シャルトルを観光した翌日、今度はヴォー・ル・ヴィコントの観光に出かけた。
パリ郊外に、以前奈良を案内した二世代のカップルの内の年配のカップルが住んでいて、案内するからと言ってくれたからだ。
この時、初めてRER(郊外行き電車)に乗った。遠距離旅行用のTGVとは全く違った雰囲気で、二階建て電車である。
乗り降りする人も普通の生活臭がするし、いろんな人が乗って来る。
中には警戒感が自然と起きてくるような人も乗って来るし、なるべく目を合わさないでおこうと思うような人もいる。そういう人が下車してくれたら正直ほっとしたりした。
メトロと同じく、日本のようにのんきに居眠りなんてとんでもない。
ドキドキした電車の旅だったが、やがて無事目的地に着いて駅舎を出ると懐かしい二人が
迎えに来てくれていた。
時間がもったいないので、家によらずにヴォー・ル・ヴィコントへ直接行った。
田舎の中に、広大な敷地に大きなお城があった。
この城はルイ14世の時代、財務大臣のフーケと言う人が建てたという。
落成後、フーケはルイ14世をこの城に招待したのが運のつきだった。
この城の素晴らしさに、ルイ14世は嫉妬し、フーケを失脚させてしまったと言う。
三銃士で有名なダルタニアンたちがルイ14世の命を受けて逮捕にやってきたそうです。
その様子の人形が(口も動き目も光ってました。)ありました。
この後、ルイ14世はこの城に負けないベルサイユ宮殿を建てたと言います。ヴォー・ル・ヴィコントで活躍した庭師たちをベルサイユでも使ったそうです。
ただ歴史に詳しい別のフランスの友人は、フーケは財務大臣の地位を利用し、この城を建てるほど莫大な私腹を肥やしており、ルイ14世はそれを知っていて、彼を逮捕したのだそうです。 なるほど納得です。
すばらしい広大な幾何学模様の刈り込みの庭、左右に低い建物を配した均整のとれた城、いずれも左右対称で、日本の庭園文化、築城技術とは全く違っています。その広い庭のずっと奥まで散歩しました。
ここのお城の中のレストランで軽く食事し、お城の中にある馬車の博物館等も見ました。
その家で起こる彼等カップルの人柄が出る面白い話は、次回に譲ります。
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