遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

春休み

2022-03-31 16:44:46 | 日記

令和4年3月31日(木)

春休み

各学校で夏休み、冬休みと並ぶ春の休暇をいう。

3月の終業式の翌日から4月の始業式や入学式の前日までの

約2週間程の期間であるが、大学の場合は比較的に長い。

学年が終了し、無事に進級・進学した事により解放感や喜び

の気持ちがともなう休みであろう。

亦、春は明るく穏やかな季節なので、家族旅行や趣味などに

伸び伸びとした休暇を楽しむことが出来る。

「コロナのまん延防止期間」がなくなり、友人等との卒業旅

行に出掛ける若者も多いのではないか、、、、。

 

春休みに入り連日、下の公園にも子供等の声が多くなった。

毎週月曜日は、名古屋港水族館は休館日であるが春休みは

休日を返上したようで、家族連れが入口ゲートへ次々、、。

満開の桜には目もくれず,階段を上って行く。

 

友人に誘われ、港区郊外の「戸田川緑地」へ満開の桜を見

に出かける。

川沿いの桜並木は満開で、そぞろ歩く人も多い、、。

並木を抜けると広場に出る。隣接の「子供ランド」も家族

連れで賑わいを見せている。

桜並木の上を二人のり「カート」がゆっくりと走る。

というよりペダルでゆっくり進み、親子連れだって、桜の

上を悠々空中漫歩である、、、、。

子供達の声を聞いていると、孫達を連れて来た頃を思い出す

のだが、彼等も今年は大学生(高校2年生)となった。

嬉しい様な、ちょっぴり淋しいような、、、、、、、。

 

今日の1句

子等の声一気に弾む春休み   ヤギ爺


緋毛氈

2022-03-30 16:35:15 | 日記

令和4年3月30日(水)

緋毛氈 : ひもうせん

毛氈は、獣毛に湿気、熱、圧力、摩擦などを加えて一種の

縮絨(しゅくじゅう)を施し、各繊維に密着させて製した

敷物のこと。

例えば、雛人形の段飾りに敷く赤い布を緋毛氈というが、

赤は活力、生命力を表す太陽の色。

また赤には魔除けの意味があり、家の神聖な場所に神様

に来ていただく場所を作り、雛人形を飾るために緋毛氈

を敷くという伝えが在ります。

これらの意から生命力のある赤色は、お茶席や結婚式等

の式場などにも濃く、明るく、鮮やかな赤を用いる。

これを敷くことにより、和の風情に満ちた特別な雰囲気

を醸し出す様である。

今まで、様々な場所で、被毛氈の敷かれる場に出会って

いる。

名古屋城の二の丸庭園茶室、白鳥庭園の茶会、犬山の

茶室「也有園」等に緋毛氈が在る。

名古屋城二の丸茶亭、

白鳥庭園の茶会、

犬山、也有園

 

私(ヤギ爺)は、茶の心得が在る訳もなく、「普段の

ままで、お茶をお召し下さい」と云われ、その通りに

菓子をいただき、茶をすする。

気軽に茶店に立ち寄り、縁台に座しただけのこと。

伊勢、おかげ横丁の赤福店、

犬山城下町、

岡崎城内の茶店、

 

城下町のイベント会場や商店街の出店等にも、縁台の上

に緋毛氈が敷かれ、気軽に立ち寄り団子をつまみ、茶を

飲んでおしゃべりを楽しんでいる。

また、以前娘の雛人形(七段飾り)にも緋毛氈を敷いて

いた。(単なる飾りものとして、余り意味も考えずに)

それらの緋毛氈、何も気にせず接していたようだ。

娘の雛飾り、

 

先日の、アカデミー賞の受賞式会場にもレッド・カーペ

ットが敷かれ、日本アカデミー賞授賞式会場にも在った。

アカデミー賞授賞式会場のレッドカーペット

 

今後は、少しだけ緋毛氈の意味を思い出して、茶店等に

座してみよう、、、、、。

 

今日の1句

緋毛氈茶をすすり居り花の昼   ヤギ爺


名古屋港の桜2

2022-03-29 16:57:09 | 日記

令和4年3月29日(火)

名古屋湖の桜

昨日、カミさんが久方ぶりに「ばあば工房」へ出かけた。

コロナ過で暫くの間自粛中、半年ぶり(今年初めて)の集

まりとなった。

久しぶりに仲間と出会い、様々な情報が飛び交ったようで

ある。「誰それがコロナに感染し、家庭内隔離で大変、、」

「自粛が長くて夫婦喧嘩が絶えず、顔を7見るのも、、」

等々、、、 ま、我が家も大げさに言えば似たり寄ったり。

四六時中同じ顔を合わせるので多少の波風は当たり前か?

