遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

イオンモールの閉店

2021-02-28 16:20:26 | 日記

令和3年2月28日(日)

イオンモールみなと店の閉店

イオンモール名古屋みなと店は、1999年(平成11年)

に「ベイシテイ品川」(港区品川町)として開業した。

総合スーパーと専門店街とし、シネマコンプレックス(複合

映画館)を併合した施設としてオープンした。

当時は、名古屋市の港区内では最大の商業施設として賑わい

を見せた。

2014年に、この店の5km圏内に「イオンモール茶屋店」

が開業。 続いて2017年には「ららぽーと名古屋みなと

アクルス」がオープンした。

また、この店から近い(2km圏内)、ユニーアピタ東海通店

を改造した「MEGAドンキホーテ東海通店」が開店した。

近年は、インターネット通販等との競争も激化していき、、、

館内に在ったテナントの撤退が進み、開業当時在った120の

店舗は60店舗(昨年9月)に半減していった。

加えて「新型コロナウイルス」過による影響も大きく作用、

昨年11月末には、併設のシネマコンプレックス「東宝シネマ」

が閉鎖した。

イオングループでは、「ララポートみなと」がオープンした頃

から危機感を持ち、存続の検討を図っていた様である。

グループ側は「完全撤退はせず、新たな施設の開業を目指し、

今の土地を所有し、再開発を検討している」との見解を示す。

いよいよ本日(2月28日)18時に閉店を迎える。

永年、お世話になった大型スーパーが無くなることはとても

淋しく、残念である。

20年余、子等の成長とともに、都度、買い物や娯楽(映画、

ゲーム等)身近に利用していた、、、、

食品から、衣服迄何でも揃い、デパートに行く必用もなく

とても重宝させて貰った。数々の映画も身近であったから

出掛けられた。(年と伴に遠出は億劫である。)

 

昨日(27日)久しぶりにカミさんと二人買い物がてら

イオンモールへ出かける。

駐車場は満車状態、、、久しぶりに見る光景である。

早速4階の食堂街へ、此処も殆どの店は閉まり、2,3軒

残る店の前は列が出来、、止むなく端にあるフードコート

へ、、此処も3軒(丸亀うどん、モスバーガー、デザート

店)、丸亀うどんには長蛇の列、、直ちにモスの前に、、

10分程で昼食に在りつく。

久しぶりにモスバーガー(ライスバーガー、チリドッグ等)

を頂く、、この味も今日でお別れか、、、、、、

階下へ、順に店を覗くが、各階共に殆どが閉りシャッター街

となって居る。 1階の各店では呼び込みの声が続く、、、

スーパーに入ると、2,3階の子供服、雑貨店等は賑わって

いるが、気に入るサイズ、品切れも多く、、、、

1階の生鮮食品売り場は、相変わらずの賑わいを見せていた。

身近に利用できる店がまた一つ、、、、

遠出の出来ぬ年寄りには、辛い選択だ。

 

今日の1句

春憂ひ馴染の一つ失せにけり    ヤギ爺


木の芽

2021-02-27 16:44:22 | 日記

令和3年2月27日(土)

木の芽 : 芽吹く

春になって芽吹く木々の芽の総称

木の芽立ちは、木の種類や寒暖の違いによる遅速

が在る。

萌黄色、浅緑色、緑色、濃緑色など様々に萌え

出る木の芽の美しさは、時として花をも凌ぐ。

木々の芽吹く時期の雨を「木の芽雨」亦その頃

に吹く風を「木の芽風」という。

 

名古屋港埠頭公園を歩いていると、樹木にも

新しい若芽が見られる様になった。

冬の何もない枯木立にも、また常緑樹などにも

気の所為か、緑が鮮やかに見えて、樟の大樹にも

若い緑の葉が見られる。

榛の木

 

辛夷や木蓮に混じり、ポートビル前の桜並木に

も、日当たりの良い場所には芽吹きが確りと、、、

 

桜の芽吹き

 

埠頭公園の帰り道、神社の裏手の林に大きな樹木

の上部が揺れている、樟の大樹が空に春を告げてい

る様だ、、、、。

 

今日の1句

市街地の大樟天に芽吹きたる    ヤギ爺


四家道散歩

2021-02-26 16:08:59 | 日記

令和3年2月26日(金)

四家道散歩

 

四家道マップ

 

慶長15年(1610年)、名古屋城築城に伴って、

「清洲超え」が行われ、多くの商人たちが住み慣れた

清洲城下から名古屋へ移り住み城下町が誕生した。

元禄13年(1700年)の大火で、1600軒余り

の民家が消失した。

この時の4代尾張藩主の徳川吉通は、堀川沿いの商家

を火災から守るために、中橋から五条橋迄の道幅を4

間(≒7m)に拡張したのが、四家道の始まりとされる。

昭和20年(1945年)の名古屋大空襲の折りに、名

古屋城に近かったこの地域(那古野)は被災をまぬがれ

古い街並みが残された。

近年、名駅前開発が進む中で、この一画だけが残され、

白壁の土蔵や格子戸の町家、二階屋根に祀られる屋根神

が残る街並みは、保存地区に指定された。

 

