遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

四間道の吟行 2

2020-02-29 16:23:03 | 日記

令和2年2月29日(土)

四間道の吟行 2

春寒しモノクロ造り蔵通り    玲 子

 

暖冬が続いていたのに、打って変りとても

寒い1日、、、、

浅間神社、四間道、円頓寺界隈を巡る吟行

お昼少し前に、商店街東端の五条橋の手前

にある「喫茶まつば」(本日の句会場)へ

集合。 昼時の店は結構な混み合いである。

まつばの店内

昼食(事前予約)は、全員ミックス・サンド

と珈琲か紅茶を、、、、。

自家焙煎の珈琲の旨さは言わずもがな、

サンドウィッチもこの店の売りで、各種在る

が、今日のミックスサンドは厚焼き玉子と、

野菜のミックス、本当に美味しくボリューム

も在り、お持ち帰りする人も多い。

この店では、来るたびにモーニング、ランチ

メニュー(パン)も出来立てを出してくれる。

楽しみである。

空腹を満たし、各自の投句をまとめ、、、、

いよいよ句会の始まりである。

 

吟行抄

一呼吸ありて囀り高調子      玲 子

寄進旗みな項垂れて冴返る     一 船

燈籠に灯を入れるごと梅咲けり   句 美

店蔵に壁白々と冴返る       嘉 子

屋根神の閉ざして久し春の凍て   実 子

春寒や英文字掲ぐ蔵の店      魚 青

地蔵尊屋根は遊び場雀の子     美保子

神苑の冬木遙かにビルを抜き    美智子

佳き人を宿す屋根神春の昼     ヤギ爺

 

連日、コロナウイルスの暗いニュース、、、

遂に日本中の学校(小中高)が休校する事態、

一日も早い収束を願うばかりです。。

暖かくなり、皆が外へ出られるように、、、、

 

 


四家道の吟行

2020-02-28 15:38:39 | 日記

令和2年2月28日(金)

四家道、円頓寺への吟行

 

「若葉」句会の吟行へ久しぶりに参加した。

地下鉄名港線に乗り、久屋大通駅から桜通り線

に乗り換え、二つ目の「国際センター駅」到着。

此処から徒歩5分、ビル街の裏手に「浅間神社」

が在る。集合場所には、本日参加の9名が参集。

浅間神社は全国各地に無数在るが、此の神社は

とても小さな神社。正面に鳥居が在り、潜ると

大小2基の狛犬が迎える。右手に社務所、左手

に手水舎があり、その奥の正面に拝殿が在る。

左側に大きな銀杏の木と、これも楠の大木が天

に梢を伸ばす。

浅間神社の前から北へ、「四家道」がある。

通りの右手前に道標がある石畳の道は、凡そ

500m、円頓寺商店街へと続く。

通りの右手は白壁の土蔵が並び、今では内装

をして、レストランやカフェ等となった。

左手は、昔ながらの町屋格子の古民家が続く。

古民家「地球堂」の屋根に屋根神様が在る。

屋根神様は、津島神社、秋葉神社、熱田神宮

を祭神としえ、屋根の上に小さな社を祀る物

でこの地方(名古屋)独特の社。疫病や火災

等の恐怖から身を守るために祀られた。

この辺り、名古屋城周辺の町家に今でも残る。

この路地裏にも古民家が続き、路地の突当り

には、ヒッソリと子守地蔵尊が祀られていた。

古民家は、ガラス工房、美術品店、着物着付け

等の昔ながらの町屋、住まいとなっている。

四家道を抜けると、円頓寺商店街にでる。

右手に、堀川の五条橋がかかる。

 

江戸慶長の頃名古屋城築城の際、名古屋の西に

在る清洲城下を流れる五条川から、名古屋城下

の堀川へこの橋を移築した。(所謂、清洲超え)

此処から左手(西)へ、商店街が続く、、、

江川線(大通り)を超えると、西円頓寺商店街

が続いている。

商店街の中ほどに「長久山圓頓寺」がある。

1654年、名古屋城天守閣築城の際の余材を拝領

して作られた。尾張徳川家との縁を深め、七面

木像等が拝領されたが、元禄の大火(1,700年)

で焼失、その後この地の堀川沿いに移築、、

道が拡張されて「四家道」と呼ばれる。

五条橋から西への道は門前町として栄えて、

円頓寺筋と呼ばれる様になった。これが円頓寺

商店街である。

円頓寺は、1945年の名古屋大空襲で全焼し

たが、1953年(昭和48年)再建された。

円頓寺は、頓「どん」が訛りえんどうじと言う。

名古屋では普通に、「えんどうじ」と呼ばれる。

商店街は昭和30年代頃までは、映画館も多く

賑わっていたが、昭和40年代に入り衰退、、

2000年(平成19年)若手商店主を中心に

クリエーター、建築家、大学教授等が集まり、

空家が目立つ商店街と四家道に残る古民家や

土蔵の再利用、活性化を目指した。

徐々に新しい店が入居。町起こしプロジェクト

も行われ、アーケードを(屋根開閉式)補修、

円頓寺祭り、愛知トリエンナーレ等のイベント

が盛んに行われ、それと伴に若いカップルや、

年配者まで、食事や買い物に訪れる様に、、、

歌舞伎カフェ(若者等が芝居を見せ、食事処でもある)

