フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

華より光るリーダーシップ

2011年05月30日 | パリ12区

彼女ら6人とは奈良の商店街で出会った。
日本在住のフランス人の男の子を案内役に雇っていたから、彼を加えると7人だった。

彼女らとふとしたきっかけで、夕方繁華街のレストランで一緒に食事をした。
簡単な和食である。

リーダーの女性は独身で、銀行に勤めているようだったが、詳しい職務内容はよくわからなかった。

フランスでは仕事がかなり専門的に細分化されていて、該当する日本の仕事が判らないことが多い。
例えば警察官だって、国家警察もあれば、市町村が雇っている警察官もいるし、軍の警察官もあって、制服もまちまちだ。

彼女らは、大体パリもしくはその近郊からきたようで、中の一人は日本人と結婚していた。

日本人の女性とフランス人の男性とのカップルは多いが、その反対は少ない。これはその少ない例で、彼女のご主人はもともと東京の人らしい。

美貌から言えば、メンバーの中の一人が金髪で華のあるマダムだったが、リーダーの女性に皆良く従っていた。それはリーダーの性格によるものだろう。

言いにくいが要するにリーダーは、フランス人にしては珍しい垢ぬけしないマダムだったのである。

彼女らが帰国したのち、結局メールのやり取りが続いたのは、このリーダーのマダムだけだった。
そして、彼女を通じ、
前述のある独身のマダムが日本にやってきて、京都・奈良を案内したし、そのまたマダムを通じて、別の大学教授夫妻が、日本にやってきて同じく京都・奈良を案内した。

次の機会の渡仏の時、その独身マダムと大学教授夫妻と私とでリーダーマダムの家に食事に招待された。

そこはパリの中心から少し東に行ったところの、落ち着いたアパルトマンだった。

その日はちょうどフランス大統領の選挙の開票日だった。
大学教授夫妻はサルコジ支持、リーダーマダムはロワイヤル支持だった。同行した独身マダムはどちらの支持でもないと言っていた。

食事の最中にラジオから歓声が聞こえた。
サルコジが勝ったのだ。
数日前に行われたテレビ討論で、サルコジは落ち着いて受け答えしたのに対し、ロワイヤルは焦ってしくじったらしい。
このテレビ討論でそれまでロワイヤル支持だった人の一部や、考え迷っていた人はサルコジに流れたらしい。

選挙の結論が出たのに、食事のテーブルは俄然政治議論の場になってしまった。
白熱した議論ではないが、政治好きの人たちだからなかなか妥協しない。最後は、客人がホスト(ホステス?)でもあるリーダーマダムに遠慮した形だったが、
せっかくの食事がおいしさ半減になりかねなかった。
少なくとも私はそう思ったが、話の途中に何度か私に眼で合図を送った同行した中立のマダムは「あれは面白かったわね」と後で笑っていた。

リーダーマダムの手料理、手作りのお菓子は見た目も、味も、食器の趣味も、お世辞にもセンスが良いとは言えないものであった。
普通、料理が苦手なら、簡単に出来るものを使ったり、家に招かずに外で食べることもある。
しかし、彼女は手料理でもてなしてくれたのである。
一生懸命、料理やお菓子を、私達のために作ってくれた彼女の心は十分に伝わった。
帰りに残ったお菓子も、是非にと持たせてくれた。

服装や髪型にも無頓着で、フランス人らしからぬと言っては失礼なのだが、真面目で自然のままの彼女は、私の知人の中では珍しいタイプでもある。その独身の友人も言うように「ハートがいい」、つまり人柄の良さが魅力なのである。

この日勝利したサルコジ派は、コンコルド広場で集会を開き、サルコジが演説をした。
その後、シャンゼリゼの「フーケ」で記者会見をしたと聞いている。

ヴォージュ広場で見かけたポスター

昼間私が待ち合わせに場所に使ったバスチーユ広場は、その時平穏だったが、夜になるとロワイヤル支持だった人の一部が暴徒化し、車が焼かれたと聞いた。

日本ではここまで暴走しない。
多くの移民を受け入れている事などを含め、フランスの困難な事情が根底にあるようだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