名古屋地下鉄の桜通り線の「国際センター駅」で下車、

徒歩で桜通りを東へ進むと、左手民家の裏手に大きな

銀杏の木が見える、、小さな「浅間神社」がある。

其処に道標「四家道」が在る。

其処から堀川沿いに古い街並みが続き、格子戸の家、

白壁土蔵作りの古民家を利用したレストラン、屋根神

子守地蔵尊等が在り、北の端の円頓寺商店街に出る。

右手に五条橋の袂に、「中山道」の道標がある。

 

屋根神様

住宅の密集する町は火災の被害は深刻で、日除けの神

として有名な「秋葉神社」が祀られる。

亦、伝染病等の疫病退散を願い、天王信仰の「津島神

社」が屋根神信仰と結び付いたロされる。

これに「熱田神宮」が加わり、この地域に多く祀られ

る様になった。 その起源は定かでないが、幕末の頃

からと言われ、明治から昭和にかけて尾張、三河地域

等へと広まったとされる。名古屋空襲で焼け出された

所が多く、終戦後にその数は激減していった。

 

古い昭和の街にタイムスリップ、散歩の終り、、、

円頓寺商店街に入り直ぐ左手に、喫茶「まつば」

に入り昼食、、、、

此処で、コーヒーと海老カツ、ロースかつサンドを

温かく、とても美味しく頂いた。

今日の1句

四家道の往時を偲び春哀し    ヤギ爺


カタクリの花

2021-02-25 16:43:07 | 日記

令和3年2月25日(木)

片栗の花 : かたかごの花、堅香子

ユリ科の多年草、葉は厚くて淡緑色。

早春に一対の葉を広げて花茎の先端に淡紫色の

花弁の付け根に濃紫色の斑点のある花を付け、

うつむき加減に咲く。

花被片は外曲反転し下向きに咲き、地下茎は多肉

白色根棒状で、澱粉(カタクリ粉)を蓄える。

古名を堅香子(かたかご)といい、万葉集では

もののふやをとめらが汲みまがふ寺井の上の

堅香子の花」(大伴家持)と詠まれている。

山林の半日陰や湿地、斜面等に群生する。

 

この頃から3月にかけ、豊田市香嵐渓・飯森山に

片栗の群生地が在り、そろそろ見頃を迎える。

山の斜面一帯を、薄紫色のカタクリの花が群生す

る姿に圧倒される。

名古屋周辺では、東山植物園、白鳥庭園等で

も見頃となる。

東山植物園

白鳥庭園

 

コロナ過の「緊急事態宣言」も愛知県下では今月

にも解除される見通しである。

そろそろ花の季節、野山に出掛けようか、、、、

 

今日の1句

片栗の控へめになほ誇らしげ   ヤギ爺


国府宮裸祭り

2021-02-24 16:55:21 | 日記

令和3年2月24日(水)

国府宮裸祭り : 儺追神事

国府宮はだか祭りは、正式名を「儺追神事」という

今から1250年前の奈良時代に、称徳天皇の勅命に

依って全国の国分寺で「悪疫退散」の祈祷が行われた。

尾張大国霊神社(国府宮)に於いても祈祷した事により

始まったとされる。

尾張大国霊神社

昨年の裸祭り

 

この地に目だった節分行事が無かったことから、尾張に

春を呼ぶ神事として「裸の寒参り」の風習が結び付いて

いき、現行の裸祭りとなったのは江戸の末期とされる。

この神事は、その年の恵方に人を求め、男を捕えて「儺

追人」(神男)に仕立て、「儺負捕り」という行事とな

り、現在の様に裸男が揉み合う様になった。

祭りの前日(23日)、大鏡餅(重さ4t)を奉納。

毎年、尾張地区の奉賛会が餅を搗き、巨大な鏡餅を作り

神社へ奉納する。今年は一宮の奉賛会が当番となった。

祭り当日に切り分けられた餅と「なおい笹」は参拝者に

頒布される。

24日の祭りの当日、晒しの褌一つに白足袋姿の男達が

数千人、境内を揉みあい神男を目掛ける。

裸になれぬ老若男女は、願いを込めた「なおい布」を笹に

結ぶ。この笹を担いだ裸男達が群れをなして境内へ掛け込

み奉納する。

裸男の群れる中へ、楼門から神男が「儺追殿」に向かい、

神男に触れようと、裸男達が殺到し揉み合う、、、、。

凡そ1時間程の間が、奇祭のクライマックスとなる。

今年は、新型コロナウイルスの感染予防のため、裸男の

揉み合いは中止となった。

着衣した神男は、神官等に導かれ「なおい笹奉納行事」が

行われ、「儺追殿」に奉納する。

今日の1句(俳人の名句)

人の世に灯のあることも春憂ひ    鷹羽 狩行