 

昔からの老舗も多く残り賑わいを見せる。

呉服屋

句会場となる、「喫茶まつば」は1933年

(昭和8年)創業の喫茶店。小倉トーストの

発祥の店でもある。5年前にリニューアル・

オープン、自慢の珈琲(自家焙煎)と

モーニング、ランチ(サンドウィッチ)も

とても美味しい店である。

 

今日の1句

長閑けしや只四家道に浸りたる    ヤギ爺


図書館寄席 2

2020-02-27 15:41:22 | 日記

令和2年2月27日(木)

港図書館の落語会 2

1)動物園 : 演者、光家 しらす

 

この男、朝起きられない、力仕事は駄目、口下手で

仕事勤めが出来ない不精な男。

或る日、ピッタリの仕事が在ると、世話して貰う。

「午前10時出勤、しゃべる必要なし、何もしないで

昼食、昼寝付きで日当1万円」

好条件に飛びつき、案内された所は移動動物園である。

園長は男に虎の毛皮を渡す「展示の目玉の寅が死んだ

ので、その皮を被り寅に扮して虎の檻に入れ、、」

無理やり檻に入れられた男は、園長に虎の仕草を教わり

「前肢の方向と逆向きに頭を捻ると虎らしくなる、、」

子供が檻の前にやって来て、パンを食べる、、、

空腹の男は子供にパンをせがむ。「父ちゃん虎がしゃべ

ったヨ」「?」 パンを貰ったが食べられず、コッソリ

頭を跳ねる、それを見て騒ぐ子供に、大声で唸り、、

子の泣くスキにパンを食べる、、、、、

その後、園内放送で「只今より、虎とライオンの猛獣ショ

ーを行います」  男は説明が無かったのでパニックを

起こすが、、、檻に放たれたライオンが飛び掛かり、、、

「心配するな、ワシも1万円で雇われたんや、、、」

2)粗忽長屋 : 演者、艶目家 龍刃坊

浅草の観音様へお参りに来た八五郎は人だかりに、、、

昨夜から身元不明の行き倒れ見物に出くわす。

役人は、通行人に死体を見せ知り合いを探していた。

死体を見た八五郎は「こいつは同じ長屋の熊五郎で、今朝

体調が悪いと言っていた」役人は「行き倒れは昨夜から、

人違いだ」というが、八五郎は聞く耳持たず、、

「長屋へ行って本人を連れて来る」と、、、、、

長屋に戻った八五郎は熊五郎を起こし「お前が観音様の前

で死んでいた」と、熊五郎は「自分はこの通り生きてる」

「お前は粗忽者だから死んだ事に気づいていない」と、

熊五郎を連れて観音様の前に戻り、、熊五郎は死体を見て

「間違いなく自分だ」  周りの人は「そんな筈はない」

と呆れるが、八五郎も熊五郎も納得せず、、、、

役人が止めに入るが押し問答に、、、、、、熊五郎はふと

「どうも判らネー、抱かれているのは確かに自分だ、抱い

ている俺は一体誰なんでー」

この落語、柳家小さんや古今亭志ん朝等の名人達が挙って

演じた。粗忽者は落語の題材に多く、粗忽の使者、堀之内

等多くの噺がある。

3)佐々木裁き : 演者、光家 鶴太

 

 