私自身も、本日カミさんがイソイソ出かける姿にホットし

て(然し、我が家の場合カミさんのお出かけは多かった)

 

帰宅後も元気溌溂、笑顔で仰る、、、

「お父さん、 大通りの地下鉄の名古屋港駅付近の桜は

満開でしたよ、」

「えッ、」(そうか、此処2、3日気温が高かった、)

早速、午前中の用事を済ませ(それほど用の在る訳も無)

そそくさと出かける。

ご近所の庭や、小学校前の桜は咲き盛っている。

大通りに出るとやはり地下鉄名古屋港駅前辺りは、既に

満開に近いようである。

「やあ、驚きました、満開ですねー」「ホントですね」

見ず知らずの人から声がかかり、こちらも即答する。

桜は、人を和ませ誰にも親しみを持たせるようである。

先日訪れた名古屋港の無料休憩所前に付くと園児等が、

あちらこちらと、走り廻っている。

保育士さん達も忙しく動き廻っていた。

「写真撮るよー、、」何とか集まり、、、、パチリ、

何だか、こちらも楽しくなって来た。

(我家の孫達も、あんな頃があったなー、、、、、)

無料休憩所からポートビル迄の間の桜は7,8部咲き

か、、週末辺り見頃(満開)を迎えるようだ。

 

今日の1句

花万朶ただ徒然に眺めをり   ヤギ爺


陽 炎

2022-03-28 16:48:43 | 日記

令和4年3月28日(月)

陽 炎 : 野 馬、遊 糸

春の日、強い日差しのために空気の密度の分布に異状が起

こり、ゆらゆらと物の形が揺らいで見える現象をいう。

この陽炎が盛んな時には炎のように燃えてみえる。

春に多く見られる現象で、強い太陽光線により地面が熱せ

られ、地表付近の空気の温度が高まり塊るように上昇する。

その後に温度の低い空気が入り込み、空気の層が乱れる。

温度により空気の濃度が異なると、浮遊する光の屈折率が

化し、これにより温度の一定しない気層を通して見える

物が揺らいで見える。これが陽炎(かげろう)という。

何だか難しいが、こういった現象は夏の海辺などでもよく

見られるが、うららかな気分にさせる春に相応しいという

事で春の季語となったようです。

副題に、「野馬」(やばという)、「遊糸」をかげろうと

いう。 由来はよく判らないが中国の壮子などにも使用さ

れ「かげろう」の意味で使われている。

日本では、中国からの伝えにより、以前には野馬」を

かげろうとして詠まれている。

春のうららかな日に、野原などにちらちら立ち上る空気、

熱っせられた空気の光が不規則に屈折されて、揺らいで

いる。

はかないものや、仄かなもの、あるかないかの様に見え

る様子を、形容することにも「かげろう」は用いられる

言葉である。

亦、焚火などの炎の上、夏のアスファルト、航空機の

排気による熱にもこの「ゆらぎ」は見られるが、陽炎は

やはり春の季節が似合うようである、、、、。

 

今日の1句(俳人の名句)

かげろふと字にかくやうにかげろへる   冨安風声


弥 生

2022-03-27 16:26:18 | 日記

令和4年3月27日(日)

弥 生 : 春の惜しみ月

陰暦の三月の異称。3月下旬から5月上旬頃にあたる。

陽暦とは、凡そ1ヵ月のズレがある。

弥生の「弥」は「いや」とよみ、いよいよとか益々という

意味がある。更には一面に覆う、みなぎる、満ちるの意も

ある。

「生」は「よい」で生まれる、草木が芽吹く事を意味する。

従って弥生は、草木が芽吹き、みどりが覆うような時期を

さしている。 春たけなわの季節をいう。

陰暦(現代)では4月頃にあたり、1ヵ月程のズレがある。

「弥生尽」は春の終りを告げる日となる。

弥生は語感がやわらかで、いかにも陽春にふさわしい言葉

である。

真っ先に浮かんで来る弥生の句に、

濃(こま)やかに弥生の雲の流れけり  夏目 漱石

弥生の雲という平凡な語に、より穏やかな景が浮かんでくる。

(俳人、藤松遊子さんの句評による)

 

弥生の副題に、「春惜しみ月」「花惜月」などがある。

木曾川堤の桜(昨年)

 

弥生は春の終わりで花が散る季節であり、散る花を惜しむ、

春を惜しむ頃といわれている。

実際には、桜の満開もこれから(3月の末日頃)で、

従い春本番もこれからで、やはり陽暦とは1カ月程の時候

のズレがあるようだ、、、、、、。

久しぶりに、お茶を一服、、、、、、

 

今日の1句(俳人の名句)

けふはまだ誰にも逢はず弥生尽   久保田万太郎