている。

学校行事の遠足は、1886年(明治19年)に東京師範学

校が実施した「長途遠足」が行われた。

学校行事の遠足は、「見聞を広め、集団行動と公共性を身に

つけるために行われる。更には社会見学や理科の野外観察、

校外探検活動も遠足と呼び、習わせる。」

遠足は、小・中・高校の学習指導要綱の中で、特別活動と

して実施される学校行事の一つとされている。

普段の学校生活から離れ、自然や文化、現実社会や歴史に

生で触れ、クラスメイトや引率する先生等と集団行動を共

にし、お互いの理解と連帯感を持ち合う目的がある。

遠足ではお弁当に加えて、オヤツ(300円程度)が許さ

れ事前に自分達で店に買いに行くのも社会勉強の一つ。

 

名古屋港水族館へも、再び遠足のバスが多くみられる様に

なった。 バスを降りる子等の弾ける笑顔と話し声、、、、

コロナがなくなった訳ではないが、日本中(世界も)がコロ

ナと上手く付き合いながら、協調が始まった様である。

次々に、水族館へ子等が吸い込まれて、、、、、。

 

今日の1句

バスを降り遠足の列弾けをり   ヤギ爺