江戸南町奉行の佐々木信濃守がお忍びで、市中を見回って

居ると、子供達が」「お奉行ごっこ」をして遊んでいた。

近寄ると「邪魔だ、邪魔だ」と竹で追払う、、、、

見守っていると、奉行役の子が佐々木信濃守と名乗り、

お調べは、一から十迄、「つ」が揃っているかで揉め口論

喧嘩となったとの事。奉行役の子は「さような些細な事を

もって、御上の手を煩わせる不届きもの」と喧嘩の両名を

諫め、「一から十迄、つはみな揃って居る。」然し子供は

「だって十は、十つと言わないヨ」「黙れ、奉行に偽りは

ない。この中でつを盗んだ者がいる。五つはいつつと言い、

つが二つ、これを取り十に付けると皆揃う」これを見て

本物の佐々木信濃守は感心して、「奉行役の子とその親を

町役人を付け、出頭させよ」

これを聞いた町内は大騒ぎ、「お奉行を竹の棒で追払った

らしい」と騒いでいる。

奉行の子の桶屋の四郎吉は(13歳)平気」だが、親の

綱五郎は、真っ青になっていた。

奉行、「これ四郎吉、これから奉行の言う事に答えられる

か」、四郎吉は「お白洲の砂利の上では位負けする。奉行

に並んで座れば何でも答えられる」

奉行は「空に在る星の数が判るか」 四郎吉は「このお白

洲の砂の数が判りますか」 奉行は絶句、、、、

奉行は三方の上の饅頭を差し出し「食べて良い」四郎吉は

「おっ母のくれるのより、よっぽど美味しい」

奉行は「父親は何をくれる」 四郎吉「小言ばかり」

「では饅頭をくれる母と、いつも小言を言う父とどちらが

好きか?」四郎吉は「二つに割った饅頭どちらが美味しい

と思いますか」

次に奉行は「四角でも三方とは?」「一人でも与力と言う

が如し」 「では与力の身分を知っているか」 四郎吉は

起き上がりこぼしを取り出し、「この様に御上のご威光を

来ていつもそっくり返っています、そのくせすぐ壊れます」

「では与力の心はどうか?」起き上がりこぼしの片方に銭

(天保銭)を付け「銭の在る方に傾きます」

奉行は四郎吉に「あの衝立の仙人の絵が何を言うか、聞いて

参れ」「佐々木信濃守は馬鹿だと言ってます。絵が物を言う

筈がないって」これには佐々木信濃守、大いに笑う、、、、、

後日、四郎吉が十五歳となった折り、四郎吉を「近習」へと

取り立てたそうである、、、、

笑いは百薬の長とか、、、大いに笑って浮世の憂さを、、、

 

今日の1句

長閑しや鼾の聞こゆ落語会     ヤギ爺


図書館寄席

2020-02-26 09:48:18 | 日記

令和2年2月26日(水)

港図書館の落語会

2月22日(土)、名古屋港図書館の2階

集会室で「図書館寄席」と称して落語会が

催された。

愛知県出身の、「らくごのおじさん」光家鶴太

さんは、「名古屋風上方落語」と称し、名古屋

近郊のアマチュア落語家達と、「高齢者施設」

「コミュニテイサロン」「小中学校」「老人会」

「町内会」等の催しに参加、ボランテアとして

各所で落語会を行っている。

今回、港図書館で行われた「図書館寄席」は、

名古屋市内にある図書館を巡回して居り、年間

10回程催され、今回は年度最後との事。

会場の2階集会室(定員40名)は満員の盛況。

入口には「コロナ・ウイルス」対策で消毒液が

置かれて居り、参加者は殆どがマスク着用。

途中、中入り(トイレ休憩)の折りには、

窓を開け、港図書館の方が換気を行った。

「お帰りになったら、手洗いとウガイを必ず

して下さい」との注意喚起もあった。

今回参加のメンバはー、光家鶴太さんを始め、

光家しらすさんは落研 OBの若い女性落語家で

物怖じせず語りは上手く、所作にも華がる。

艶目家龍刃坊さんも落研OBの若手(男性)な

がらとても落ち着いて居り、演目の粗忽者を

ゆったりと演じた。語りもとても旨い。

リーダーの光家鶴太さんは上方落語を名古屋風

というか、我々にも判り易くテンポよく語る。

江戸落語では、扇子と手拭いで表現をするが、

上方落語ではこれに、見台という木製の小さな

机が置かれ、これに小さな拍子木を用い見台を

打ち、合いの手や効果音として使う。

上方落語の見台(木の小さな机)

上方落語は、2度ほど大阪で拝聴したが、とて

も賑やかで、時に騒々しくさえ感じる事も在っ

たが、今回江戸と上方の違いを説明され、

納得した次第である、、、、。

中入りの後、「笛屋ぺんぺん」さんの篠笛の

演奏があり、「荒城の月」など抒情歌が披露

された。

次回は、落語の「演目」を紹介します。

 

今日の1句

春愁を滑稽話で吹き飛ばす    ヤギ爺


春 光

2020-02-24 16:03:55 | 日記

令和2年2月24日(月)

春 光 : 春の色、春景色

長い冬が終わり、ようやく春の気配が

地に充ちる。

そのような春の有り様、春の景色を

「春光」という。

とくに指折り数えて春を待ち侘びる北国

の人々にこの春光が喜びそのものである。

春が光り、匂い、人の心を全く文字通り

春にする。

「春色」という、心を浮き立たせる言葉

も使われる。

昨日はとても寒い一日、娘家族が一宮から

出掛けて来たが「息子が部活が昼迄ある、

良ければ名駅で落し合って、一緒に食事

を」との誘い、、、

名駅前では、霙が降る中、若者達が「新型

肺炎防止キャンペーン」を行い、道行く人

にマスクを配っていた。

地下鉄車内や地下街、地上でも街を行き交う

人達は殆どがマスク着用、無い人は10人中

一人、、、数えられる程。

この3連休もウイルス騒ぎで、海外は愚か、

国内旅行も客足が遠のき、地元に留まる人が

多い様で、昼時の食堂街は結構な人である。

今日(24日)は、うって変わり絶好の日和、

下の公園では、年配の方達がグランドゴルフ

に集まっている。

周りの遊具には幼児等が、、、麗らかな日和

である、、、、、。

 

今日の1句

外にも出よ真っ只中の春の色    ヤギ爺